桜ふたたび 後編
《いや、今日は遠慮しておこう。今度、メルの誕生日に伺うよ》

眉間のシワに顕れた恐怖と鼻のシワの嫌悪。フォークに伸ばしたアランの指先が微かに揺れた。

《誰のことです?》

《君の子ども》

《何か勘違いをされている。私に息子はおりません。形式上の妻はいましたが、それもロイズを解雇されたとたん、あっさりと離婚されました》

メルは男女どちらにもある愛称だ。ジェイは息子とは言っていない。
失敗に気づかぬアランは続けた。

《あなたのことだ、ご存じだとは思いますが、私はベルベル人移民の息子です》

己の民族を蔑称で呼ぶ。その卑屈さが、彼の原点であり原動力なのか。

彼の祖国・アルジェリアの歴史は他民族による侵略と敗戦の連続だ。
フェニキア、カルタゴ、ローマ、ヴァンダル、東ローマ、イスラム、オスマン、フランス。抵抗し、支配され、それでも民族の誇りを捨てず、だからこそ彼らは自らを、ベルベル(わけのわからない言葉を話す者)ではなく、アマーズィーグ(誇り高き自由人)と呼ぶ。

《父親は飲んだくれで、詰まらぬ喧嘩で早死にしました。母親は男たちに春を売って、私を育てたのです。その母も私が十二歳の時に体を壊して亡くなりました。それ以来、私は野良犬です。生きるために、残飯をあさり、狩りをした》

彼の本名はアシュラフ・カテブ。
カビール系アマーズィーグの父親はアルジェリア民族解放戦線の元戦士だったが、政情不安から逃げるようにアシュラフが三歳の頃フランスに亡命した。
運良くマルセーユで警備員(娼館の用心棒)の職に就いたが、彼らの居住地は失業者の集まりで犯罪も多かった。

孤児となった彼はコロニーを出て流転を繰り返す。
マドリード・パリ・フランクフルト・ロンドン。いずれも移民の多いスラム街だった。

ジェイは彼の境遇に哀れみを感じてはいない。
少年は叡知を武器に生きのびた。抜け目なく、しぶとく、したたかに。
< 235 / 271 >

この作品をシェア

pagetop