専属SPは今回限り
SP
「『さぁどうぞ、お嬢様』」
「ありがとう。けど、敬斗くん」
「『はい』?」
「さすがにここまでしなくていい」
苦い顔で頬を染めている令嬢。なるほど、これは『やり過ぎ』か。程度がわからんから、やってみて令嬢の指示を仰ぐしかないというか。
俺――和泉敬斗のなにが『やり過ぎ』だったかというと、この『下足箱から令嬢の外靴を出してやったこと』なわけで。
履き替えをした令嬢は、俺よりも早く自分の内履きを下足箱へしまった。この程度なら護衛対象ではないということだな、なるほど。
だが玄関扉を開けるのは、俺の役割だろう。さすがにこれはやってみたいだろう! ということで、令嬢の歩幅よりも広い俺の数歩で玄関扉をガラガラガラと引いてやる。
「『どうぞ、お嬢様』」
扉の端に立って、右掌でスススと促してやれば、なんとなくドアマンぽいだろ? うん、個人的にはいい感じだと思う。
「これくらいならやり過ぎじゃねぇ?」
「う、うん。ありがとう」
潤みがちの双眸が俺を見上げて、しかしまたサッと逸らされて。
なんとなくだが、避けられているような気がしなくもないのは気のせい? 考えすぎ? 男と喋るの慣れてないがために恥ずかしい、と令嬢は言っていたけれど、ホントにそれだけかな。なんでコイツ、俺にまでこんなに緊張するわけ?
逃げられると追いたくなる単純な俺は、鴨重紗良の内情をなかなか読めないことに、その都度モヤモヤしている。で、なんならそのモヤモヤを払拭したいからこそ、鴨重紗良に対して紳士的になってやろうとしていたりして。
ギィ、ギィと軋む音が聴こえてきそうなほど、ぎこちなく生徒玄関から出ようとする令嬢。クフフ、左手と左足同時に出してるクククク。
なぁんて内心でクスクス笑っていた、そのとき。
「キャーあっ!」
突風が吹き込んできた。ゴッという音が強く耳に入る。
梅雨の嵐の前兆らしく、ここのところ湿度の高い強風の日が続いている。そんで、こともあろうかその強風は、令嬢の制服スカートをガバリと捲って去っていった。膝上丈のそれは、もう見事に綺麗に、前も後ろもすっかりと。
「…………」
令嬢は慌てて押さえたものの、時既に遅しというかなんというか。まぁ、すっかりそれを目にしてしまった、最低な俺です……あ、いや、不可抗力じゃね?
ギンと、信じられないほどの鋭さを放つ睨みを、令嬢から向けられる。
「見たでしょ」
「ミテマセン」
「ウソ! 絶っ対見たでしょ?!」
カアーッと頭の先から足の先へ、順番に赤く染まる令嬢。それにつられて、同じ順番で体温が上がっていく俺。ついムキになって、ガツと強くあたってしまう。
「みぃっ、見てねぇっつってんだろ!」
「見えた! ここにいたんだから見えたもん!」
「ばっ、見えてない見えてない!」
「絶対に見えてたァ!」
「見てませんー」
「見た!」
「見てねぇ」
「だって、あっ、青の、見えたでしょ?」
「はァ? ピンクだっ――」
「ほらあっ! もーっありえない!」
あっ、ぬかった! チクショウはめられた。令嬢テクニックかよ!
「ばっ、違、ちげえって!」
「最低すぎるっ」
ダンダンと強く踏み鳴らすように、令嬢は生徒玄関から出て校門へ向かう。慌てて後を追う。
「聞けって、鴨重っ」
俺のダッシュだと、あっという間に追い付いて並んでしまった。怒って進んでるわりに遅いな。
「靴出してくれたのもあれでしょ、ノゾキ目的だったんでしょ?」
「はあ? ンなことするかよ、バカ」
「バカってなに、酷い! 今どきノゾキすることすら考えられないのに、なんでその上バカとか言われなきゃいけないの?!」
「あっ、いやそれはその、言葉尻のあれというか。つーかノゾキとかしねーっての」
「スカートの中見たし、その上ウソつくなんて。敬斗くんがそんな感じだったなんてガッカリ!」
「ハァ?! フェイク仕掛けてくる方がどーかしてんだろ!」
「ウソつく方が悪いですぅー」
「正直に言ったってどーせ怒るだろーが」
「フンッ、敬斗くんのばかっ」
そうしてタッと走り出す令嬢。一応追いかける俺。あーもーめんどくさい!
