桜ふたたび 後編

3、秋雨

サロンの桜が錆色になり、春楡が葉を落とし、山茶花が咲きはじめた頃、時雨が続いた。
ルーフバルコニーの花は立ち枯れ、冬が近いことを告げている。

澪の時間は止まったままなのに、毎日、規則正しく大窓から朝日が差し込む。
澪は光を懼れるように背を向けて、子猫のように縮こまった。

それでも否が応でも前方から今日がやってきて、澪の上を陵辱しながら通り過ぎて行く。
澪は仕方なく、ただ呼吸をするように、以前と変わらぬ日常を繰り返していた。

カサブランカの香りがだいぶ薄くなった。部屋を埋め尽くしていた豪華な見舞いの花束たちは色あせ、毎日のように恭子が庭で摘んでくる可憐な花だけが笑っている。その瑞々しさが、今の澪にはかえって厭わしい。

どうしようもない虚無感に、澪はソファーに体を横たえた。

──眠い……。

眠っても眠っても、まだ眠い。薄い日差しは、生きる気力を萎えさせる。

とろとろとした眠りの途中、ふと懐かしい香りがした。
重い瞼を開けると、目の前にアースアイがあった。
不思議な瞳だと澪は思った。
彼の瞳の色は感情を反映する。どんなに上手に押し隠していても、瞳は正直だ。今日の瞳は深い鈍色をしていた。

──苦悩? 懼れ? それとも哀れみ?

澪は沈黙を嫌い、もう一人の自分に打ち明けるように呟いた。

「わたしね、ジェイの赤ちゃん、流産しちゃったんです……」

ジェイは無言で澪の髪を撫でた。

「ごめんなさい」

「澪が無事ならそれでいい」

澪は小さく嫌々をした。

「ごめんなさい……」

もう、子どもを授かることはないだろう。これは罰なのだ。あのとき自ら赤ちゃんを葬った罰。そして、ずるい企みへの罰。

──神様は赦さない。

こんな欺罔が、赦されるはずがなかった。

外はまた時雨だ。
優しい雨ではこの哀しみを洗い流すことはできない。
閉じた目尻から涙が零れて、こめかみに一筋の光が流れた。

再び瞼を開くと、もうジェイの姿はなかった。
雨が幻を連れきたのか。
ふと見ると、体にブランケットがかけられていた。
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