桜ふたたび 後編

5、古城

パリ七区、フォーブルサンジェルマンに建つ邸宅で、ジェイは白蝶貝のカフリンクスを留めながら、窓外のエッフェル塔に暗鬱な目をやった。

予定なら今ごろ東京で澪を抱きしめているはずだった。手配した航空チケットが知らぬ間にキャンセルされていたのだ。

澪がまた良からぬ方向へ考えていそうで、何としてでも戻ろうとプライベートジェットで強行突破を謀ったが、パイロットまで買収して、降りた先がパリだったとは、さすがやることに卒がない。

対抗手段はある。だが下手に離反すれば、彼らのターゲットは澪へ向くだろう。

──まだ早い。

今、彼らの魔手から澪を守る術を、ジェイは持たない。

『難しい顔ね』

振り返ると、スカーレットのローブ・デコルテの女が腕組みしてドアにもたれていた。

『やけにめかしこんでいるな』

ドレスアップした妹を見るのは、何年ぶりだろう。
陽焼けした褐色の肌、無駄のない筋肉質の腕。社交界にいた頃の美姫ぶりとはまったくの別人だ。だがこの野獣のような冴えた美しさが、彼女の本質なのだ。
首が折れそうなハイジュエリーは興醒めだが、これもマティーが用意したものだろうからルナに罪はない。

ルナは鼻を鳴らすと、右拳に付いた血をハンカチに擦り付け、鬱陶しそうに重い裾をたくし上げた。

花やツタが絡みつくような曲線的で繊細な装飾が施されたテーブルとチェア、窓の欄間はエミール・ガレのステンドグラス、ガラスキャビネットに飾られたガラスの花瓶には薔薇が、シャンデリアやウォールランプには山葡萄が描かれている。
アールヌーボー様式のこの華麗な屋敷は、十九世紀末に建てられたマティーの生家だ。一度は他人の手に渡りアパルトマンとなったものを、婚家の財力で買い戻した。
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