桜ふたたび 後編
何事もなく朝が来て、何事もなく夜を迎える。道ですれ違う人たちも、胸には当人にしかわからない悩みを秘めていて、それでも傍から見れば淡々と毎日を生きているように見える。
人生とはこんなものかと、澪は秋色の深まった夕焼けの街を眺めながら思った。

「ヨッ!」

マンションの正門脇から飛び出してきた辻に、澪はおぞましそうな顔をした。

「そんな、あからさまに厭な顔をすんなよ」

辻は罪なく笑う。

「何かご用ですか?」

「俺はストーカーだよ。用がなくても待ち伏せするのさ」

呆れたと無視して歩く目の前に、辻の顔が斜めに現れて、澪は思わず足を止めてしまった。

「なぁ、デートしよう、デート!」

澪は眉を潜めて歩き出した。

「千世ちゃん、どうしてるのかなぁ? やっぱ、離婚かな?」

澪に睨まれ、辻は戯けて肩を窄めた。

辻の心ない冷やかしに腹を立てたのではない。澪は自分が情けなかった。
千世は辻には打ち明けていたのだ。いつもまっすぐな彼女の口を閉ざさせたのは、澪のせい。自分の幸せに浮かれて、彼女の痛みに気づかず、かえって気を遣わせてしまった。

〈卑怯やわ〉

千世の呻きが聞こえたようで、澪は怯えたように肩を震わせた。

「澪さん?」

辻の声がくぐもって聞こえる。
耳を押さえたとき、唇の上に風が吹いた。
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