専属SPは今回限り
SP
誰かがアタックしたバレーボールが、見事に令嬢の左側頭部へ直撃した。「ゴメン、避けて!」の声がやけに鮮明に俺――和泉敬斗の耳にも入って、まさかと思って振り返ったらこれだ。一部始終がめちゃめちゃスローモーションで見えて、ぶっちゃけ胆が冷えた。
俺、アイツにSP頼まれてたのに。
非公式とはいえ、本人から直接頼まれたのに。
「あのドジッ」
授業とはいえ、白熱してた試合を中途半端に放り出すなんて、今までだったら有り得なかった。体を動かすのが心底好きだから、いつだって試合優先なんだ。
なのに、気が付いたらボールを追いかけていた視線を令嬢へ向けていて、最短経路を走り抜いて、膝を折ってうずくまっている令嬢の元にいた。ぶっちゃけほぼ無意識。ちょっと自分でも引くけど。
「鴨重?」
声をかけてみる。顔が上がらない。
「ワリィ。俺汗かいてっけど我慢して『ください』」
しっかり声をかけてから、うずくまる令嬢の身を抱え起こして、目線を確認。あ、ちょっと脳震盪気味だな。全然焦点が合ってないし、視線も合わない。多分景色ぼやけてんだろうなぁ。
「けーと、くん?」
うん、声も細くて揺れてるし、意識はあるのに体が思いどおりに動かねーんだろう。
「紗良?! 大丈夫?!」
「か、鴨重さん?!」
うーん、女子たちのキャーキャーがうるさい。静かなとこで横にしといた方がいいんだが。
「伊達」
「え?」
「あとよろしく」
「はん?!」
ボソ、と一番近くにいた伊達へ告げて立ち上がる。そのまま体育館の出入口に向かってダッシュ。連れ去りみたいなかたちになってしまったけど、一にも二にも令嬢の意識安定が最優先だから。
「スゲーときめきだ!」
「ああ、ときめきだ」
続々と体育館内で挙がる、キャーとかうおおとかの盛り上がっている声を背に、俺は淡々と保健室へ急いだ。
♡ ◇
ガラリと保健室の扉を開けて、手近のベッドへ令嬢をそっと横たえる。なんだよ誰もいねぇ。マジか、ありえん。
「おっ、あだっ、抱っ、敬、えっ?!」
「おう、ハッキリしてきたか? 『お嬢様』」
冗談めかして令嬢を窺う。うん、さっきよりも焦点は合ってるし、俺を見て極太油性マジックのピンクで粗く塗り潰したようにその顔を見事に染め上げて、肩をきゅんと縮めている。よかった、金曜とか朝のコイツと同じだ。
「あああのわったわたわっ私っわたっ」
「ブフッ! 何? 落ち着けよ、鯉みてぇンなってんぞ」
「だばっだっだ、だって」
口をパクパクさせている鴨重がなんだかおかしくて、つい腹を抱えた俺。ちょっと安心した。なんでもなくて、ひとまずよかった。
「今、どこも変じゃないか? 揺れてる感じするとか。頭ガーンやられたらグラグラすんのよくわかるし」
「う、うん、大っ丈夫、うん」
まばたきを多めに、俺から目を逸らす令嬢。なぜかゆっくりと起き上がろうとするから、「安静にしてろ」と制して仰向けにさせておく。
「ったく、ドジだなぁ『お嬢様』。ボーッとして頭にボールぶつけてんじゃねぇ『ですよ』」
「ぼっ、ボーッとなんて、してないもんっ。あと、学校で『お嬢様』って呼ぶのやめて」
おう、出た出た悪態つき。肩を竦めて腰に手を当てた俺は、やれやれと溜め息をひとつ。
「じゃあなんであんなボーッとしてたん『ですか』。いくらなんでも不注意すぎでは?」
正直、令嬢のドジさを全く理解できていない。だってボールなんて、気配でなんとなくかわせるだろ? え? 俺だけ?