「ちょ、鴨重っ」
「敬斗くんは『鴨重』って呼ばないで!」
「あ? んじゃなんて呼びゃいんだよ」
足を止めて、くるり振り返る令嬢。目は謎に潤んでいるし、頬も耳も赤い。
ここ、ギャラリーがちょっといるな。くそう、どこもかしこもめんどくさいものが積み上げられていくような気が。
はぁ、とひとつ溜め息。ザクザク寄ってく俺は、人二人分までその距離を詰め直す。
「なっ、な、なまっ、なっ」
「な、ナマ?」
「名前っ名、名前で、呼んでよ、私も。下の」
顎を引いて、ふいとまた視線を逸らされた。なんで今照れンだよ、わからん。
「んー……」
眉間を寄せて、腕組みをする俺。それについて、どこから言ったもんかと悩ましい。
「呼びたくないんだ、ぱんつ見たのに」
ボソ、と口を尖らせて、令嬢の攻撃。
「そっ、そうじゃねーけど、あの」
「なに?」
口をへの字に、眉間を詰めて、令嬢は下から俺を困ったように睨んでいる。なんつー顔してンだよ、笑ってれば結構かわいいのに台無しかよ……あ、いやいや。
「大体っ。ぱっ、ぱ、ぱんつ、は、その、不可抗力だろ」
ぐぬ、顔見てられん。恥ずかしくて顔が見られない、ってこういう気持ちかチクショウ! と、今更ながら令嬢の気持ちがちょっとわかったような。
「じゃ、ぱんつ見たんだから、な、名前で、呼んでよ」
「悪、悪いけど、ぱっ、ぱ、ぱんつ見たから、とか、そういう弱味で呼ぶの、むっちゃヤダ」
ぱんつぱんつと、思春期の男女がなにを言っとんだか。
「そ、そういうの、フェアじゃねーじゃん。後からじわじわ傷付けることンなると思う」
「フェア」
「あと、その、別にポリシーってほどでもないんだけど――」
首の後ろに手をやって、弁解をボソボソ。
「――俺、たとえ友達でも『女の人を下の名前で呼ばない』って決めてんだよ。だから、『呼ばない』のはなにもお前に限ったことじゃない、っつーか」
今までに、二人くらいと付き合ったこともある。だが結局、名前だの愛称だので呼んだためしはなかった。断り続けていたら、それきっかけで別れることになって。でも俺の決まりごとは簡単に破れなくて。
下げていた視線を令嬢の視線とかち合わせて、伝わったかを確認する。プッ、ポカンとマヌケに口を開けていやがる。どういう感情だよ。
「ゴメン。お互いにどんな立場だろうと、軽々しく女の子を名前で呼べない。『雇用関係が』とかそういうことじゃなくて、そもそも誰に対してもそうで……しかも特にお前は、っていうか」
俺の眉間の力が抜けて、そうしたらスルリと謝辞が漏れた。なんなら余計なことまで言ってしまったような気がするけど。
なぜだか『お嬢様』と呼ぶことにはなんの抵抗もないのに、『紗良』と呼ぶとなるとものすごく高い壁のように感じる。なんなら、高い壁の上の方は反り返っているくらいの、隔たりやら抵抗を感じてならないんだよなぁ。そもそも、好き合っているだとかでもねぇから、お互いにスタートラインにも立ててねーよ。
カシカシ頭をかいていたら、令嬢は「そっか」と小さく言った。
「ごめんなさい、弱味つつくみたいなこと言って」
「あ、いや別に、その」
しゅんとした、令嬢の頭部。よく見たらコイツの髪、ツヤツヤでゆるく波うっている。お上品な雰囲気は、ここから既に醸されているんだろうか。
「帰る……」
ゆらり、身を翻した令嬢は、なんとなく俯きがちに帰途についた。
「…………」
護衛任務はちゃんとやる。でも、なんとなく「かしこまりました、お嬢様」だとか気取ったことは、あの背中には言えなかった。
「ありがとう。けど、敬斗くん」
「『はい』?」
「さすがにここまでしなくていい」
苦い顔で頬を染めている令嬢。なるほど、これは『やり過ぎ』か。程度がわからんから、やってみて令嬢の指示を仰ぐしかないというか。
