専属SPは今回限り
2 専属SPはときめきを撒く
令嬢
夢見心地が抜けない土曜日と日曜日を過ごして、週の明けた月曜日の朝。
「『おはようございます、お嬢様』」
「ちょっ!」
私――鴨重紗良は、教室の自分の席に座って読んでいた文庫本から、その声の主へ向かってガバッと顔を上げた。
「その呼び方やめて」
「へぇ、本読むんだ?」
「聞いてる?」
「『ええ。しかと聞いております、お嬢様』」
「あっ、もうまた!」
きひひ、となんだか楽しそうに笑っているのは、和泉敬斗くん。土日が夢見心地だったのは、この和泉くんのお陰……いやいや、和泉くんのせい。
「で、なんでダメなの?」
推しよ、そう無垢に私を覗かないでください。なんとなく照れから身を捩ってしまう。
「がっ、学校の外ならなんとも思わないけど、学校にいるときは別に、お嬢様としているわけじゃないから」
「ふぅん?」
「なんか、その、肩で風切って、引き連れてるみたいなイメージが浮いてきて、好きじゃないの」
ボソボソと口をすぼめて言う私に、和泉くんはホヤホヤとした相槌を挟んだ。わかったんだかわかってないんだか。
彼は、先週末までただのクラスメイトかつ、私が一方的に気になっていて推していた、いわゆる『片想い』という遠い存在だった。けどたまたま、和泉くんが私だと知らずに『令嬢のSP』を勤めることになったことで、なんとなく距離が縮まったというか。
傍目にはちょっとだけかもしれない。でも私個人からしたら大躍進だったんだから! もはや革命ですよ、革命。フランス革命もびっくりのやつ!
「で、どっどうしたの? からかいに来たわけじゃないでしょ?」
読みかけの文庫本に栞を挟んで、パタン。顔を見ながら話すのが恥ずかしくてたまらない私は、チラチラと瞼の上げ下げをしながら、和泉くんの様子を窺う。
「あーそうそう、これ」
和泉くんは、スラックスの左ポケットから何かを取り出して、私の机の上に置いた。
「な、どっど、何っ?」
「そんな緊張すんなよ。ただの『お詫びのお品でございます』がゆえに的な?」
「はあ?」
深々、と頭を下げてくる和泉くん。
置かれてあるのは、赤と白のギンガムチェックの包装紙。掌サイズで正方形のそれには、透明感のある水色のリボンが右斜め上に申し訳程度に貼り付けられている。
「お陰さまで、大して傷も残ンなかった。トレーニングにもなんも支障ないし」
「トレー、ニング?」
「ボクシング」
ほら、と見せられる推しの両掌。SPしてくれたときに、そこにガラス片がたくさん刺さってしまった。
次いでくるりと返される手の甲。ギャアア、近いし大きいし筋の感じとか目が幸せすぎる! とんだファンサービスだよ、ありがとうございます!
「そぼっ、ぞっ、れはよかったデス!」
「なんか度々そんな緊張されると傷つくわー」
「だあ、だっ、だってっ」
「プッ! ふはは」
カアッと顔の熱が上がったのがわかった。仕方がなくない? よく考えてみて。
和泉くんが私へマンツーマンで接してくるという、今の状況。ドストライクの顔面に覗かれるという、最高に美味しくて最高に緊張するイベント。そして、推しが私に何かをくれたという奇跡!
あぁもう逆に嬉しいという感情を乗り越えて泣きそうなんですけど! そうじゃない? そうならない?! ていうか、相も変わらず眩しいよ和泉敬斗! 制服姿でここまで近寄られたことは入学以来一度もない。つまり初めて!
なるほど。和泉くんはワイシャツの第一ボタンだけを開けて、ネクタイをちょっと緩めるタイプなのね。ふたつまで開いてると思ってた。ほら私、まじまじと男の人のことを見られないから、遠巻きにしか知らなかったの。それにSPしてくれたときは、ウチの会社支給のスーツをカッチリ着てたし。くうー、新発見!
