桜ふたたび 後編
2、野分
マンションの正門で、澪はふと空を仰いだ。
太陽は沈んでいるのに、木立の上の空は明るい水色だ。天頂は不思議な色の鱗雲に埋め尽くされている。一片一片、黄金から茜色にグラデーションを描いた様子は、まるで幻想的な龍の背。噎せ返るような金木犀の香りが、異次元の世界に誘うようで、すっと意識が薄れた。
──いけない。
澪は呼吸を整えて、渇いた唇を舐めた。
ようやく辛かったつわりがおさまったのに、前より増して体調が優れなかった。ときおり下腹部に痛みも感じ、今朝は少し出血もあった。無理してサロンへ行く必要もなかったのにと、今さら後悔しても後の祭りだ。
「ヨッ!」
植え込みの陰から片手を上げて現れた辻に、澪は目もくれず言った。
「人を呼びますよ」
「冷たいなぁ、キスまでした仲なのに」
「あなたが勝手にしたんです」
「君に唇を噛まれて、飯もろくに食えなかった。お詫びに夕飯、つき合ってよ」
両手を頭の後ろに組み、戯けて行く手を阻む辻に、澪は凄んだ。
「それ以上近づいたら、本当に声を上げます」
辻は吃驚したように目を丸め、「OK、OK」と諸手を挙げた。
これで諦めたかと思ったら、脇を抜けて行く澪の背中に、不意打ちにボールを当てるように彼は言った。
「あいつ、婚約したんだって?」
風除室の真ん中で足が止まった。
太陽は沈んでいるのに、木立の上の空は明るい水色だ。天頂は不思議な色の鱗雲に埋め尽くされている。一片一片、黄金から茜色にグラデーションを描いた様子は、まるで幻想的な龍の背。噎せ返るような金木犀の香りが、異次元の世界に誘うようで、すっと意識が薄れた。
──いけない。
澪は呼吸を整えて、渇いた唇を舐めた。
ようやく辛かったつわりがおさまったのに、前より増して体調が優れなかった。ときおり下腹部に痛みも感じ、今朝は少し出血もあった。無理してサロンへ行く必要もなかったのにと、今さら後悔しても後の祭りだ。
「ヨッ!」
植え込みの陰から片手を上げて現れた辻に、澪は目もくれず言った。
「人を呼びますよ」
「冷たいなぁ、キスまでした仲なのに」
「あなたが勝手にしたんです」
「君に唇を噛まれて、飯もろくに食えなかった。お詫びに夕飯、つき合ってよ」
両手を頭の後ろに組み、戯けて行く手を阻む辻に、澪は凄んだ。
「それ以上近づいたら、本当に声を上げます」
辻は吃驚したように目を丸め、「OK、OK」と諸手を挙げた。
これで諦めたかと思ったら、脇を抜けて行く澪の背中に、不意打ちにボールを当てるように彼は言った。
「あいつ、婚約したんだって?」
風除室の真ん中で足が止まった。