専属SPは今回限り
4 専属SPはすれ違う
令嬢
とある日の夕食の時間。
「紗良。次の土曜は予定あるかい?」
何の気なしにパパに言われて「会食だ」と覚った私――鴨重紗良。何もないけど、と首を振る。
「悪いんだけど、また会食に付き合ってくれないかな」
ほらね。
試しに「時間は?」と訊いておく。
「お昼なんだよね。ランチだと思ってくれていいよ」
「お昼? 珍しいね」
「まあね。パパの隣に座って食事をしてくれるだけでいいんだよ。簡単だろう?」
「簡単、だけど……」
やっぱりかー。そんで正直とってもめんどくさーい! そんな辟易とした気持ちを、ひとまず自分の中に吐き出しておく。うっかりすると顔に出ちゃうから。
普段は優しくて融通もきいてくれるパパだけど、ひとたび『お父様』や『鴨重社長』となれば全く違う。社長からの宣告は、何に於いても最優先事項となるのが、鴨重家の暗黙ルール。重要性がぐんと高くなって、それらに対して私たちの拒否権なんてのはほぼ無くなる。
「ていうか、何の会食なの? ママも行く?」
なんとなく嫌な予感がする私は容赦なく身構えてしまった。見計らったように、ママがふやふやと答えてきた。
「ごめんなさいねぇ。ママ明日からLAのお友達にお呼ばれしてるのよう。だから一週間、お家を空けちゃうの」
「ええーっ、いいなぁ。そうなんだぁ」
どうせなら私もLA行きたかったな。
「それに今回の会食はねぇ、紗良ちゃんをご指名なのよう」
なにそれ。わざわざ私指名なんて、なんか裏を勘ぐっちゃう。だって、令嬢とはいえたかだか高校生の私にいち社会人が用事なんて、どうなの?
「ゴメンねぇ。一緒に行けなくって」
「そっか、残念」
まぁ、ママが不在なら今回は尚更仕方がないか。きっとママの代役に指名されたんだよね。
「で、会食のお相手っていうのがね……」
続くパパの言葉に、せっかく隠していた辟易とした気持ちがグイグイと押し出されて、結果的に顔にバッチリ出てしまった。「ええー?!」の大声を出した後は、食事がまったく喉を通らなくなってしまった。
♡ ◇
「うぃーす」
翌日、木曜日の朝。
教室の前の扉から聞こえた気の抜けた挨拶に、私はハッと顔を上げる。やっと来た、和泉敬斗! いっつも始業ギリギリに教室に入ってくるのどうにかならないのかな?! って私、推しになんてことを。ギリギリって言ったってまだあと五分はあるんだから。
ガダンと立ち上がって、友達三人と談笑を始めた敬斗くんのもとへ早歩き。いろんな意味で時間がない。だから、誰に見られてようと関係ない。私、すんごいピンチなんだもん!
「敬斗くんっ」
「おー、鴨重」
おはよ、と推しに微笑まれて最高ハッピーなんだけど、正直今はそれどころじゃない。
「鴨重サンおはよ」
「はよー、オジョーサマ」
「珍しいねぇ、俺らに話しかけにくるの」
脇から栄村くん、尾藤くん、近井くんにもそんな風に声をかけられたけど、返事よりも涙の気配に呑まれてしまった。上手く言葉が出なくて、くっと口を引き結ぶ。
「なんだよ、どした?」
「……けて」
「は?」
絞り出した私の声を怪訝に思ったのか、敬斗くんは心配そうに眉を寄せて、私を覗くように窺う。ふるふると下顎と声が震える。
「敬斗くん、助けてっ」
わっと言ってしまったら、みるみるうちに視界が涙で歪んでいった。
「なっ?! か、どーした」
「うえぇー」
この件に関しての精神的ダメージは、ことのほか大きかったみたい。敬斗くんに助けてと言えたら、なんだか気も涙腺も一緒に緩んだんだと思う。
ぐしゃぐしゃと目元を拭っていたら、敬斗くんに「ちょ、来いっ」と右腕を引かれて、バタバタと教室から連れ出されてしまった。
「なるほど、ときめきだな」
「随分なときめきだ」
「うむ、実にときめきだ」
またいつかのように、背中で栄村くんたちがざわざわしている。そんな呑気なものならずっといいのに、って苦い気持ちがぐるぐるとした。
肯定も否定もしない敬斗くんに引かれている腕も、歩数分だけビリビリする。いろんな気持ちと状況が、私を複雑にしていくらしい。
「で、どうした。どんなヤベーことあった?」
教室から少し離れた廊下の隅の方で、壁を背に押し付けられて、敬斗くんに囲われた私。
あのぉ……これ、間違いなく壁ドンですよね。とっても美しい形に出来てますよ敬斗くん! ありがとう! とてもエモいしキュンとします!
