桜ふたたび 後編
着席を促すフィリップの声に、ジェイの眉間が一瞬、不快な皺を作った。
何だろうと探ろうとしたとき、ジェイの奥からマリアンヌのやわらかな声がした。

《アフリカで子どものための救済活動をされているのですね。ご立派ですわ》

《いいえ、己の非力が腹立たしくなります。私たちが今こうしている間にも、餓死する幼い子どもたちがいるのですから》

《いや、これはやられました》

フィリップは朗らかに笑った。マリアンヌとサーラは、仰るとおりだと惻隠の情を浮かべて頷いている。

──脳天気な親子!

発射寸前の暴言を、ジェイに視線で窘められ、ルナは苦々しく唇を結んだ。

《このとおりのじゃじゃ馬娘で》

フェデーが白々しく言う。

《いやいや、大変気に入りました》

あらぬ方向から声がして、一同の視線がルナの背後に向けられた。
ルナは、声の陰湿さから顔を向けることもしなかった。見ればもっと胸くそが悪くなるに決まっている。

《サミュエル・バッハ。サミーで結構ですよ、ルナ》

ぬめった唇が手の甲に触れ、ルナは気持ち悪いとドレスの尻で拭った。
迂闊だった。さっきジェイが怪訝な表情を浮かべたのは、マティーとルナの間に本来いるべきサーラのエスコートが、空席だと気づいたからだ。

それにしても、厭な目つきだ。一廉の紳士だが、瞳が濁っている。フィリップがみごとにベールで包んでいる欲望を、隠そうともしない貪欲な目だ。

フィリップは上機嫌に、シャンパングラスを手にした。

《甥っ子です。仕事の方はもっぱら彼に任せきりで。今回のお話も、彼を交渉役とさせていただきます》

《それは頼もしい》

こちらの父は何を考えているのかいまいち読めない表情で、シャンパングラスをサミュエルに向かって掲げた。

《彼は三度結婚に失敗しております。まあ、人生に失敗はつきものですし、やり直せるのもまた人生です》

フィリップに笑顔を向けられ、ルナはマティーを睨んだ。
母は憎らしげに咎める視線を平然と受け流して、マリアンヌに向かって感情のない笑顔を向けた。

《これを機会に、どうぞ末永く両家のおつき合いをさせてください》
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