「まぁともあれ『お納めくださいませ』。お、嬢、さ、ま」
「ちょっ、ホントにやめて!」
惚れきっている私の「やめて」に、拘束力なんてのは無い。そのことをまるでわかっているかのように、ヘラッと手を振って自分の席へ戻っていく和泉くん。
「はぁ」
薬のつもりも、摂取過多だとたちまち毒ね。毒も毒、中毒よ。まんざらでもないとか思っちゃってんだから。
クラス内外の和泉くんを好きな女子は、少なくないはず。主に体育祭とかだけど、和泉くんは事あるごとにキャーキャーと黄色い声をかけられているし、そうじゃなくてもそれなりに人気はあるから、私が二人だけで話してたらヤバいんじゃないかな。そういうところは不安かなと思う。
「な、なに、くれたんだろ」
和泉くんが置いていったギンガムチェックの袋を持ち上げる。触った感じだと、まるで中身が入っていないかのように軽くて薄い。周りに気が付かれないように、机下の膝上でこそこそと改める。
「ほわ、ハンカチ」
それは、この前ガラス片が刺さってしまった和泉くんの手に、私が応急措置として巻いたシルクハンカチととてもよく似たもの。あれは薄い桃色だったけど、これはもう少し濃くて鮮やかな色をしてる。
「きっと、これだって安くなかっただろうに」
いやらしい話だけど、裂いて和泉くんに巻いたあのハンカチは『OliccoDEoliccO』、つまりはブランド物だった。貰ったこれはそうではない。
でも、そんなこと心の底からどうでもいい。
裂いてダメになったものの代わりに、それと酷似したものを見つける気力、手間、足労。そして私を想って購入したであろう時間、金銭、気持ち。
和泉くんの土日に、わずかなりとも『鴨重紗良』を考えた時間や想いがあったという事実だけで、今日の運勢最強です! ありがとう、嬉しすぎる!
「敬斗くんにプレゼント貰った敬斗くんにプレゼント貰った敬斗くんにプレゼント貰った」
ブツブツ、最小の声で唱える呪文……いやいや、感動の気持ち。深呼吸して、向こう側でわいわいやっている和泉くんの横顔をチラリと眺めて、そうしたらまた胸がキュンとしたりして。
始業のチャイムが鳴った頃、ようやく包装紙へハンカチを戻した。もとのとおりに封をして、大事に大事に鞄にしまって、私はもう一度ひっそりとにんまりしてしまった。
「『おはようございます、お嬢様』」
「ちょっ!」
私――鴨重紗良は、教室の自分の席に座って読んでいた文庫本から、その声の主へ向かってガバッと顔を上げた。
「その呼び方やめて」
「へぇ、本読むんだ?」
「聞いてる?」
「『ええ。しかと聞いております、お嬢様』」
「あっ、もうまた!」
きひひ、となんだか楽しそうに笑っているのは、和泉敬斗くん。土日が夢見心地だったのは、この和泉くんのお陰……いやいや、和泉くんのせい。
「で、なんでダメなの?」
推しよ、そう無垢に私を覗かないでください。なんとなく照れから身を捩ってしまう。
「がっ、学校の外ならなんとも思わないけど、学校にいるときは別に、お嬢様としているわけじゃないから」
「ふぅん?」
「なんか、その、肩で風切って、引き連れてるみたいなイメージが浮いてきて、好きじゃないの」
ボソボソと口をすぼめて言う私に、和泉くんはホヤホヤとした相槌を挟んだ。わかったんだかわかってないんだか。
彼は、先週末までただのクラスメイトかつ、私が一方的に気になっていて推していた、いわゆる『片想い』という遠い存在だった。けどたまたま、和泉くんが私だと知らずに『令嬢のSP』を勤めることになったことで、なんとなく距離が縮まったというか。
傍目にはちょっとだけかもしれない。でも私個人からしたら大躍進だったんだから! もはや革命ですよ、革命。フランス革命もびっくりのやつ!
