桜ふたたび 後編

3、出奔

ニューヨークへ戻って二週間、エルモ・アルフレックスの秘書からリンを経由して告げられた呼び出しに、ジェイは待ちくたびれた腰を上げた。直接電話してくればいいものを、このもったいぶりようが彼らしい。

無駄に広く豪奢な執務室で、エルモは腕組みをしたまま、近づく弟を睨み付けている。怒りで顔が紅潮しハシバミ色の目が血走っていた。

ジェイは事務的に切り出した。

『用件は何です?』

エルモの片頬がぴきぴきと痙攣を起こした。

『デュバルが破談を申し込んできた』

『それは残念だ』

『なぜ理由を聞かない?』

『先方から申し出たことなら、ビジネスに支障はありません。慰謝料の請求でもお望みですか?』

平然と言う。エルモは目を剥いた。

『金の問題じゃない! アルフレックスの名誉の問題だ!』

ジェイは冷淡な表情を変えない。

『おまえ、知っていて──』

言った瞬間、エルモの頭のなかに強烈な意識が飛び込んできた。
またしてもこいつにしてやられた。今度こそねじ伏せてやったつもりだったのに、こいつは最初からこうなることを読んでいたのだ。
いや、こうなるように仕掛けたのだ。どんなトリックを使ったのか、狡猾な奴、策士め。

『お話はそれだけですか?』

怒りに言葉を失ったエルモを完全に無視して、ジェイはさっさと踵を返した。

『待て!』と、エルモは椅子から腰を浮かした。と言って引き留めて言うべき言葉はない。

ジェイは足を止め、エルモを肩越しに振り返り言った。

『次に誰を連れてきても無駄ですよ。これ以上アルフレックスの恥を晒す前に、諦めた方が賢明です』

──くそ!

エルモは持って行き場のない敗北感を、デスクに叩き付けるしかなかった。
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