桜ふたたび 後編
Ⅲ エコ・ド・ヴィブレ

1、泉岳寺

朝からしょぼ降っていた雨が、ようやく止んだと思ったら、また雲行きが怪しくなってきた。空は明るくときおり薄日も差すのに、視界の先は靄んでいる。

澪は、高層ビル群を見上げて、大きな大きな溜め息を吐いた。

澪の記憶の中の東京は、十年以上も昔、それも善福寺公園近くの静かな住宅地。こんな大都会、お上りさんになった気分。
どこへ行っても人が多い。時間の流れが枕崎とも京都とも違う。交通も人の往来も、隣で交わされている会話さえ忙しくて、澪は完全に取り残されていた。

歩道の僅かな凹みに雨が浮いている。澪はふと立ち止まり、水たまりの手前のおぼつかない足元を見つめた。

結局今回も、ジェイが敷いた〝結婚を前提〞としたレールに乗せられてしまった。
ホテルのみんなや玲に祝福の拍手で見送られ、なずなや伯母まで結婚式に思いを馳せているのを前にしたら、今さら結婚はしないなどと伯父に切り出す勇気は、出そうにない。

それに、ジェイが先々のことまで考えてくれていたなんて思ってもいなかったから、(口にした時点で準備万端、今までの彼の行動パターンを鑑みれば予想できたはずだけど)、ますます断りづらくなってしまった。

何をしても中途半端だ。これでは一年前と何も変わらない。この小さな水たまりでさえ、飛び越えられないのだから。

長い坂道をとぼとぼと上り、やっとマンションのアプローチに辿り着き、澪は瀟洒な建物に大息とは違う息をついた。
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