桜ふたたび 後編
相変わらず静かなマンション。他に誰か住んでいるのだろうか? 
ここに引っ越してきて一週間、フロントコンシェルジュ以外の人を見かけたことがない。辺りは豊かな緑に囲まれて、鳥や昆虫たちの宝庫だというのに、夏休みに子どもたちの遊ぶ姿もない。

それでも日中は、ルーフバルコニーに花を植えたり、買い物がてら近所を探訪したりと、気を紛らすこともできるけど、夜は落ち着かない。
遮音された部屋は、風の音も、鳥や虫の声も、自動車やバイクの音さえも聞こえないから。

音のない世界がこんなに恐ろしいものだと、澪は初めて経験した。
閉塞感に胸苦しくなって、ベッドを跳ね起きバルコニーで窒息寸前の息を吐く。
しばらく夜風に当たりながら、暗闇の先に眠らない街明かりを眺めていると、今度は世界にひとり取り残されてしまったような孤独感に襲われてしまう。

いくどスマホを手にしたことか。Jの文字を見つめながらいつも迷う。ニューヨークは昼間。つまらないことで電話をして、疎ましく思われたくない。
今日こそは連絡があるだろうと自分を納得させ、心細さにテレビをつけてソファーで膝を抱いて夜を明かす。
いくら待っても、澪の気持ちがジェイに伝わることはなかった。

──遠い。

東京へ来てから、ジェイとの距離がかえって離れてしまった。

それは澪が、ふたりの生活に甘い夢を見すぎていたからだ。一緒に暮らせば、いつでも彼が側にいてくれるものと勝手に思いこんでいた。
現実は、ひとり暮らしをしていた頃より、よっぽど独りだった。
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