俺――和泉敬斗のなにが『やり過ぎ』だったかというと、この『下足箱から令嬢の外靴を出してやったこと』なわけで。
履き替えをした令嬢は、俺よりも早く自分の内履きを下足箱へしまった。この程度なら護衛対象ではないということだな、なるほど。
だが玄関扉を開けるのは、俺の役割だろう。さすがにこれはやってみたいだろう! ということで、令嬢の歩幅よりも広い俺の数歩で玄関扉をガラガラガラと引いてやる。
「『どうぞ、お嬢様』」
扉の端に立って、右掌でスススと促してやれば、なんとなくドアマンぽいだろ? うん、個人的にはいい感じだと思う。
「これくらいならやり過ぎじゃねぇ?」
「う、うん。ありがとう」
潤みがちの双眸が俺を見上げて、しかしまたサッと逸らされて。
なんとなくだが、避けられているような気がしなくもないのは気のせい? 考えすぎ? 男と喋るの慣れてないがために恥ずかしい、と令嬢は言っていたけれど、ホントにそれだけかな。なんでコイツ、俺にまでこんなに緊張するわけ?
逃げられると追いたくなる単純な俺は、鴨重紗良の内情をなかなか読めないことに、その都度モヤモヤしている。で、なんならそのモヤモヤを払拭したいからこそ、鴨重紗良に対して紳士的になってやろうとしていたりして。
ギィ、ギィと軋む音が聴こえてきそうなほど、ぎこちなく生徒玄関から出ようとする令嬢。クフフ、左手と左足同時に出してるクククク。
なぁんて内心でクスクス笑っていた、そのとき。
「キャーあっ!」
突風が吹き込んできた。ゴッという音が強く耳に入る。
梅雨の嵐の前兆らしく、ここのところ湿度の高い強風の日が続いている。そんで、こともあろうかその強風は、令嬢の制服スカートをガバリと捲って去っていった。膝上丈のそれは、もう見事に綺麗に、前も後ろもすっかりと。
「…………」
令嬢は慌てて押さえたものの、時既に遅しというかなんというか。まぁ、すっかりそれを目にしてしまった、最低な俺です……あ、いや、不可抗力じゃね?
ギンと、信じられないほどの鋭さを放つ睨みを、令嬢から向けられる。
「見たでしょ」
「ミテマセン」
「ウソ! 絶っ対見たでしょ?!」
カアーッと頭の先から足の先へ、順番に赤く染まる令嬢。それにつられて、同じ順番で体温が上がっていく俺。ついムキになって、ガツと強くあたってしまう。
「みぃっ、見てねぇっつってんだろ!」
「見えた! ここにいたんだから見えたもん!」
「ばっ、見えてない見えてない!」
「絶対に見えてたァ!」
「見てませんー」
「見た!」
「見てねぇ」
「だって、あっ、青の、見えたでしょ?」
「はァ? ピンクだっ――」
「ほらあっ! もーっありえない!」
あっ、ぬかった! チクショウはめられた。令嬢テクニックかよ!
「ばっ、違、ちげえって!」
「最低すぎるっ」
ダンダンと強く踏み鳴らすように、令嬢は生徒玄関から出て校門へ向かう。慌てて後を追う。
「聞けって、鴨重っ」
俺のダッシュだと、あっという間に追い付いて並んでしまった。怒って進んでるわりに遅いな。
「靴出してくれたのもあれでしょ、ノゾキ目的だったんでしょ?」
「はあ? ンなことするかよ、バカ」
「バカってなに、酷い! 今どきノゾキすることすら考えられないのに、なんでその上バカとか言われなきゃいけないの?!」
「あっ、いやそれはその、言葉尻のあれというか。つーかノゾキとかしねーっての」
「スカートの中見たし、その上ウソつくなんて。敬斗くんがそんな感じだったなんてガッカリ!」
「ハァ?! フェイク仕掛けてくる方がどーかしてんだろ!」
「ウソつく方が悪いですぅー」
「正直に言ったってどーせ怒るだろーが」
「フンッ、敬斗くんのばかっ」
そうしてタッと走り出す令嬢。一応追いかける俺。あーもーめんどくさい!
