桜ふたたび 後編
『わかりました。視察はパリの者を向かわせます』

『あなたが行きなさい』

サンルームの向こうの青芝に目をやり、感情のない声で命ずるマティーに、ジェイはあえて訊ねた。

『私が行く必要があるとは思いませんが?』

『プロジェクト再開の条件は、言わなくてもわかるだろう?』

そう言うのを日本では蛇足と言うのだ。

『今回のことは諦めてください。私には結婚を約束した女がいます』

『あなたがAXに与えた損害を、どう償うの?』

『今後の仕事で返すなどと青臭いことはやめてくれよ。落ちたイメージを払拭するには、話題性というスパイスが必要だ。AXグループとロイヤル・シェルグループとの提携を、アルフレックスの息子とデュバルの娘の結婚で、華やかに飾ってくれ』

『できません』

ジェイの峻拒に、食器の音と共に卒然とマティーが席を立った。
何事かと見つめるジェイに、彼女は腹の底から突き上げるような声で、言った。

《ジェイ、彼女との結婚は許しません》

まさかのフランス語。初めて感情的になった母の姿だった。

《一ヶ月後、サーラと婚約してもらいます。どうしても彼女と別れられないと言うのなら、愛人になさい。フェデーのように》

テーブルを叩くほどの沈黙があった。
そして、まるでハイドがジーキルに戻ったように、マティーはいつもの氷の表情でドアへ向かって歩き出した。唖然と言葉を失うジェイを、一目することもなく。

ドアが閉まると同時に、胸に書類が叩きつけられた。
中身を見なくても直感した。思わず書類を握りつぶしたアースアイに、隠しきれない動揺の色が走った。

『諦めろ。その女のためにも』

エルモの勝ち誇った顔に、ジェイは目を瞑り奥歯を噛みしめた。

─―やられた。
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