専属SPは今回限り

SP

 あの日――初めて鴨重紗良のSPをした日。
「敬斗はSPとしてご令嬢を守ったんだから、それは褒められて(しか)るべきだな!」
 帰宅した俺の怪我のわけを聞いて、親父はそんな風に予想どおりの反応をした。
「メンタルも守られたって言われたのはデカいと思え。だから、今度はお前も怪我しねーようにやるんだ」
「待って。やっぱり次もあんの? マジに今回限りじゃあねーの?」
「また徴収されたらおお腕を振って行ってこいっつー話よ。気心知れてる仲だろ?」
「知れてねーよ、今日初めて話したんだっつの!」
「まあまあ、そんなこともあるってことで」
 最終的には、そんな風に変に優しく諭されて、親父の方が満足そうに笑っていた。そのときは腑に落ちないことが結構残ったけど、俺のしたこと自体は間違ってなかったと、ようやくあの日の行動を認められたような気がした。
「え? やっぱ何かあるたびにSPやんの? つーか社長依頼で?」
 二週間後の土曜の昼過ぎに親父が取った電話の相手は、鴨重社長だった。
 邸宅に常駐しているSPを常日頃からつけることを、鴨重紗良が相当嫌がったらしい。二週間説得したが折れなかったんだとか。だから妥協案として、『パーティーや会食に出席するときにだけ、令嬢に専属で就いてやってほしい』というわけだ。
「つっても出席する数は多くねーんだから、渋ってねぇでやってやれよ。ボクシング地区大会中学高校部門三年連続優勝経験者の和泉敬斗くん一六歳?」
「それ、俺の宣伝文句にすンじゃねーよ」
 パーティーのさなか、鴨重紗良から「私のSP、またやってもらえませんか」と頬を染めて言われた。加えて、学校内でもなぜかアイツの一挙手一投足が危なっかしく思えてきたら、途端に気が気じゃなくなって『ついててやったほうがいいんじゃないか』なんてスイッチが入った。
 しかし、それは所詮当人同士の口約束だった。結局すぐに正式なもの――つまりは社長承知の案件になるなら、嫌がる理由が無くなるということだ。
 あのとき俺は夜景の側で、鴨重紗良へ肯定的な返事をした。それに学校内でだってちょこちょこ交友が増え始めていたわけだから、結局すぐに親父にも「別にいいけど」と返した。怪しくニンヤアと笑った親父は、足を弾ませて鴨重社長との電話に戻ったわけだが。
 あの船上パーティーのとき。鴨重紗良の精神の中核とも言えるような、アイツの『(つつ)ましさ』を知った。『ただのクラスの女子』から『尊敬できる奴』に瞬間的に変化を成した衝撃が、胸の奥に刺さって抜けない。
 アイツはそれなりに文句も言うし、溜め息だって多い。けど、やると決めたら最後までやり(とお)したり、同じ一七歳だと思えないような眩しさを持っている。そんな鴨重紗良が興味深いと思った。
 日を追うごとに、そんな『興味深い』という感情が勝手に形を変えていく。モヤモヤすることが増える。しかしもて余すほどではない。大事にしているボクシングをやる理由にもだんだん変化が出てきたことに気が付いて、そこでようやく「おいおいマジかよ」と俺自身に驚いたわけだ。


