桜ふたたび 後編
3、死のオーロラ
キアラの推測は当たっていた。澪は夜の森を彷徨い続けていた。
病院の屋上でスケッチするふりをして周囲の地形は覚えた。
西側には病院正面から伸びる舗装道、人の出入りもあるから町へつながってるのだろう。けれどきっと、すぐに車で追いつかれてしまう。
他には道らしき道も民家もないけれど、唯一、東側の湖の対岸に小さなホテルのような建物が見えた。
湖沿いに歩き、そこへ逃げ込もうと計画していたのだ。
辺りは雪の白さでほの明るい。
星影に明らかになった森は思ったより起伏があって、道なき道に何度も足を滑らせた。湖を右手に見てと考えていたのに、畔側が大きく崩れているところも多く、少しでも歩きやすい地面を選んで進むうちに少しずつ方角がずれて、湖を見失ってしまっていた。
似顔絵を描いてあげたお礼に、ナースに頼み込んで差し入れてもらった手袋と厚手の靴下、頭からブランケットを被っているお陰で、額には汗をかくほどだけど、足先が引きちぎられそうに痛い。
澪は疲れて立ち止まり、空を仰いだ。
絹糸のように薄い雲が上空を流れている。氷片のような星はじっと動かない。樹と樹は思い思い勝手に生えているようで、それでいてきちんと等間隔に距離を保っているから、行けども行けども同じような風景が延々と続いている。
ずいぶん歩いたようで、少しも進んでいないのかもしれない。聞こえるのは木立から弾け落ちる雪の音だけだ。
体を休めるとすぐに凍えるような寒さがやって来る。
澪は何度も立ち止まっては己を鼓舞して前を目指した。
やがて体が思うように動かなくなってくると、疲労と寒さで全身が震え出した。
思考能力が薄れてゆく。
もうダメかと膝をついたとき、視界の先にほの明るい灯りが見えた。
オープン前のスキー場だ。明かりはかなり下方にある。澪は藁をも掴む思いで、雪の中を進んだ。
けれど、膝まで埋もれる新雪は疲れた体に重く、灯りは一向に近づかない。
目の奥が凍りそうな冷たさに涙が染みて、澪は堪らず目を閉じた。睫毛の上で涙の露が白い結晶になった。
〈望めば、失う……〉
澪はジンクスを追い払うように瞼をかっと開いた。
──諦めない。絶対にジェイの元へ帰るんだ。そして、ルナにダイヤを返す。生きて帰れば、きっとジェイが何とかしてくれる。
〈努力しなければ、幸せは逃げてしまう。掌を握って、しっかり掴んでおきなさい〉
澪は右手に拳を作ると、目前の木を掴もうと左手を伸ばした。
そのとき踏み出した足が空足を踏むように沈んだ。
アッと思う間もなく、澪は猛スピードで雪渓を滑り落ちていた。
病院の屋上でスケッチするふりをして周囲の地形は覚えた。
西側には病院正面から伸びる舗装道、人の出入りもあるから町へつながってるのだろう。けれどきっと、すぐに車で追いつかれてしまう。
他には道らしき道も民家もないけれど、唯一、東側の湖の対岸に小さなホテルのような建物が見えた。
湖沿いに歩き、そこへ逃げ込もうと計画していたのだ。
辺りは雪の白さでほの明るい。
星影に明らかになった森は思ったより起伏があって、道なき道に何度も足を滑らせた。湖を右手に見てと考えていたのに、畔側が大きく崩れているところも多く、少しでも歩きやすい地面を選んで進むうちに少しずつ方角がずれて、湖を見失ってしまっていた。
似顔絵を描いてあげたお礼に、ナースに頼み込んで差し入れてもらった手袋と厚手の靴下、頭からブランケットを被っているお陰で、額には汗をかくほどだけど、足先が引きちぎられそうに痛い。
澪は疲れて立ち止まり、空を仰いだ。
絹糸のように薄い雲が上空を流れている。氷片のような星はじっと動かない。樹と樹は思い思い勝手に生えているようで、それでいてきちんと等間隔に距離を保っているから、行けども行けども同じような風景が延々と続いている。
ずいぶん歩いたようで、少しも進んでいないのかもしれない。聞こえるのは木立から弾け落ちる雪の音だけだ。
体を休めるとすぐに凍えるような寒さがやって来る。
澪は何度も立ち止まっては己を鼓舞して前を目指した。
やがて体が思うように動かなくなってくると、疲労と寒さで全身が震え出した。
思考能力が薄れてゆく。
もうダメかと膝をついたとき、視界の先にほの明るい灯りが見えた。
オープン前のスキー場だ。明かりはかなり下方にある。澪は藁をも掴む思いで、雪の中を進んだ。
けれど、膝まで埋もれる新雪は疲れた体に重く、灯りは一向に近づかない。
目の奥が凍りそうな冷たさに涙が染みて、澪は堪らず目を閉じた。睫毛の上で涙の露が白い結晶になった。
〈望めば、失う……〉
澪はジンクスを追い払うように瞼をかっと開いた。
──諦めない。絶対にジェイの元へ帰るんだ。そして、ルナにダイヤを返す。生きて帰れば、きっとジェイが何とかしてくれる。
〈努力しなければ、幸せは逃げてしまう。掌を握って、しっかり掴んでおきなさい〉
澪は右手に拳を作ると、目前の木を掴もうと左手を伸ばした。
そのとき踏み出した足が空足を踏むように沈んだ。
アッと思う間もなく、澪は猛スピードで雪渓を滑り落ちていた。