桜ふたたび 後編
水滴で曇った窓の向こうの薄い斜光も、すっかり消えてしまった。室内は心地よく暖かいけれど、外はずいぶん寒そうだ。

澪は飽きもせず、ソファーに眠るジェイの寝顔を見つめていた。

この三日間、ジェイは朝六時に出掛けて午前三時過ぎに帰宅する日が続いた。
さすがに疲れたのか、今日は昼過ぎに戻って来て、死んだように眠りこけている。

ベッドで寝るようにお願いしたのに、寝過ごすからと彼は聞き入れてくれなかった。ブランケットを掛けようとした澪の手を握ったまま、あっという間に寝入ってしまったのだ。起こすのも気の毒で、澪は床に横座ったまま、ずっと身じろぎもできずにいた。

澪は壁時計を確認した。19時の羽田発だと言っていたから、そろそろ起こさなければならない。

空いた手で彼の髪を撫でながら、澪は大きく溜息をついた。

ジェイが無理をしたのは、澪のせいだ。

彼の他に何もいらないと言いながら、何かあるとすぐにふらついて、いつも不安定で心弱いから、彼が案じて立ち止まる。そして後から必ずしわ寄せがやって来る。
決して引き留めないと言うリンとの約束も、裏切ってばかりだ。

澪はそっとジェイの額に触れた。

──こんなになって、わたしを愛してくれる。

何て可愛くて愛おしいひとだろう。
このひとを守ってあげたい。どんな苦しみからも哀しみからも孤独からも不安からも。

──ああ、これが愛するということなんだ。

初めて彼に逢ったとき、澪は彼の魂の寂しさを直感していた。求めても求めても、どこにも魂の置き場が見つからない旅人のようだと思った。

だから、彼の〝愛〞は孤独を埋めるためのエゴだと思った。
そしてそれに気づきながら、彼の欠けた心のピースになろうとする澪の〝愛〞も、エゴだと思った。

今も愛の本質はわからない。けれど、きっと、ここに愛はある。 

──ジェイ、わたしはここにいます。

安らかな寝顔を見つめていると、愛しさと幸福感で切なくなるほど胸がいっぱいになった。

あたたかい涙がこぼれて、ジェイの頬に落ちた。
ゆっくりとアースアイの光が現れた。
そこに暗い孤独感はない。ただ子どものように不安げに瞳を揺らした彼がいた。

「なぜ泣いているんだ?」

「幸せだから」

ジェイは澪の頭を引き寄せて胸に抱いた。

「安心してください。わたしはいつでもここであなたの帰りを待っています」

澪の言葉にジェイは安堵したように頷いた。

「必ず帰るよ」

ジェイはリングにキスをして、そして跳ね起きた。
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