桜ふたたび 後編
それでもなんとか持ち直して、

「報われなくてもいいんです。わたしが彼を好きなんですから」

「そうやって自分に言い聞かせているだけだろう? 本当は誰よりも愛されたいくせに、あいつのご機嫌を損ねて捨てられるのが怖くて、物わかりのいいふりをしているだけさ」

顔が強張っているのが自分でもわかった。

「意地張ったって、疲れるだけじゃん。なぁ、無理せず、俺とつき合おうよ」

澪は前言を撤回した。正直すぎる言葉は、人を不快にする。

「だから、わたし、彼と結婚するんです」

「そんなお先真っ暗な顔して結婚なんて言われても、うまくいかないのは目に見えてるよ。もう、スカ~と逃げちゃおうよ。俺が受け止めるからさ」

澪はハッとした。

──逃げちゃおうよ。

誰も言ってくれなかった。ジェイもマダムも、いつも困難に立ち向かわせようとばかりする。

──逃げちゃおうよ。

何て甘美な響きだろう。そう、〝逃げればいい〞。

傘の花ごと振り仰いだ澪に、辻が手を差し伸べた。
食虫植物に誘われるように澪の手が伸びたとき、突然、ふたりの間で呼び出し音が鳴った。

「やっべ! 遅刻だ」

辻は弾かれたように顔を上げた。

「ごめん、クライアントを待たせてるんだ。続きは次に会ったときに。うまい焼き鳥でも食べに行こう。じゃ!」

スマートフォンを耳に人混みに呑まれて行く後ろ姿に、澪は愕然として背を向けた。
自分がいま何をしようとしたのか、指先の震えが止まらなかった。
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