専属SPは今回限り
6 専属SPは策略を知る

令嬢

 時刻は一三時四二分。斎条社長親子をホテルの入口まで見送った、パパと私――鴨重紗良。結局、敬斗くんが踏み込んだ後も会食は続行されたけれど、それが相当斎条社長を驚かせたのか、縁談のえの字も出されずにお開きとなってくれた。
 この件が、鴨重グループの悪い印象となってしまったかどうかはわからない。でも、パパがなにも言わなかったから、ひとまずは見逃してもらえたのかもしれない。どうなるのかの通告は、日を改められるはず。ひとまず無事に終わってくれたことを喜んでおこう。
「ありがとう、来てくれて」
 パパが向こうで黒服と話をしている隙に、二歩後ろに立っている敬斗くんを振り返る。
「いや。むしろ会社絡みの会食にズカズカと割り入って悪かったよ。お前の本意はともかくさ」
「ううん、もう気にしないで」
 サングラスを外した敬斗くんは、それを胸ポケットに差し込んだ。うん、その仕草最高に好き。
「敬斗くんが『出てけ』とか言われなくてよかったよ。怒られちゃったらどうしようって、ヒヤヒヤしてたの」
「俺は解雇覚悟だったけどな」
 困ったみたいに肩を(すく)めて、ハの字眉にした。
「敬斗くんが解雇されたら、私が困るよ」
「SPなんて、他にもたくさん居るよ。大体、俺みたいな日雇いより、常駐してくれて優秀で機転の利くようなSP(ヤツ)に護られた方が、『お嬢様』は安心だと思うけど?」
「日雇いとか関係ないよ。私のSPは敬斗くんにお願いしたいって前に言ったの、忘れちゃった?」
 ちょっと照れちゃうこともきちんと伝えておかなくちゃ。私の言葉を聞いて、敬斗くんは言葉を詰まらせた。
「それとも、やっぱり私のSP頼むと、迷惑?」
「いや。迷惑がってたら、いまここに居ねーし」
 それもそうか。「そうだね」と笑んでおく。
「あのね。さっき走ってきてくれたの嬉しかったよ。あんなこと、普通のSPにはしてもらえないと思う。敬斗くんならではだったんだろうなって」
「べ、別にんなことねーだろ。俺は(テイ)のいい嘘思い付いたから、わ、忘れねーうちにと思って、走っただけでだな」
 襟足をザリと撫で上げて、敬斗くんは視線を逸らす。照れてる証拠。最近よく見るな、これ。
「そういえばどんな嘘ついたの?」
「え」
 敬斗くんがパパとコソコソ話をしてた内容は、まったく聞こえなかった。どうしたらパパをコロリとあんな風に簡単に納得させられたんだろう。じい、と見つめていたら、敬斗くんは咳払いを挟んでゴニョゴニョと教えてくれた。
「いや、だから……『お嬢様はこの見合いを、本当にお望みではございません』的なことから始めたんだよ。『先日、お嬢様は悲しみにくれ、学校でも涙されておりました』ってな」
「う、嘘じゃないじゃん、それ!」
 くす、と笑んだ敬斗くんは、すぐに「イテテ」と腹筋を押さえる。
「でもその後、『お相手様にご期待を持たせてしまうのは、とてもお辛いと申されておりました』って言っといた」
 うわ、なんかホントっぽい。
「ちょっと無理あるかなぁって思ったけど、社長は『確かによくわかる』って同調してたしな。結果オーライかなって」
 よかったなと笑んだ敬斗くんが眩しすぎて、つい顔面を覆う。試合後の蒼く腫れた部分が痛々しい顔面とはいえ、推しのこんな無垢の笑みの破壊力、スゴくない? 私一気にライフ削られた感あるんだけど。
「あ、でもこの後調子ン乗ってむちゃくちゃな嘘ついたから、擦り合わせしとかねーと」
 ソロリソロリと掌を顔から外して、「むちゃくちゃな嘘?」となぞり訊ねる。
「えっと。『お嬢様は社長の跡目を継いだり、社長と共に会社経営に携わることを、幼い頃より夢見ていたと申されておりました』って言っちまったんだよな」
「えっ、ホントに?」
