桜ふたたび 後編
翌日、会食に出向いたジェイは、ウェイティングルームのカウンターにサーラを見つけ、舌打ちした。
「リン、君もか」と呆れ顔で振り向いたジェイに、彼女は気まずく一礼して引き上げてゆく。アイスドールとて、AXグループ最高権力者の命令には逆らえない。

それにしても、ブルックリンからロウアーマンハッタンの夜景を一望するムーディーな高級フレンチレストランなど、商談の場としては相応しくない。見え透いた手に易々と引っかかってしまったものだ。

《ご友人の結婚式でいらしたのでしたね》

案内されたテーブルでメニューを開いたジェイは、キールを口に訊ねた。無論、興味などない。

《はい、リセのクラスメイトが、明日、ボストンで挙式します》

《と言うことは、まだ十代ですか?》

若いとは思っていたが、いくら何でも幼すぎる。

《運命に年齢は関係ありませんもの》

衒いも躊躇いもないサーラに、決意表明のつもりかとジェイは心の中で苦笑した。
思惑渦巻く婚姻を運命に置き換えるとは、彼女はまだ恋に恋する乙女なのだ。

ふと目を上げると、サーラはじっとこちらを見つめ続けている。窓一杯に広がる夜景にも引けを取らない美しい瞳を輝かせながら。

《学校はどちらに?》

《リセ・ジャンソン=ドゥ=サイイの最終学年です》

《では、卒業後はグランゼコールへ進まれるのですか?》

《父は、ソルボンヌで哲学を学ぶようにと》

せっかく掴んだエリート街道よりも、両親の望むとおりに歩むと、サーラは何の疑いもなく言う。

昨夜のドレスとは打って変わった若々しいシフォンワンピース姿は、清楚と淡雅を兼ね備えている。ピアノの生演奏に耳を傾けるさりげない仕草にも、嫌味のない上品さを感じさせる。そのうえ言葉には駆け引きや打算のない順良さがあった。

おそらく彼女は、他人に妬心や引け目を感じたことがないのだろう。
塵埃から離れたところに彼女はいる。棘をもたなくとも、北欧王室とフランス名門貴族の血脈という高貴な出生が、他の追随を許さない。

ジェイはサーラとの会話に心地よさを感じている自分が鬱陶しかった。こんなところを澪が見たら、目に一杯の涙を溜めて哀しげに背を向けられてしまいそうだ。
能弁な口より、もの言わぬ唇の方が怖ろしい。彼がもっとも怖れているのは、澪の沈黙だった。

─―あいつはすぐに拗ねるから。

〈もう尻に敷かれているのか〉

アレクの声がしたようで、ジェイは思わず苦笑いした。
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