桜ふたたび 後編
『あなたのスケジュールと相談していたら、結婚式なんていつまで経ってもできやしない』

『私はすぐにでも挙式したい。澪の覚悟ができていないんだ』

『そうね。ミオがあなたと結婚するには、捨てるものが多すぎる。不安になる気持ちもわかるわ』

『私は彼女に何も捨てさせるつもりはない』

ルナは首を振った。

『全く異なった軌跡を描いてきた円を、一つにするのよ。どこかを削らなければ、うまくシンクロしないわ。あなたは何も捨てるつもりがない。彼女はこれまでのアイデンティティやイデオロギーや人間関係を捨てて、あなたに合わせなければならないと思っているはずよ。愛のためとはいえ、容易なことではないわ。それとも、あなたが仏教徒に改宗する? 少しは歩み寄ってあげなさいよ。また捨てられる前に』

『厭なことを言う奴だな』

ジェイは苦笑した。

〈惚れた男のためには、何を犠牲にしても尽くすだろう〉

真壁が危惧した澪の性質を利用して、彼女にばかり急速な変革を求めているのは確かだ。

石が清流に転がり洗われ自然と美しい形に磨かれるように、時間をかけ互いに生活を整えて行くことが最善だとわかっている。
しかしそれでは、容赦ない豪雨に見舞われたとき濁流に飲み込まれてしまう。そのうえ嵐の動きは予測以上に速い。

ノックがして、モデルばりの華やかな容姿の男が現れた。これもマティーの趣味か。澄ました顔をしているが、口元に殴られた痕が痛々しい。

ジェイはテールコートを手に立ち上がり、自問するように言った。

『彼女の歩調に合わせてやりたい。だが、今、私が足を止めると、ふたりとも振り落とされてしまう。彼女自身が自分の足で追いつかなければ、私たちは一緒には生きられない。澪も理解している。──頭では理解しているんだ』

突然、喉を鳴らすように風が唸り、ジェイの背後で窓硝子が音をたてた。気づかぬうちに暗くなった窓の外で、烈しい雹が打ちつけた。
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