あーいやいやそれどころじゃないから。敬斗くんだって、まさか壁ドンになってるとは気が付いてなさそうだし。
「助けてとか、明らかに普通じゃなくね?」
潜められた声。ぐっと見下ろされているまなざし。
俯けていた視線を少しずつ上向けていって、すると三秒もしないうちに、敬斗くんとばっちり視線がぶつかった。
「……こん、せら……」
「あ?」
さっき溢れてきた涙はなんとかおさまった。鼻が少しだけグズグズするけど、話が出来ないことはない。なのに、敬斗くんを見つめた途端に、やっぱり涙がぼろぼろ溢れてきてしまった。
すう、と深く息を吸って、言葉を改めた私。
「私、結婚させられちゃうかもしんない!」
「紗良。次の土曜は予定あるかい?」
何の気なしにパパに言われて「会食だ」と覚った私――鴨重紗良。何もないけど、と首を振る。
「悪いんだけど、また会食に付き合ってくれないかな」
ほらね。
試しに「時間は?」と訊いておく。
「お昼なんだよね。ランチだと思ってくれていいよ」
「お昼? 珍しいね」
「まあね。パパの隣に座って食事をしてくれるだけでいいんだよ。簡単だろう?」
「簡単、だけど……」
やっぱりかー。そんで正直とってもめんどくさーい! そんな辟易とした気持ちを、ひとまず自分の中に吐き出しておく。うっかりすると顔に出ちゃうから。
普段は優しくて融通もきいてくれるパパだけど、ひとたび『お父様』や『鴨重社長』となれば全く違う。社長からの宣告は、何に於いても最優先事項となるのが、鴨重家の暗黙ルール。重要性がぐんと高くなって、それらに対して私たちの拒否権なんてのはほぼ無くなる。
「ていうか、何の会食なの? ママも行く?」
なんとなく嫌な予感がする私は容赦なく身構えてしまった。見計らったように、ママがふやふやと答えてきた。
「ごめんなさいねぇ。ママ明日からLAのお友達にお呼ばれしてるのよう。だから一週間、お家を空けちゃうの」
「ええーっ、いいなぁ。そうなんだぁ」
どうせなら私もLA行きたかったな。
「それに今回の会食はねぇ、紗良ちゃんをご指名なのよう」
なにそれ。わざわざ私指名なんて、なんか裏を勘ぐっちゃう。だって、令嬢とはいえたかだか高校生の私にいち社会人が用事なんて、どうなの?
「ゴメンねぇ。一緒に行けなくって」
「そっか、残念」
まぁ、ママが不在なら今回は尚更仕方がないか。きっとママの代役に指名されたんだよね。
「で、会食のお相手っていうのがね……」
続くパパの言葉に、せっかく隠していた辟易とした気持ちがグイグイと押し出されて、結果的に顔にバッチリ出てしまった。「ええー?!」の大声を出した後は、食事がまったく喉を通らなくなってしまった。
♡ ◇
「うぃーす」
翌日、木曜日の朝。
教室の前の扉から聞こえた気の抜けた挨拶に、私はハッと顔を上げる。やっと来た、和泉敬斗! いっつも始業ギリギリに教室に入ってくるのどうにかならないのかな?! って私、推しになんてことを。ギリギリって言ったってまだあと五分はあるんだから。
ガダンと立ち上がって、友達三人と談笑を始めた敬斗くんのもとへ早歩き。いろんな意味で時間がない。だから、誰に見られてようと関係ない。私、すんごいピンチなんだもん!
「敬斗くんっ」
「おー、鴨重」
おはよ、と推しに微笑まれて最高ハッピーなんだけど、正直今はそれどころじゃない。
「鴨重サンおはよ」
「はよー、オジョーサマ」
「珍しいねぇ、俺らに話しかけにくるの」
脇から栄村くん、尾藤くん、近井くんにもそんな風に声をかけられたけど、返事よりも涙の気配に呑まれてしまった。上手く言葉が出なくて、くっと口を引き結ぶ。
「なんだよ、どした?」
「……けて」
「は?」
絞り出した私の声を怪訝に思ったのか、敬斗くんは心配そうに眉を寄せて、私を覗くように窺う。ふるふると下顎と声が震える。
「敬斗くん、助けてっ」
わっと言ってしまったら、みるみるうちに視界が涙で歪んでいった。
「なっ?! か、どーした」
「うえぇー」
この件に関しての精神的ダメージは、ことのほか大きかったみたい。敬斗くんに助けてと言えたら、なんだか気も涙腺も一緒に緩んだんだと思う。
ぐしゃぐしゃと目元を拭っていたら、敬斗くんに「ちょ、来いっ」と右腕を引かれて、バタバタと教室から連れ出されてしまった。
「なるほど、ときめきだな」
「随分なときめきだ」
「うむ、実にときめきだ」
またいつかのように、背中で栄村くんたちがざわざわしている。そんな呑気なものならずっといいのに、って苦い気持ちがぐるぐるとした。
肯定も否定もしない敬斗くんに引かれている腕も、歩数分だけビリビリする。いろんな気持ちと状況が、私を複雑にしていくらしい。
「で、どうした。どんなヤベーことあった?」
教室から少し離れた廊下の隅の方で、壁を背に押し付けられて、敬斗くんに囲われた私。
あのぉ……これ、間違いなく壁ドンですよね。とっても美しい形に出来てますよ敬斗くん! ありがとう! とてもエモいしキュンとします!
あーいやいやそれどころじゃないから。敬斗くんだって、まさか壁ドンになってるとは気が付いてなさそうだし。
「助けてとか、明らかに普通じゃなくね?」
潜められた声。ぐっと見下ろされているまなざし。
俯けていた視線を少しずつ上向けていって、すると三秒もしないうちに、敬斗くんとばっちり視線がぶつかった。
「……こん、せら……」
「あ?」
さっき溢れてきた涙はなんとかおさまった。鼻が少しだけグズグズするけど、話が出来ないことはない。なのに、敬斗くんを見つめた途端に、やっぱり涙がぼろぼろ溢れてきてしまった。
すう、と深く息を吸って、言葉を改めた私。
「私、結婚させられちゃうかもしんない!」