「ちょおっ! ちょ、っと。その」
「んー?」
「えと。だから、その。バ、バスケを、集中して見てて」
うう、と仰向けの膝を抱えるように曲げる令嬢。「はあ?」とぐんにゃりする俺の顔面。
「けっ、和泉くんが頑張ってるの、お、応援、したかったっていうか、その」
「なっ……」
ドキリと、令嬢の潤んだ双眸に心臓を掴まれたような。う、バレちゃまずい。右手の甲で口元を隠す。
「ばっ、バーカ。俺は応援なんかしなくたって絶対に勝つしだな、そのっ、しかもバスケはチームプレイだし、俺一人っつーわけにもいかねぇわけでだなっ」
「うん? う、うん」
いや、何言ってんだ、俺。ほら、令嬢もハテナで苦笑いだぞ。
「えと、だからそのっ」
本当は、「なんでもなくてよかった」とか「俺がその場にいたのにスミマセン」とかを、素直に言ってやるのが一番だってわかってる。だが残念ながら、そこまで素直に言えるほど大人じゃない。歯痒い話だが。
「あの、和泉くん。今回も助けてくれて、ありがとう」
「いや。た、助けれてない『ですよ。SPとしての役目は果たせておりません』」
「けど、試合中だったのに私のとこに駆けつけてくれたの、嬉しかったから」
「そりゃ、まぁ。SPとして当然っつーか」
ハの字になる眉。申し訳ないなと思いながら令嬢へ臨むも、コイツはなぜか逆に、言葉どおりずっと嬉しそうにしている。うーん、令嬢が何を考えてるのかさっぱりわからん。
「今回は学校の中のことだもん。SPを頼んでたわけじゃないし、まして授業中だったじゃない。それでも駆けつけてくれて、周りの目とか、あったのに……」
やっぱりゆっくりと起き上がる令嬢。顔色も良さそうだし、多分もう大丈夫だろう。更にふにゃと笑まれて、紅潮した頬に首筋がむず痒くなるのがわかった。
「ほっ、本当は、今日からコソコソ護衛してこうって、思ってたんだ」
たまらなくなって、見つけたばかりの言いやすそうな本心を告げようと意を決す。
「正直俺、一昨日からずっと『お嬢様の専属SPを務めさせていただいていると思っております』ってやつでさ」
「えっ?! で、でも、バイト代とか何にも、私」
「カネが重要なわけじゃねーから気にすんな。一度ならず二度までもってやつで、俺自身が不甲斐ねーし、だらしねーの。だから――」
小さく咳払いを挟む。令嬢の見開いた双眸が潤んで、きらりと光るのを見た。
「そんなとこばっか『お見せしてしまい、申し訳ございません。私の目の届く範囲では、以降必ずやお護り徹《とお》させていたしますことを、宣誓いたします』」
「そんな、けど」
「スゲーなって思ったんだよ、お前のこと」
ちょっとだけ前のめりになる俺。
「緊張しいで危なっかしいドジな鴨重も、家督を守ろうとして凛と振る舞うお嬢様のお前も」
あのたった四時間以内で、鴨重紗良の印象がガランと変わったことは、同時に俺の意識改革まで成した。
「ふたつとも精一杯やって、でも自分の枠からはみ出るような背伸びはしない鴨重を見て、尊敬、みたいな? 『お嬢様』が、俺の怪我したとこをちゃんと心配したり、大事なハンカチ裂いてでも気遣ったりできんのが、スゲーと思ったんだよ」
「和泉くん……」
「だから、恩返しだと思ってくれよ。要らねぇって言われても、『私めはお嬢様の専属SPですので、気の済むまで護衛させていただこうと思います』」
フッと頬が緩んで、深々と頭を下げた。
からかっているでも、不要だとされても、エゴだと思われてもいい。私生活を護れる位置にいる俺ができることを、鴨重に返したいかなって思っただけなんだ。
再び頭を上げた先の鴨重は、顎を引いて小さく笑っていた。あれ、妙だと思われてる?
