桜ふたたび 後編
Ⅻ 桜ふたたび

1、ルスカ

暗緑の森の輪郭から、サーモンピンクの朝焼けが炎のように揺らめき上り、星影の残る紫の夜を溶かしてゆく。そろそろ日の出だ。

ここはおそらく、北欧のどこかなのだろう。太陽は低く移動する。空は濃い蒼をしている。
長い夜が明けると、凛とした空に突然雲がやってきて、湖や針葉樹の森に陰と日向を走らせながら秋雨を降らす。

その雨も三日前から雪に変わった。

──今夜、決行しよう。

澪がここへ来て二十一回目の朝。

黄色いルスカ(紅葉)の白樺林がすっかり落葉した。
地面を覆っていたベリーの紅葉も、ナナカマドの実の真っ赤な色彩も、鏡のような湖の周りを縁取っていた黄金色の草波も、パウダーシュガーの雪が覆い消してしまった。
根雪になる前に脱出しなければ、長い冬に閉じこめられてしまう。

澪は待っていたのだ、このときを。

──木の実もベリーもなくなった。きっともう冬眠している。

森にはヒグマが棲んでいる。ナースが言っていた。

──まだ危険かしら……。やっぱり助けを待った方がいいかもしれない……。

いざとなるといつもの弱腰が顔を覗かせる。
澪は臆病風を振り払うように、頭の中で練り上げてきた計画を反芻した。

チャンスは一度だけ。失敗すればせっかく解けかかった警戒が復活してしまう。

澪は手をあわせて祈った。
その指にリングはない。教会へ向かう朝、約束のリングは外していた。
あと数時間で、その指には永遠の愛を誓う結婚指輪がはめられることになっていたのだ。
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