ベリーズのカフェで働いていた頃、極道に溺愛された話
昔、ベリーズに住んでいた。中米の小国だ。私が暮らしていたときはイギリス領ホンジュラスという名前だった。その国で一番大きいベリーズシティという港町のカフェで私は働いていた。ある日、日本から旅行客が来た。精悍な男だった。どことなく悪な雰囲気を漂わせていた。ジャングルのジャガーを撃つのだと言って大きな猟銃を持参していた。
「仕事を休んで、一緒に行かないか?」
愛し合った後で男は唐突に、そう言った。
「どこに?」
「ジャングルだよ」
「危ないわよ」
「ジャガーなら怖くない。大物をハンティングに来たんだ。出くわしたら、射殺する」
ベッドの中で男はニヤッと笑った。物騒なのは猛獣だけじゃない、と私は言った。
イギリス領ホンジュラスは当時、隣国のグアテマラとの関係が悪化していた。領土問題が発生していたためだ。グアテマラは国境に軍隊を配置し圧力を掛けた。対抗してイギリスも軍隊を増強した。ジャガーが生息している国境沿いのジャングルは両軍が睨み合い、一触即発の危険地帯と化している。
「そんなとこへ行って紛争に巻き込まれたら、どーすんの」
そう言う私に男は背中の刺青を見せた。
「俺は極道だ。切った張ったの大立ち回りには慣れている」
だからといって自分が撃たれかねないジャングルの奥地へ行かなくとも良いだろう……しかし、のこのこ一緒に出かけた私に偉そうなことは言えない。若さゆえの過ちというやつだ。しかし過ちを犯したのは、それだけの理由があるからだ。何しろ、あの男はカネがあった。その後に比べると安かったが、それでも当時の日本円は強く、海外では使い出があったのだ。
現地に行って、男は落胆した。狩猟ガイドたちは口を揃えて「ジャガーたちは大勢の兵隊を恐れて姿を消した」と言ったのだ。
「なんだよ、畜生め! ここまで来てジャガーを撃てないっていうのかよ! こんなの、やってられないってんだ!」
男は怒り、酒を浴びるように飲んだ。そして宿で私を溺愛した。まるで私が猛獣の雌だと勘違いしているような激しさだった。
疲れた男がいびきをかいて寝ている夜明け前、私は宿のベランダから外を見た。ジャングルの上は星明りが眩しい。地表は暗黒に包まれている。虫や鳥の鳴き声が聞こえてきた。その音がピタリと止まった。闇の中に二つの光が見えた。よく見てみると、二つの光が一緒に動いていることが分かった。さらに目を凝らす。光は私に近づいていた。それが獣の目だと分かったのと、私の悲鳴。どちらが先だったのか。光が獣の目だと気付いたことの方が、わずかに早いだろう。獣の動きは、もっと早かった。獣が近づいているというのに動けずベランダで立ち尽くす私に飛びかかる。
狩猟ガイドが後から教えてくれた。襲ってきたジャガーは、親離れして間もない子供だったから、貴女は助かったのだ、と。
狩りに慣れていない子供の個体だったので、獲物との間合いを測れず、ベランダの柵に当たって無様に引っ繰り返った。私の悲鳴を聞いて宿の他の客が騒ぎ出し明かりを灯したものだから、私を襲撃したジャガーは驚き、その場を逃れた。おかげで私は難を逃れたのだ。
その間、男は起きなかった。ホテルの中は大騒ぎだったのに、泥酔していて夢の中だったのだ。
翌朝、目覚めてから男は事実を知った。そして怒り出した。
「どうして俺を起こさなかった! ああん? あれだけ俺がジャガーを撃ちたいって言っていたのによ、てめえ、俺を舐めてんのか!」
そして男は私を何度も殴り蹴り、それから猟銃の先を私の口の中に押し込んだ。
「お前ら女は皆、男から痛めつけられるのが大好きな屑だ。俺はちゃんと知っているんだ。お前らの好みをよ! お前らが好きなのはヴィラン、ワルい男、極道、不良、総長、そんなのばっかりだ。小説投稿サイトを見て勉強してっから、分かるんだよ!」
男は猟銃の引き金を握る指に力を込めた。カチリと大きな音が鳴った。私は絶叫したが筒先を押し込まれた口からは「ホガホガ」という空気しか漏れなかった。そんな私を見て男は笑った。
「弾丸は入れてねえよ、バカ! ここで撃ち殺すわけねえだろバカ。おまえ、本当にバカだな! ギャハハ、獣以下のオツムだな」
それから男は私を溺愛した。男は結局ジャングルでの日々をジャガー退治ではなく私を溺愛することに費やした。
