桜ふたたび 後編
Ⅷ 霧のセーヌ

1、白熊の野望

極東の町は、今日も練乳のような氷霧に覆われていた。
弱々しい太陽はぼうっと霞み、ツンドラの上の荒れ地には咲く花もない。永久凍土の地盤は短い夏にだけぬかるみ、また凍る。そのため建物の基礎はアンバランスに沈み込み、そのほとんどが傾いて、町の雰囲気もどこか殺伐としていた。

その町の中心に、周囲の風景に似つかわしくない宮殿が建っている。十字架を頂く七つのネギ坊主型ドームには金・緑・赤・青の彩色が施され、一見するとモスクのようにも見える。確かに以前はロシア正教の教会だった。

自らの重みで地面に深くめり込んだ豪華なビザンチン様式の館の内は、聖域とは程遠く、世界中から集められた美術品や芸術品で埋め尽くされている。
圧巻なのは動物の剥製品だ。ライオン・アムールトラ・白オオカミ・ピューマ・黒ヒョウと、希少価値の猛獣が至る所に陳列され、訪問者を威嚇していた。

このまま公立博物館として寄贈したら、悪名ばかり目立つ彼も後世に多少の功績を残すことだろうと、アラン・ヴィエラはダウンジャケットの埃を払い、蒼白い顔に薄笑いを浮かべた。
アンバーの瞳の四白眼を隠すように伸びたシナモンブラウンの髪、シャープなギリシャ鼻の鼻尖が平たい。

イエス・キリストのイコンの前に設置された、フランス革命の動乱に乗じてどこぞの城から盗み出された黄金の玉座に、ロイズ会長 アンドレアノフ・ミロシュビッチの姿を認め、アランは視線を左右に走らせ、小さく咳払いをした。

ミロシュビッチは、肘掛け椅子の片方に両肘を置き、上体を預けて前屈みになったまま、動かない。
セーブルのロングコートにアザラシのロシア帽、膝までのワーレンキを履いて、ときおり苛立たしげに、組み合わせた革手袋の指先だけを動かした。

アランは王に謁見する大臣の如く黙礼し、長躯を直立不動のまま帰還の報告を行った。

〔ただいま戻りました〕

下唇を動かさずに発せられた声は小さいが、洞穴を抜ける風のように冴え冴えとしている。
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