「そこはマジで悪かった、『申し訳ありません』。ホントはお前自身そんなつもりないのに、こんなデケー会社担わすようなことンなっちまったらヤバいなって、後から思って」
「ううん。そんなつもり、なくないの」
「あ、え?」
「いとこはたくさんいるけど、鴨重家直系って私だけなの。だから、いずれは私が会社継がなくちゃって思ってたのは、本当なの」
「えっ」
「親から頼まれてたわけでもなくて、私がずっと勝手に想い描いてたっていうか。私も頑張りたいなって思ってたことっていうか」
 マジかよ、と驚きのあまり言葉を呑み込んでる敬斗くん。私は胸を高鳴らせて、そうしたら声に出して笑ってしまった。
「あははっ! まだ誰にも言ってない夢だったのに。SPとして付き合い続けてくれた敬斗くんには、私の密かな夢もわかっちゃったんだね」
 嬉しいな。敬斗くんが、私の令嬢としての立ち居振る舞いを見て、「そう考えていてもおかしくはない」と考え至っただなんて。敬斗くんが嘘だと思って話したことが、私にとっては誰にも言ってない大真面目の話だった。スゴい奇跡。スゴい確率。
 気持ちが落ち着いて、そうしたらこれが最近で一番よく笑えた事柄だってことに気が付いた。敬斗くんと一緒に居るときは緊張しまくってたのに、なんだか今は少し違うな。一緒に居られてとっても楽だって思える。
「あ。ねぇ、試合はどうだったの?」
 そういえば私、口角を上げたまま敬斗くんをきちんと見上げられるようになっている。大躍進じゃない!
「え、えと。親父にKOで勝ち抜けって課題付けられたけど、きっちり全部で勝ってやった」
「てことは、優勝?」
「ん」
「よかったぁ、ほんとおめでとう!」
「サンキュ……あ、いやその、『お褒めに預かり光栄です、お嬢様』」
 頭を下げられてしまった。普通にしてていいのに。
「顔とかお腹、痛くない?」
「さすがにちょっと、後からズキズキしてきてはいる」
「ここ腫れてる。フロントで氷でも貰おうか?」
「じゃあ、それは後で貰っとくか」
「無理しないでね。ツラかったら迎え呼べるから」
「んーん。今日もきっちり終わりまでSPやらせて。欲しいものがちゃんとふたつとも手に入れられて、俺今かなり気分上がってるっつーかさ」
 欲しいもの、ふたつ? キョトンとしていたら、なぜか敬斗くんは頬を徐々に染めていった。
「あ、だからその、ゆ、優勝と、お前の身の安全、とかがだな」
 どっきん。
 な、なにそれ。え? なにそれなにそれ!
 ドキドキなんかで収まらないような『ばっくんばっくん』が身体中を(めぐ)る。顔がどうにかなりそうで、慌てて口元を覆う。
「いつも肝心なときにお前のこと、ちゃんと守れなくて。俺が居るのに結局お前傷付けてたり、逆に守られたりしてさ。ずっとその、歯痒くて」
 アアア、言語化不可能な感情が私をどんどん真っ赤にしていくんですけど! 青い加賀友禅も真っ赤になろうや。そのくらいの破壊力ですよコレ!
 うう、じっと見つめられている。恥ずかしい、照れちゃう。でも視線が逸らせなくて、心臓が破裂しそうなくらい脈打っていて、いっぱいいっぱいになっていく。
「あの、それで、その……」
 敬斗くんの喉仏が一度下がって、再び元に戻る。これぞ至高の色気。そんなことを思っていたら、敬斗くんの口がかすかに見覚えある形に動いた。
「紗――」
「おーい、二人とも」
 びっくぅ! と飛び上がる私と敬斗くん。なになに、酷くない?! 普通ここで割り入る?! せっかくの桃色の雰囲気をぶち壊してくれちゃって。どうしてくれるのよ?!
「パッ……」
 声のした方を向いてみれば、他でもない。私のパパだった。

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