「ちょ、鴨重っ」
「敬斗くんは『鴨重』って呼ばないで!」
「あ? んじゃなんて呼びゃいんだよ」
足を止めて、くるり振り返る令嬢。目は謎に潤んでいるし、頬も耳も赤い。
ここ、ギャラリーがちょっといるな。くそう、どこもかしこもめんどくさいものが積み上げられていくような気が。
はぁ、とひとつ溜め息。ザクザク寄ってく俺は、人二人分までその距離を詰め直す。
「なっ、な、なまっ、なっ」
「な、ナマ?」
「名前っ名、名前で、呼んでよ、私も。下の」
顎を引いて、ふいとまた視線を逸らされた。なんで今照れンだよ、わからん。
「んー……」
眉間を寄せて、腕組みをする俺。それについて、どこから言ったもんかと悩ましい。
「呼びたくないんだ、ぱんつ見たのに」
ボソ、と口を尖らせて、令嬢の攻撃。
「そっ、そうじゃねーけど、あの」
「なに?」
口をへの字に、眉間を詰めて、令嬢は下から俺を困ったように睨んでいる。なんつー顔してンだよ、笑ってれば結構かわいいのに台無しかよ……あ、いやいや。
「大体っ。ぱっ、ぱ、ぱんつ、は、その、不可抗力だろ」
ぐぬ、顔見てられん。恥ずかしくて顔が見られない、ってこういう気持ちかチクショウ! と、今更ながら令嬢の気持ちがちょっとわかったような。
「じゃ、ぱんつ見たんだから、な、名前で、呼んでよ」
「悪、悪いけど、ぱっ、ぱ、ぱんつ見たから、とか、そういう弱味で呼ぶの、むっちゃヤダ」
ぱんつぱんつと、思春期の男女がなにを言っとんだか。
「そ、そういうの、フェアじゃねーじゃん。後からじわじわ傷付けることンなると思う」
「フェア」
「あと、その、別にポリシーってほどでもないんだけど――」
首の後ろに手をやって、弁解をボソボソ。
「――俺、たとえ友達でも『女の人を下の名前で呼ばない』って決めてんだよ。だから、『呼ばない』のはなにもお前に限ったことじゃない、っつーか」
今までに、二人くらいと付き合ったこともある。だが結局、名前だの愛称だので呼んだためしはなかった。断り続けていたら、それきっかけで別れることになって。でも俺の決まりごとは簡単に破れなくて。
下げていた視線を令嬢の視線とかち合わせて、伝わったかを確認する。プッ、ポカンとマヌケに口を開けていやがる。どういう感情だよ。
「ゴメン。お互いにどんな立場だろうと、軽々しく女の子を名前で呼べない。『雇用関係が』とかそういうことじゃなくて、そもそも誰に対してもそうで……しかも特にお前は、っていうか」
俺の眉間の力が抜けて、そうしたらスルリと謝辞が漏れた。なんなら余計なことまで言ってしまったような気がするけど。
なぜだか『お嬢様』と呼ぶことにはなんの抵抗もないのに、『紗良』と呼ぶとなるとものすごく高い壁のように感じる。なんなら、高い壁の上の方は反り返っているくらいの、隔たりやら抵抗を感じてならないんだよなぁ。そもそも、好き合っているだとかでもねぇから、お互いにスタートラインにも立ててねーよ。
カシカシ頭をかいていたら、令嬢は「そっか」と小さく言った。
「ごめんなさい、弱味つつくみたいなこと言って」
「あ、いや別に、その」
しゅんとした、令嬢の頭部。よく見たらコイツの髪、ツヤツヤでゆるく波うっている。お上品な雰囲気は、ここから既に醸されているんだろうか。
「帰る……」
ゆらり、身を翻した令嬢は、なんとなく俯きがちに帰途についた。
「…………」
護衛任務はちゃんとやる。でも、なんとなく「かしこまりました、お嬢様」だとか気取ったことは、あの背中には言えなかった。