桜ふたたび 後編
──そうだ、何としても財産は渡さん。

唐沢の情報は正しかった。ミロシュビッチの逮捕は迫っている。凍った大地が緩む頃、彼らはやって来るだろう。尻に火がついているのだ。

〔いくらかかってもいい、クーデター派に武器と資金の調達を急ぐんだ〕

アランはどす暗い目を落とし言った。

〔まだFMTの買収が済んでいません〕

〔それはもういい〕

〔しかし、ロイヤル・シェルが折れるのは時間の問題です〕

ミロシュビッチは残忍な目を向けた。

〔そんなちっぽけな買収と、わしの命とどちらが大事だ。お前がやらないと言うのなら、アブラモビッチにやらせる。お前はここでプラント建設をするがいい〕

その名にアランは奥歯を噛んだ。

アブラモビッチは、元国防・諜報機関出身のシロヴィキと呼ばれる新エリート層で、地下経済やもっぱら行政・司法への買収工作に当たっている。数年前から気まぐれな会長の寵愛は彼へ移りつつあった。

こちらも対抗できる功績をあげなければならない。
そのために、カイザーの懐に種を撒いた。ミロシュビッチが何よりもいま渇望しているのは軍事産業だ。
あとは実をつける頃に根ごと引っこ抜くだけだと、勝利の美酒に酔ったその矢先、まさかカイザーに国際的巨額訴訟が持ち上がるとは。この一件で、ますますミロシュビッチの不興を買った。

──奴はバハルか。

彼がフランスの通信社に拘るのは、大株主であるロイヤル・シェルの総裁の座をジェイが狙っているからだった。
今のところ起死回生を図ったバハルの案件に掛かり切りのようだが、頃合いを見計らって乗り出してくるに違いない。

やはりあのとき屠っておくべきだった。殺してしまっては勿体無い、破滅していく惨めな姿を楽しむことこそ長年の大望だと、欲をかいたのが間違いだった。

〔承知しました〕

アランが不本意ながら承諾したのを、ミロシュビッチは用済みの人間を見るように鬱陶しげに顎で追い払った。

頭を下げたアランの視線には、ミロシュビッチの足下のウンピョウがあった。

──絶滅危惧種か。

時計の針は破滅に向かって動いている。救うべきか、いっそこの手で始末してしまおうか。
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