桜ふたたび 後編
澪はチラリと壁の時計に目を向けた。

朝から確認するたびに、時計の針は恐ろしいスピードで進んでいる。
澪の脈拍も比例して速くなり、コルセットで締めつけられていなければ、硬くなった胃が口から飛び出そう。

澪は、鏡に映る自分に情けない苦笑いをした。せっかくのドレスがこんな状態では台無しだ。

純白のミカドシルクのプリンセスラインドレスは、カソリックの正統をゆくシンプルなスタイルで、長いトレーンとインナーボレロに美しい桜模様のシャンテリーレースが使われている。シルヴィがこの日のために作ってくれたウエディングドレスだ。

パールとダイヤに飾られたティアラは、ジェイの亡くなったお祖母様のもので、アルフレックス家の女性はみな、結婚式にこのティアラをつけてきたという。ロンドンに住むジェイの叔母、マティー、エヴァ、そして澪。
ジェイの両親から許されてはいないと澪は遠慮したのだけれど、エヴァには理解してもらえなかった。

「サンドウィッチとハーブティーをご用意しましたので、少しお腹に入れておいてください」

ティーポットから注がれるラベンダーの香りが、鼻からすうっと流れ込んできた。澪はリラックス効能を少しでも全身に行き渡らせようと、大きく深く吸い込んだ。

相変わらずかゆいところに手が届く木村綾乃は、この結婚式のブライダルアテンダー(世話役)だ。
下がり眉の優しく少し寂しげな顔立ちで、今日はシルバーグレーのブライズメイドドレス、髪は低い位置で乱れなくお団子にしている。

綾乃は以前、ヴェネチアのAX系ホテルに勤務していて、千世の新婚旅行を兼ねたイタリアウエディングで、ガイドとしてお世話になった。
万事おっとりした藤川家とちゃきちゃきした武田家だから、出発時から何をするにもまとまらず、イタリア旅行経験者と言うだけで引率を押しつけられ困憊していた澪は、マルコ・ポーロ空港に突如現れた彼女にどれほど救われたか。

プリンスを結婚式に呼んで姑をぎゃふんと言わせると云う、千世の野望は叶わなかったけれど、両家の無茶ぶりも沈着冷静に叶えてくれる凄腕をジェイが派遣してくれたことで、彼女の面目は保たれた。

綾乃は、床に広がったロングリバーレースヴェールを整えながら、ふとソーサーを持つ手に目をとめた。

「指輪は外してくださいね」

薬指には流れ星の指輪。
なぜ婚約指輪をはめないのかとジェイは不服そうだけれど、見るからに高価な一粒ダイヤ、失くしたりしたら大変だ。何より、この約束の指輪こそが澪にとっては愛の証だった。
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