専属SPは今回限り
SP
俺――和泉敬斗は、令嬢へ『詫びの品』を『お渡し』して、席へ戻った。『詫び』っていうのは、この前の金曜の夜にハンカチを裂かせてしまったことなわけだけど。
きっと安くはない、あのシルクのハンカチ。かわいらしい桃色で、もしかしたら気に入ってたものだったかもしれない。そんなのを、たかだか放っておいても治るような怪我なのに、ためらいなく裂かせてしまうような男ではさすがに示しもつかない。まして、護衛対象にそうさせてしまった。
これじゃいくらなんでもなあ、と思ったから、次の日である土曜の昼間に枝依中央ターミナル駅商業ビルへ似たようなひとつを探しに出て、お詫びに至ったわけだが。
「珍しいじゃん、敬斗。鴨重オジョーサマに話しかけるとか」
戻るなり、そこで待ち構えていた栄村にニッタリと話しかけられた。「おはよ」と前置いて椅子を引く。
「まーな。ちょっと用事」
「苦手って言ってなかった? 鴨重ご令嬢のこと」
尾藤が間に入ってきたのを流しながら、どっかりと着席。
「話してみると案外普通だよ。俺の食わず嫌い」
「『食わず嫌い』! 敬斗、食っちゃったわけ?」
「そーゆー意味じゃあねーよバカ。比喩、比喩。例えばの表現」
「軽いノリで深入りすんなよォ? マジの令嬢専属SPが飛んでくンぞ」
にんまりと含みのある笑みで俺を覗く近井。もう手遅れだしそれは俺だ……とは言えないので、適当に相槌を返しておくに留める。まぁ「俺だ」とは言っても、厳密には金曜のあの四時間こっきりだったわけだが。
令嬢直々に「また機会があったらやって欲しい」とは言われたけど、正式に契約したわけじゃない俺。こんな急遽のなんちゃってSPより、今後は確実にマジのSPが令嬢に就くんだろうし。
「…………」
なんか。それはそれでちょっとモヤる。
「ま、まぁ、マジモンだろうと関係ねーよ。俺だってそこそこ強いし、いざとなりゃこれが――」
言いながらシュッと右のストレートで空を割く。けどその瞬間、付き出した拳にツキンと刺さるような痛みを感じて、握っていた拳を緩めて、引き戻して、見つめて、思い出す。
バリンと割れて飛び散る、細かくて薄いガラス片。
ピイイとシルクハンカチの繊維がふたつに裂ける音。
アイツのちょっと泣きそうな顔とか、真っ赤になって眉を寄せて照れてる顔とか。
「敬斗?」
「手、どうかした?」
フラッシュバックしたそれらが、なんだか俺の心の中で変化している気がする。具体的にどう変化してるのかはわかんねーけど、明らかに金曜日の昼間までとは違う存在として、鴨重紗良への認識が変わったのだけはわかる。
「――い、いや、その」
今までアイツは、たとえ視界に入っても背景の一部だった。なのに、金曜の夕方からたった四時間関わった上、土日を挟んで改めて令嬢を見たら、もうアイツは今までのような『景色』じゃあなくなったような気がした。しかも、よく話す女子どもとも違う、よくわかんない特別感というか。
「なばっ、なんでもないっ」
そう思ったらなんか恥ずかしくなってきた。ギュ、と奥歯を噛み締めて、ストレートを打って見つめていた右掌を膝の上でこする。
あの時。
夜景がきらきらと映り込んだまるい瞳とか。
ジロジロ見た分だけ赤く染まっていく頬とか。
ドレスのキワの白い胸元とか二の腕とか。
海風に乱される後れ毛とか。
化粧で色付けた瞼がそっとこっちを見上げて、はにかむようなあの笑みが――。
「とっ、にかくっ」
ダアッ! どこを見ていたんだと怒られかねない記憶を思い出して謎にハスハスしてんじゃあねぇよ、俺!
「鴨重は確かにオジョーサマだけど、別にその、ガッコじゃフツーにしてるから、鴨重は鴨重として、女子の一人で、その」
キョトンな栄村、尾藤、近井。う、俺はマジで一体なんの話をしているのやら!
