桜ふたたび 後編
放心したように庭を眺める横顔に、マダム・ネリィの物憂い視線が向けられていた。

【スノーフレークは高山植物ですよ】

スノーフレークは早春、雪の中から白く可憐な鈴のような花を咲かせる。俯きながら咲く姿は清楚だが、花弁の先に緑色の班を有し、凛とした輪郭を見せる姿は、確かに澪に似ている。
花言葉は〝純粋〞〝汚れなき心〞〝慈愛〞。

【薔薇の花園に置けば、棘に触れて血を流すだけです】

【スノーフレークはアルカロイドをもつ有毒植物です。動物から身を守る術は備わっている】

【そう、そして毒は薬にもなる。アルツハイマーの治療薬にも利用されていますね】

【ええ、問題は、彼女がその価値に気づいていないことです。可能性はあるのに自己評価の低さが妨げている。だからマダムにお預けしたい】

【彼女に鋭い棘を持たせたいのですか?】

【いいえ】

ジェイはきっぱりと首を振った。

【彼女は彼女のままで、血を流さずに済む方法を身につけさせたい】

マダム・ネリィは小さく息を吐いた。

【難しいことを仰るのね。とても危険な賭です。一歩間違えれば、人格を破壊しかねません】

【もし、彼女がこの世界で生きられないのなら、私が捨てるしかありません。最大の障害は、アルフレックスという家名なのですから】

【どうしても彼女でなければならないのですね?】

【はい】

マダム・ネリィは長考した。ローズガーデンの葉隠れに見える白いガゼボから、微かに女たちの笑声が風に乗って聞こえてくる。彼女は難しそうな顔を浮かべ、そうしてようやく決意したようにジェイを振り返った。

【わかりました。知識を身につけることは、一助にはなるでしょう。彼女が自ら覚醒するまで、私が導き守りましょう】

「澪」

マダム・ネリィに名を呼ばれ、澪は鯱張った。百合は百合でもカサブランカ。高貴すぎる。

「こちらへ。みなさんにご紹介しましょう」

そう言うと、マダム・ネリィは後ろも振り向かずゲストの間を抜けてゆく。

わけがわからず澪は救いを求めるようにジェイを見た。彼はただ口元に笑みを浮かべて、従いなさいと言うように頷くだけ。
そう、いつだって彼は、澪を強引に連れ回しておいて存在を忘れてしまうくせに、せっかく温めた壁からも平然と引きはがす。
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