桜ふたたび 後編
澪はがっかりした。
家庭教師の契約の際に柏木から聞かされた彼女の経歴は晴れやかで、ケンブリッジ大学を卒業後、パリの日本大使館に勤務、帰国後は英語・フランス語・ドイツ語の通訳をしていると紹介され、きっと颯爽としたバリキャリだと、会うのが怖かった。
それが、意外にも普通のひとで、ちっとも偉ぶらないし、身なりも言動も常識的だから、すっかり同じ庶民仲間だと気を許していたのだ。

きっと彼女は、物の値段を先に確認したりしない。高いからと欲しいものを諦めたりしない。半額シールに飛びついたり、残り少なくなったシャンプーや洗剤を水で薄めたりしない。

「私がサロンへ入校したのは、日本の礼儀作法を学ぶためです。子どもの頃からずっと外国暮らしで、日本人の謙遜や遠慮という感覚が理解できなかったから」

なるほどと澪は頷いた。ジェイもそこのところ、うまくない。というより持ち合わせる気もない。

葵は澪の前に再び腰を下ろすと、

「ところが廻りは、セレブ婚狙いのお嬢様か、ディプロマの欲しいミニマダムばかり。彼女たちは、親の職業、出身校、住まい、ファッションアイテム、果てはパートナーの家柄や年収まで、すべてを格付けしたがる。表面は笑顔でも、腹の底では他人のチェックばかり。でも一番醜いのは、自分は彼女たちとは違うと思いながら、いつの間にか見栄を張っている自分自身ですね」

脇腹を短刀で突かれたようで、澪はますます項垂れた。

サロンへ行くたび、足の先から頭の天辺まで値踏みする視線に曝される。背伸びしても仕方がないと思うけれど、ジェイのことまで見くびられてしまいそうで、何とか少しでもよく見せたいと思ってしまう。だけど同じ土俵に上がったら、どんどんエスカレートして自分を見失いそうで恐ろしい。
今、澪はジレンマのまっただ中にいた。

「それでも確かに見た目は重要です。セルフプロデュースは、社交の場ではとても大切な要素だから。特にあなたのように、社会的立場のある方をパートナーに持っていると、彼の信用度まで推し量られてしまいます」
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