「で、どっどうしたの? からかいに来たわけじゃないでしょ?」
読みかけの文庫本に栞を挟んで、パタン。顔を見ながら話すのが恥ずかしくてたまらない私は、チラチラと瞼の上げ下げをしながら、和泉くんの様子を窺う。
「あーそうそう、これ」
和泉くんは、スラックスの左ポケットから何かを取り出して、私の机の上に置いた。
「な、どっど、何っ?」
「そんな緊張すんなよ。ただの『お詫びのお品でございます』がゆえに的な?」
「はあ?」
深々、と頭を下げてくる和泉くん。
置かれてあるのは、赤と白のギンガムチェックの包装紙。掌サイズで正方形のそれには、透明感のある水色のリボンが右斜め上に申し訳程度に貼り付けられている。
「お陰さまで、大して傷も残ンなかった。トレーニングにもなんも支障ないし」
「トレー、ニング?」
「ボクシング」
ほら、と見せられる推しの両掌。SPしてくれたときに、そこにガラス片がたくさん刺さってしまった。
次いでくるりと返される手の甲。ギャアア、近いし大きいし筋の感じとか目が幸せすぎる! とんだファンサービスだよ、ありがとうございます!
「そぼっ、ぞっ、れはよかったデス!」
「なんか度々そんな緊張されると傷つくわー」
「だあ、だっ、だってっ」
「プッ! ふはは」
カアッと顔の熱が上がったのがわかった。仕方がなくない? よく考えてみて。
和泉くんが私へマンツーマンで接してくるという、今の状況。ドストライクの顔面に覗かれるという、最高に美味しくて最高に緊張するイベント。そして、推しが私に何かをくれたという奇跡!
あぁもう逆に嬉しいという感情を乗り越えて泣きそうなんですけど! そうじゃない? そうならない?! ていうか、相も変わらず眩しいよ和泉敬斗! 制服姿でここまで近寄られたことは入学以来一度もない。つまり初めて!
なるほど。和泉くんはワイシャツの第一ボタンだけを開けて、ネクタイをちょっと緩めるタイプなのね。ふたつまで開いてると思ってた。ほら私、まじまじと男の人のことを見られないから、遠巻きにしか知らなかったの。それにSPしてくれたときは、ウチの会社支給のスーツをカッチリ着てたし。くうー、新発見!
「まぁともあれ『お納めくださいませ』。お、嬢、さ、ま」
「ちょっ、ホントにやめて!」
惚れきっている私の「やめて」に、拘束力なんてのは無い。そのことをまるでわかっているかのように、ヘラッと手を振って自分の席へ戻っていく和泉くん。
「はぁ」
薬のつもりも、摂取過多だとたちまち毒ね。毒も毒、中毒よ。まんざらでもないとか思っちゃってんだから。
クラス内外の和泉くんを好きな女子は、少なくないはず。主に体育祭とかだけど、和泉くんは事あるごとにキャーキャーと黄色い声をかけられているし、そうじゃなくてもそれなりに人気はあるから、私が二人だけで話してたらヤバいんじゃないかな。そういうところは不安かなと思う。
「な、なに、くれたんだろ」
和泉くんが置いていったギンガムチェックの袋を持ち上げる。触った感じだと、まるで中身が入っていないかのように軽くて薄い。周りに気が付かれないように、机下の膝上でこそこそと改める。
「ほわ、ハンカチ」
それは、この前ガラス片が刺さってしまった和泉くんの手に、私が応急措置として巻いたシルクハンカチととてもよく似たもの。あれは薄い桃色だったけど、これはもう少し濃くて鮮やかな色をしてる。
「きっと、これだって安くなかっただろうに」
いやらしい話だけど、裂いて和泉くんに巻いたあのハンカチは『OliccoDEoliccO』、つまりはブランド物だった。貰ったこれはそうではない。
でも、そんなこと心の底からどうでもいい。
裂いてダメになったものの代わりに、それと酷似したものを見つける気力、手間、足労。そして私を想って購入したであろう時間、金銭、気持ち。
和泉くんの土日に、わずかなりとも『鴨重紗良』を考えた時間や想いがあったという事実だけで、今日の運勢最強です! ありがとう、嬉しすぎる!
「敬斗くんにプレゼント貰った敬斗くんにプレゼント貰った敬斗くんにプレゼント貰った」
ブツブツ、最小の声で唱える呪文……いやいや、感動の気持ち。深呼吸して、向こう側でわいわいやっている和泉くんの横顔をチラリと眺めて、そうしたらまた胸がキュンとしたりして。
始業のチャイムが鳴った頃、ようやく包装紙へハンカチを戻した。もとのとおりに封をして、大事に大事に鞄にしまって、私はもう一度ひっそりとにんまりしてしまった。