「な、何? ダメ?」
「ううん! 違う違う、ダメじゃあないよ。そうじゃなくて」
すはぁ、と深呼吸で調えた鴨重は、柔く笑んで俺を見上げた。
「『忠犬かな』と思ったら、推せるーと思って!」
「あ? オセルー?」
「ふふっ、なんでもない」
まさかバカにされた? いやでも鴨重ってそういう奴じゃあなさそうだから、否定的な意味じゃないとは思いたいけど。なんだろう、モヤる。
「あの、じゃあ――」
言葉の合間に、鴨重は俺の右手を優しく取って、両掌でくるんだ。ビクっとした俺にも動じず、鴨重はそっと令嬢の顔で凛と笑んでいる。
「――学校内でも、本当にお願いしても『よろしくて』?」
小さな手だ。指も細いし、そして白い。少しひんやりとしていて、桜貝みたいな爪の弧形が美しい。そこへ俺は、そっと左手を寄せて、添えてみる。
「『では。私めに、お任せいただけますでしょうか。お嬢様』?」
口角が上がる。決意は固まった。
やっぱり二拍遅れて、鴨重はパアと表情を明るくした。
「私は、『敬斗くんにお願いしたいんです』!」
俺、アイツにSP頼まれてたのに。
非公式とはいえ、本人から直接頼まれたのに。
「あのドジッ」
授業とはいえ、白熱してた試合を中途半端に放り出すなんて、今までだったら有り得なかった。体を動かすのが心底好きだから、いつだって試合優先なんだ。
なのに、気が付いたらボールを追いかけていた視線を令嬢へ向けていて、最短経路を走り抜いて、膝を折ってうずくまっている令嬢の元にいた。ぶっちゃけほぼ無意識。ちょっと自分でも引くけど。
「鴨重?」
声をかけてみる。顔が上がらない。
「ワリィ。俺汗かいてっけど我慢して『ください』」
しっかり声をかけてから、うずくまる令嬢の身を抱え起こして、目線を確認。あ、ちょっと脳震盪気味だな。全然焦点が合ってないし、視線も合わない。多分景色ぼやけてんだろうなぁ。
「けーと、くん?」
うん、声も細くて揺れてるし、意識はあるのに体が思いどおりに動かねーんだろう。
「紗良?! 大丈夫?!」
「か、鴨重さん?!」
うーん、女子たちのキャーキャーがうるさい。静かなとこで横にしといた方がいいんだが。
「伊達」
「え?」
「あとよろしく」
「はん?!」
ボソ、と一番近くにいた伊達へ告げて立ち上がる。そのまま体育館の出入口に向かってダッシュ。連れ去りみたいなかたちになってしまったけど、一にも二にも令嬢の意識安定が最優先だから。
「スゲーときめきだ!」
「ああ、ときめきだ」
続々と体育館内で挙がる、キャーとかうおおとかの盛り上がっている声を背に、俺は淡々と保健室へ急いだ。
♡ ◇
ガラリと保健室の扉を開けて、手近のベッドへ令嬢をそっと横たえる。なんだよ誰もいねぇ。マジか、ありえん。
「おっ、あだっ、抱っ、敬、えっ?!」
「おう、ハッキリしてきたか? 『お嬢様』」
冗談めかして令嬢を窺う。うん、さっきよりも焦点は合ってるし、俺を見て極太油性マジックのピンクで粗く塗り潰したようにその顔を見事に染め上げて、肩をきゅんと縮めている。よかった、金曜とか朝のコイツと同じだ。
「あああのわったわたわっ私っわたっ」
「ブフッ! 何? 落ち着けよ、鯉みてぇンなってんぞ」
「だばっだっだ、だって」
口をパクパクさせている鴨重がなんだかおかしくて、つい腹を抱えた俺。ちょっと安心した。なんでもなくて、ひとまずよかった。
「今、どこも変じゃないか? 揺れてる感じするとか。頭ガーンやられたらグラグラすんのよくわかるし」
「う、うん、大っ丈夫、うん」
まばたきを多めに、俺から目を逸らす令嬢。なぜかゆっくりと起き上がろうとするから、「安静にしてろ」と制して仰向けにさせておく。
「ったく、ドジだなぁ『お嬢様』。ボーッとして頭にボールぶつけてんじゃねぇ『ですよ』」
「ぼっ、ボーッとなんて、してないもんっ。あと、学校で『お嬢様』って呼ぶのやめて」
おう、出た出た悪態つき。肩を竦めて腰に手を当てた俺は、やれやれと溜め息をひとつ。
「じゃあなんであんなボーッとしてたん『ですか』。いくらなんでも不注意すぎでは?」
正直、令嬢のドジさを全く理解できていない。だってボールなんて、気配でなんとなくかわせるだろ? え? 俺だけ?
