桜ふたたび 後編

3、営巣

「本当に一週間もここで暮らしてたんですか?」

がらんどうのだだ広い吹き抜けのリビングを見渡し、澪は呆れたように言った。

「初日はベッドもなくて、床で寝たんだ。電気や水道の開栓に手続きが必要だとは知らなかったなぁ。暑いし、体は痛いし、散々な目に遭った」

ジェイはなぜか嬉しそう。
子どものキャンプでもあるまいし、家具も食器もない生活が、快適だったとは思えないのに。

「とりあえず、明日、お買い物に行きませんか? いくら何でもテーブルとコップは必要でしょう?」

東京にマンションを購入したと聞いたときから、危惧はしていた。
ホテル暮らしの彼は、自炊はおろか、珈琲を煎れたこともない。

洗面室に山積みされた汚れ物。勝手にランドリーサービスが引き取りに来るとでも思ってる? 靴跡が残るフローリング。どこの家にもルームメイドがいるものだと思ってる? シンクに捨て置かれたゴミやペットボトル。まさか、夜中にコビトがゴミ置き場へ運んでくれると思っているわけではないと思うけど……。

「やっぱりホテルの方が──」

言葉を遮るように、ジェイは澪をフロアの中央へ引っ張った。

「それでmy wifey、新居は気に入ってもらえたのでしょうか?」

得意げな彼には悪いけど、澪は微妙な顔をした。

高級住宅が点在する丘の一角、敷地内の林に隠されるように佇む瀟洒な低層マンション。
タクシーがシャラノキの白い花に縁取られたアプローチスロープを登りはじめたとき、澪は住所を間違えてはいないかと運転手に確認したほどだ。

水の流れる車寄せ、エントランスへ向かう壁や床は御影石、ラウンジは大理石、絵画が飾られたエントランスにフロントコンシェルジュサービス。
それだけでも頭を抱えたのに、それも最上階、3LDKのメゾネット。中古とはいえ、信じられない買い物をする。
< 13 / 271 >

この作品をシェア

pagetop