        ♡   ◇


「朝のことォ?」
 栄村(友人A)尾藤(友人B)近井(友人C)の三人と俺――和泉敬斗で昼飯を食い始めるやいなや、近井(友人C)がニタニタしながら訊いてきた。
「なんでもねーよ別に」
 俺の昼飯は、ゼリー飲料ふたつ。以上。成長期だが減量中なんで。
「いいや、もうダメだ敬斗。なんでもねーわけねーもん」
「お嬢、朝泣いてただろーが。お前、お嬢のなにに関わってんだよ?」
 栄村(友人A)尾藤(友人B)も加わって、三対一。クソ、囲われた。
「別に、そんな大したことじゃあねーけど。あの、あれ、令嬢専属SPを頼まれてるだけ」
「せんぞくえすぴい」
 三人のハモり。顔を歪める俺。
「ぱ、パーティーとかのときに、俺がその、鴨重のSPすることになってンの。バイトっ、バイトなんだって」
 一応きちんとした依頼内容としては、そういうことで間違いはない。間違いはないけど、まるでカネに目が眩んでやってるみたいな説明になってそうで、そんな自分の発言にムカつくが。
「でもさぁ、最近学校でもお二人、仲睦まじくございません? 頻繁に一緒に下校なさっていらっしゃいますし?」
 目をいやらしーく三日月型にひん曲げ、わかりやすくプスプスと笑っている栄村(友人A)
「だ、だから。アイツすげードジなんだ。すぐ転ぶし、簡単に物落とすし、ぼーっとしてっからボールだって頭にぶつけるし。一人にしとくとアブねーから、帰り道の護衛してるだけっ」
「えぇえぇ、お姫さま抱っこした連れ去り、大っ変美味しゅうございましたわぁ!」
 クソ、栄村(友人A)コイツ……ゲスな目であの一件を見やがって。
「なんで朝は一緒に来ねーの?」
 近井(友人C)がブリックパックのミルクコーヒーを吸い上げながら訊いてくる。
「朝はランニングしたいし。俺のランニングに付き合わすの無理だし……体力とかスピードとか時間とか特に」
「敬斗、始業ギリギリに学校入るようにしてるしなぁ。だからせめて、下校くらいはお務めさせていただきます的な? そーゆーのか。なるほどなるほど」
 栄村(友人A)と同じ目をした尾藤(友人B)は、ポンポンと俺の左肩を叩く。
「そ、れ、で? SPとお嬢様でずうっと一緒に居るわけだ。半ば親公認の感じで」
「でもそんだけだし! 俺はアイツの親に雇われてるだけで、大体俺じゃ、アイツには身分不相応だろ」
 生々しく言いやがって、尾藤(友人B)コノヤロウ。グキュル、とゼリー飲料のパックを握り潰しながら中身を喉の奥へ流す。
「身分、不相応?」
「まあ。『身分』ですってよ、栄村(友人A)さん」
「ええそうね、近井(友人C)さん」
「な、なんだよホントのこったろーが」
 ギリギリギリともうひとつのゼリー飲料の蓋を捻る俺は、三人をジロと睨みながらブツブツこぼす。
「大体アイツは、親御さんが見繕ったそれなりの御曹司と見合いするくらい、世界の違うヤツなんだよ。だから、簡単に一緒に居ていい相手っつーのは俺じゃダメなわけで。つーか、俺はアイツの家のことに口出していい資格もないし、ただ頼まれたSPってだけで、その、特になんでもねーわけだし」

 緩くしなやかに波うつ、肩甲骨下まで伸びた黒茶の髪。
 利発そうな眉目。
 潤むとたちまちに涙がこぼれるような、(もろ)い涙腺。
 柔そうな白い肌と、すぐ赤くなる耳。
 あの小さな手は案外冷たくて、なかでもあの桜貝みたいな爪は、生きてきた中で見たことがないと思えたほど綺麗で。
 文句の多いあの口がやんわりと弧に曲がると、それだけで「今日護衛してよかった」とか思えたりして――。

「なぁ敬斗」
 ハッ、と我に返る。思い馳せすぎだろ、俺。
「もしかして自信ないの? 珍しくね?」
 尾藤(友人B)はなにを訊いてきているのやら。「意味がわからん」と首を(かし)ぐ。
「は? なんの自信だよ。俺は別に」
「それとも、端からいろいろ諦めちゃってるわけ?」
 やはりいやらしーく三日月型に目をひん曲げる栄村(友人A)
「あらあら! 『ボクサーの敬斗クン』と『SPの敬斗クン』では、攻守タイプが違うのかしら?」
 近井(友人C)にもそうしてジィと見つめられ、結局八方塞がり。「お前らなァ……」と低く出たところで「言っとくけど」と真顔の栄村(友人A)に言葉を被せられる。
「俺たち別に、敬斗のことをからかってるワケじゃないから」
「うん。ぶっちゃけちゃんと応援してんの」
「あー、むちゃくちゃ応援してる」
 尾藤(友人B)近井(友人C)も真顔で深く頷いている。「マジでマジのマジに言ってんのか?」と疑う反面、こんな真顔のコイツらを見たことがない俺は、ついつい言葉に詰まってしまった。
「たとえマジにご身分とかあってもさ、好きになるのは自由だろ?」
「お嬢だって、ワンチャン敬斗のこと好きかもしれんよ?」
「敬斗はお嬢のこと、SPとしてだけじゃなくて『そういう風に』見てんじゃねぇの?」
 茶化す様子のない、三人の真顔。
 なんだ、心臓が痛い。奥歯を噛みしめ堪えて、勢いよく立ち上がる。
「見てない――」
 栄村(友人A)近井(友人C)の間を大股で抜けて、俺はそそくさとその場を後にした。
「あれ? ときめきは?」
「いや、ときめきだろ?」
「うん。ときめき、のはず」
 違う、違う。ダメなんだ俺は。どんなにそうかもしれなくても、俺が望んだら鴨重の家をきっと困らせる。最悪壊してしまうかもしれない。
 俺は鴨重紗良を護衛するだけ。心揺らされるのはルール違反だ。そういうことを想い描くこと自体が鴨重紗良を困らせるし、いずれアイツの(かせ)になってしまう。
 俺なんかのこんな想い、きっと一時(いっとき)のやつだから。
 駆け下りた先の階段下は薄暗いし、ひと気もない。
「――わけねーだろ」
 そこでようやく三人に言い残してきた言葉の続きを呟いて、俺はワックスで整えてある自分の短髪をくしゃりと握った。

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