桜ふたたび 後編
Ⅵ 愛あるところ

1、出口のない愛

玄関ドアを後ろ手に閉め、澪は胸の前で小さく拳を握った。
跳び上がりたい気持ちを抑え、まっしぐらにバルコニーへ向かい空を見上げる。今日の空は果てしなく高く美しい。一片の雲もない。

澪はそっと下腹部を撫でた。今、ここに一つのいのちが宿っている。

一刻も早くジェイに報告したい。
彼はどんな顔をするだろう。あれでいて感激屋さんだから、驚喜して「Bravo!」と叫ぶかもしれない。
このまま空を翔て、彼の元へ向かえたらどんなにいいか。

──幸せだね、君は。望まれてこの世に命を授かったのだから。

ふと、笑顔が翳った。

武田の子どもは、望まれて生まれてくることができるだろうか。出口の見つからぬ暗闇で、怯えていないだろうか。
いや、怯えているのは千世の方だ。
苛烈な運命に奈落に突き落とされ、誰も前が見えない。どの選択をしようと、その小さな命のために誰かが犠牲になり、そして誰もが永く苦しむのだ。澪の存在がそうであったように。

ああ、それなのに、どんなに自主規制しようとしても、笑顔が止められない。
幸せで、幸せで、羽化して空を得た蝶のように心が軽くて。どうしよう、こんなに浮かれてしまって。

澪は咲き始めたカランコエに笑いかけ、部屋に戻って時計を確かめた。
ニューヨークは深夜。パソコンを前に散々悩んで、

〈赤ちゃんができました〉

ちょっとシンプルすぎるかな? やっぱり顔を見て報告したいな、と送信を躊躇ったとき、インターホンが鳴った。
< 118 / 271 >

この作品をシェア

pagetop