男とはベリーズシティの街角で別れた。日本の暴力団の総長だか若頭という肩書の男は別れる時、私に米ドルを幾らか支払った。それから今日まで、一度も会っていない。もう名前も忘れた。でも、溺愛された思い出だけは消えていない。忘れられないのだ。あんなにも溺愛された体験は、あれが最初で最後だった。
「仕事を休んで、一緒に行かないか?」
愛し合った後で男は唐突に、そう言った。
「どこに?」
「ジャングルだよ」
「危ないわよ」
「ジャガーなら怖くない。大物をハンティングに来たんだ。出くわしたら、射殺する」
ベッドの中で男はニヤッと笑った。物騒なのは猛獣だけじゃない、と私は言った。
イギリス領ホンジュラスは当時、隣国のグアテマラとの関係が悪化していた。領土問題が発生していたためだ。グアテマラは国境に軍隊を配置し圧力を掛けた。対抗してイギリスも軍隊を増強した。ジャガーが生息している国境沿いのジャングルは両軍が睨み合い、一触即発の危険地帯と化している。
「そんなとこへ行って紛争に巻き込まれたら、どーすんの」
そう言う私に男は背中の刺青を見せた。
「俺は極道だ。切った張ったの大立ち回りには慣れている」
だからといって自分が撃たれかねないジャングルの奥地へ行かなくとも良いだろう……しかし、のこのこ一緒に出かけた私に偉そうなことは言えない。若さゆえの過ちというやつだ。しかし過ちを犯したのは、それだけの理由があるからだ。何しろ、あの男はカネがあった。その後に比べると安かったが、それでも当時の日本円は強く、海外では使い出があったのだ。
現地に行って、男は落胆した。狩猟ガイドたちは口を揃えて「ジャガーたちは大勢の兵隊を恐れて姿を消した」と言ったのだ。
「なんだよ、畜生め! ここまで来てジャガーを撃てないっていうのかよ! こんなの、やってられないってんだ!」
男は怒り、酒を浴びるように飲んだ。そして宿で私を溺愛した。まるで私が猛獣の雌だと勘違いしているような激しさだった。
疲れた男がいびきをかいて寝ている夜明け前、私は宿のベランダから外を見た。ジャングルの上は星明りが眩しい。地表は暗黒に包まれている。虫や鳥の鳴き声が聞こえてきた。その音がピタリと止まった。闇の中に二つの光が見えた。よく見てみると、二つの光が一緒に動いていることが分かった。さらに目を凝らす。光は私に近づいていた。それが獣の目だと分かったのと、私の悲鳴。どちらが先だったのか。光が獣の目だと気付いたことの方が、わずかに早いだろう。獣の動きは、もっと早かった。獣が近づいているというのに動けずベランダで立ち尽くす私に飛びかかる。
狩猟ガイドが後から教えてくれた。襲ってきたジャガーは、親離れして間もない子供だったから、貴女は助かったのだ、と。
狩りに慣れていない子供の個体だったので、獲物との間合いを測れず、ベランダの柵に当たって無様に引っ繰り返った。私の悲鳴を聞いて宿の他の客が騒ぎ出し明かりを灯したものだから、私を襲撃したジャガーは驚き、その場を逃れた。おかげで私は難を逃れたのだ。
その間、男は起きなかった。ホテルの中は大騒ぎだったのに、泥酔していて夢の中だったのだ。
翌朝、目覚めてから男は事実を知った。そして怒り出した。
「どうして俺を起こさなかった! ああん? あれだけ俺がジャガーを撃ちたいって言っていたのによ、てめえ、俺を舐めてんのか!」
そして男は私を何度も殴り蹴り、それから猟銃の先を私の口の中に押し込んだ。
「お前ら女は皆、男から痛めつけられるのが大好きな屑だ。俺はちゃんと知っているんだ。お前らの好みをよ! お前らが好きなのはヴィラン、ワルい男、極道、不良、総長、そんなのばっかりだ。小説投稿サイトを見て勉強してっから、分かるんだよ!」
男は猟銃の引き金を握る指に力を込めた。カチリと大きな音が鳴った。私は絶叫したが筒先を押し込まれた口からは「ホガホガ」という空気しか漏れなかった。そんな私を見て男は笑った。
「弾丸は入れてねえよ、バカ! ここで撃ち殺すわけねえだろバカ。おまえ、本当にバカだな! ギャハハ、獣以下のオツムだな」
それから男は私を溺愛した。男は結局ジャングルでの日々をジャガー退治ではなく私を溺愛することに費やした。
男とはベリーズシティの街角で別れた。日本の暴力団の総長だか若頭という肩書の男は別れる時、私に米ドルを幾らか支払った。それから今日まで、一度も会っていない。もう名前も忘れた。でも、溺愛された思い出だけは消えていない。忘れられないのだ。あんなにも溺愛された体験は、あれが最初で最後だった。