「ふぅーん? ときめきですか」
「やはり、ときめきですな」
「恐らくまぁ、ときめきでしょうなぁ」
一転、ニチャアといやらしい笑みになる栄村、尾藤、近井。
「は?! そーいうんじゃねーからっ」
まぁこんな状況でそんな弁解しても説得力は無いわけで。俺の真っ赤な耳だけが、コイツらに桃色の妄想だけを植え付けていく材料になってしまって。
「いつからですかね」
「全然気が付かなかったぜ」
「俺たちもまだまだでしたなぁ」
「ですな。まあいいさ、敬斗クン」
「うむうむ、あとでじっくりお訊ねしたく思いますのでね」
「もうじきチャイムも鳴ってしまいますしね?」
そう近井が言ったのと同時に響き渡る、始業のチャイム。どやどやと自席へ帰っていく三人。
チクショウ、激しい勘違いをされた。迷惑被るのは俺だけじゃなくて令嬢もだってところがまた、面倒な話になっちまったような。
きっと安くはない、あのシルクのハンカチ。かわいらしい桃色で、もしかしたら気に入ってたものだったかもしれない。そんなのを、たかだか放っておいても治るような怪我なのに、ためらいなく裂かせてしまうような男ではさすがに示しもつかない。まして、護衛対象にそうさせてしまった。
これじゃいくらなんでもなあ、と思ったから、次の日である土曜の昼間に枝依中央ターミナル駅商業ビルへ似たようなひとつを探しに出て、お詫びに至ったわけだが。
「珍しいじゃん、敬斗。鴨重オジョーサマに話しかけるとか」
戻るなり、そこで待ち構えていた栄村にニッタリと話しかけられた。「おはよ」と前置いて椅子を引く。
「まーな。ちょっと用事」
「苦手って言ってなかった? 鴨重ご令嬢のこと」
尾藤が間に入ってきたのを流しながら、どっかりと着席。
「話してみると案外普通だよ。俺の食わず嫌い」
「『食わず嫌い』! 敬斗、食っちゃったわけ?」
「そーゆー意味じゃあねーよバカ。比喩、比喩。例えばの表現」
「軽いノリで深入りすんなよォ? マジの令嬢専属SPが飛んでくンぞ」
にんまりと含みのある笑みで俺を覗く近井。もう手遅れだしそれは俺だ……とは言えないので、適当に相槌を返しておくに留める。まぁ「俺だ」とは言っても、厳密には金曜のあの四時間こっきりだったわけだが。
令嬢直々に「また機会があったらやって欲しい」とは言われたけど、正式に契約したわけじゃない俺。こんな急遽のなんちゃってSPより、今後は確実にマジのSPが令嬢に就くんだろうし。
「…………」
なんか。それはそれでちょっとモヤる。
「ま、まぁ、マジモンだろうと関係ねーよ。俺だってそこそこ強いし、いざとなりゃこれが――」
言いながらシュッと右のストレートで空を割く。けどその瞬間、付き出した拳にツキンと刺さるような痛みを感じて、握っていた拳を緩めて、引き戻して、見つめて、思い出す。
バリンと割れて飛び散る、細かくて薄いガラス片。
ピイイとシルクハンカチの繊維がふたつに裂ける音。
アイツのちょっと泣きそうな顔とか、真っ赤になって眉を寄せて照れてる顔とか。
「敬斗?」
「手、どうかした?」
フラッシュバックしたそれらが、なんだか俺の心の中で変化している気がする。具体的にどう変化してるのかはわかんねーけど、明らかに金曜日の昼間までとは違う存在として、鴨重紗良への認識が変わったのだけはわかる。
「――い、いや、その」
今までアイツは、たとえ視界に入っても背景の一部だった。なのに、金曜の夕方からたった四時間関わった上、土日を挟んで改めて令嬢を見たら、もうアイツは今までのような『景色』じゃあなくなったような気がした。しかも、よく話す女子どもとも違う、よくわかんない特別感というか。
「なばっ、なんでもないっ」
そう思ったらなんか恥ずかしくなってきた。ギュ、と奥歯を噛み締めて、ストレートを打って見つめていた右掌を膝の上でこする。
あの時。
夜景がきらきらと映り込んだまるい瞳とか。
ジロジロ見た分だけ赤く染まっていく頬とか。
ドレスのキワの白い胸元とか二の腕とか。
海風に乱される後れ毛とか。
化粧で色付けた瞼がそっとこっちを見上げて、はにかむようなあの笑みが――。
「とっ、にかくっ」
ダアッ! どこを見ていたんだと怒られかねない記憶を思い出して謎にハスハスしてんじゃあねぇよ、俺!
「鴨重は確かにオジョーサマだけど、別にその、ガッコじゃフツーにしてるから、鴨重は鴨重として、女子の一人で、その」
キョトンな栄村、尾藤、近井。う、俺はマジで一体なんの話をしているのやら!
「ふぅーん? ときめきですか」
「やはり、ときめきですな」
「恐らくまぁ、ときめきでしょうなぁ」
一転、ニチャアといやらしい笑みになる栄村、尾藤、近井。
「は?! そーいうんじゃねーからっ」
まぁこんな状況でそんな弁解しても説得力は無いわけで。俺の真っ赤な耳だけが、コイツらに桃色の妄想だけを植え付けていく材料になってしまって。
「いつからですかね」
「全然気が付かなかったぜ」
「俺たちもまだまだでしたなぁ」
「ですな。まあいいさ、敬斗クン」
「うむうむ、あとでじっくりお訊ねしたく思いますのでね」
「もうじきチャイムも鳴ってしまいますしね?」
そう近井が言ったのと同時に響き渡る、始業のチャイム。どやどやと自席へ帰っていく三人。
チクショウ、激しい勘違いをされた。迷惑被るのは俺だけじゃなくて令嬢もだってところがまた、面倒な話になっちまったような。