「ちょおっ! ちょ、っと。その」
「んー?」
「えと。だから、その。バ、バスケを、集中して見てて」
うう、と仰向けの膝を抱えるように曲げる令嬢。「はあ?」とぐんにゃりする俺の顔面。
「けっ、和泉くんが頑張ってるの、お、応援、したかったっていうか、その」
「なっ……」
ドキリと、令嬢の潤んだ双眸に心臓を掴まれたような。う、バレちゃまずい。右手の甲で口元を隠す。
「ばっ、バーカ。俺は応援なんかしなくたって絶対に勝つしだな、そのっ、しかもバスケはチームプレイだし、俺一人っつーわけにもいかねぇわけでだなっ」
「うん? う、うん」
いや、何言ってんだ、俺。ほら、令嬢もハテナで苦笑いだぞ。
「えと、だからそのっ」
本当は、「なんでもなくてよかった」とか「俺がその場にいたのにスミマセン」とかを、素直に言ってやるのが一番だってわかってる。だが残念ながら、そこまで素直に言えるほど大人じゃない。歯痒い話だが。
「あの、和泉くん。今回も助けてくれて、ありがとう」
「いや。た、助けれてない『ですよ。SPとしての役目は果たせておりません』」
「けど、試合中だったのに私のとこに駆けつけてくれたの、嬉しかったから」
「そりゃ、まぁ。SPとして当然っつーか」
ハの字になる眉。申し訳ないなと思いながら令嬢へ臨むも、コイツはなぜか逆に、言葉どおりずっと嬉しそうにしている。うーん、令嬢が何を考えてるのかさっぱりわからん。
「今回は学校の中のことだもん。SPを頼んでたわけじゃないし、まして授業中だったじゃない。それでも駆けつけてくれて、周りの目とか、あったのに……」
やっぱりゆっくりと起き上がる令嬢。顔色も良さそうだし、多分もう大丈夫だろう。更にふにゃと笑まれて、紅潮した頬に首筋がむず痒くなるのがわかった。
「ほっ、本当は、今日からコソコソ護衛してこうって、思ってたんだ」
たまらなくなって、見つけたばかりの言いやすそうな本心を告げようと意を決す。
「正直俺、一昨日からずっと『お嬢様の専属SPを務めさせていただいていると思っております』ってやつでさ」
「えっ?! で、でも、バイト代とか何にも、私」
「カネが重要なわけじゃねーから気にすんな。一度ならず二度までもってやつで、俺自身が不甲斐ねーし、だらしねーの。だから――」
小さく咳払いを挟む。令嬢の見開いた双眸が潤んで、きらりと光るのを見た。
「そんなとこばっか『お見せしてしまい、申し訳ございません。私の目の届く範囲では、以降必ずやお護り徹《とお》させていたしますことを、宣誓いたします』」
「そんな、けど」
「スゲーなって思ったんだよ、お前のこと」
ちょっとだけ前のめりになる俺。
「緊張しいで危なっかしいドジな鴨重も、家督を守ろうとして凛と振る舞うお嬢様のお前も」
あのたった四時間以内で、鴨重紗良の印象がガランと変わったことは、同時に俺の意識改革まで成した。
「ふたつとも精一杯やって、でも自分の枠からはみ出るような背伸びはしない鴨重を見て、尊敬、みたいな? 『お嬢様』が、俺の怪我したとこをちゃんと心配したり、大事なハンカチ裂いてでも気遣ったりできんのが、スゲーと思ったんだよ」
「和泉くん……」
「だから、恩返しだと思ってくれよ。要らねぇって言われても、『私めはお嬢様の専属SPですので、気の済むまで護衛させていただこうと思います』」
フッと頬が緩んで、深々と頭を下げた。
からかっているでも、不要だとされても、エゴだと思われてもいい。私生活を護れる位置にいる俺ができることを、鴨重に返したいかなって思っただけなんだ。
再び頭を上げた先の鴨重は、顎を引いて小さく笑っていた。あれ、妙だと思われてる?
「な、何? ダメ?」
「ううん! 違う違う、ダメじゃあないよ。そうじゃなくて」
すはぁ、と深呼吸で調えた鴨重は、柔く笑んで俺を見上げた。
「『忠犬かな』と思ったら、推せるーと思って!」
「あ? オセルー?」
「ふふっ、なんでもない」
まさかバカにされた? いやでも鴨重ってそういう奴じゃあなさそうだから、否定的な意味じゃないとは思いたいけど。なんだろう、モヤる。
「あの、じゃあ――」
言葉の合間に、鴨重は俺の右手を優しく取って、両掌でくるんだ。ビクっとした俺にも動じず、鴨重はそっと令嬢の顔で凛と笑んでいる。
「――学校内でも、本当にお願いしても『よろしくて』?」
小さな手だ。指も細いし、そして白い。少しひんやりとしていて、桜貝みたいな爪の弧形が美しい。そこへ俺は、そっと左手を寄せて、添えてみる。
「『では。私めに、お任せいただけますでしょうか。お嬢様』?」
口角が上がる。決意は固まった。
やっぱり二拍遅れて、鴨重はパアと表情を明るくした。
「私は、『敬斗くんにお願いしたいんです』!」