専属SPは今回限り
令嬢
三時間目の体育は二クラス合同で、かつ男女が分かれた授業内容。バスケットコート四面分の広い体育館の中で、男子はバスケットボール、女子はバレーボールをしなさいとのことだった。
なんとなくゆるく進んでいくゲームと雰囲気に、緊張感が抜けていく私――鴨重紗良。バレーボール参加外の今は、他の女の子たちに混ざって……というか、流れで端の方に立って、男子のバスケの試合を眺めている。
もちろん、言わずもがな。私の視界の真ん中にいるのは、和泉敬斗くんなわけだけれど。
「はあ」
和泉くんの運動神経は、並外れていると思う。女の子たちがキャーキャー言うのも、何をやらせてもそつなくこなす上、結構……いやかなり目立つからだと思うし。和泉くんの顔がそれなりにいいのもあるけど。
「紗良、大丈夫?」
「えっ?!」
「また誰かになんか言われた?」
「う、ううん違うの。なんでもないっ」
左隣にいた伊達ちゃんに、漏れ出た溜め息を心配されてしまった。
「推しが今日も黄色い声援を浴びて悩ましいんだよねぇ、紗良は」
右隣でニヤニヤしていたえみりに、ズキンドキン。
「ああ、なんだ。そっちか」
「現状で紗良の溜め息っちゃ、当然それっしょ」
「おっ、あいや、そ、その」
気のおけない友達である、伊達ちゃんとえみり。二人のことはとっても大切に思っている。
家柄やらその名前のせいで、まるで腫れ物に触るみたいに接してくる周囲だけど、伊達ちゃんとえみりは初めから違った。彼女たちに自然体で接してもらえることは、高校生活を送る上でとってもありがたいの。
「いやはや、紗良が気になってしまうのも仕方ないよねぇ。目立つもん、和泉くん」
「体使う行事やら授業があれば、いつも決まってこんなに目立ってるし。放課後になれば、『和泉敬斗争奪戦』が教室内外で毎日繰り広げられてるし」
ほら、今もいい位置取り。バスケ部が二人も和泉くんにマークついてきてるのに、動揺どころかむしろ毅然としてる。
まばたきの速度で、和泉くんは手にしていたボールを頭上に上げた。かと思うと、それは大きく弧を描いてゴールリング、そしてネットの中へ。わずかな擦れ合う音を立てて、ボールが見事に吸い込まれた。
「ほ、ほわぁ」
こっち側――つまりバレーボールのコートから、とんでもなく黄色くて甲高い歓声と、極彩色のハートマークが上がる。うう、わかる。あれに混ざりたいくらい、私もキャアーって思ってる。とんでもなく格好よかった、今の!
「いやぁ、三点奪取かぁ」
「マークかわしてあれだもんね。そりゃあんなの『自分たちの部活に』って必死に引き込もうとするよねぇ」
伊達ちゃんもえみりも、絶対にわざと私を意識付かせるために言ってるな? うう、ドキドキするよ。ただ遠巻きに見てるだけなのに。
「んで、渦中の和泉くんはそれらぜーんぶ煙に巻いて、実家のボクシングジムでトレーニング三昧、と」
「自分のやりたいことして輝いてるイケメンを間近で見るのは、確かに目の保養にいいもんねぇ。推せる推せる」
伊達ちゃんとえみりの代弁が、私の顔面を真っ赤にしていく。はああ、そうなんだよなぁー! 和泉敬斗を推すのはそういう理由というかきっかけというか!
「推せるが、あたしらは同担拒否ですし?」
「そそ。和泉敬斗推しは、三人の中で紗良だけなので、その辺はクリーンで安全安心と」
「そこはなんとも、ありがとうに尽きます……」
モジモジ、と小さくなる私。
「今日も健全に推していけ、紗良」
「そーだそーだ。推しは推せるうちに推せ。そして隙あらば突撃せよだ」
えみりの言葉に乗っかって、ぽやんと和泉くんを眺める私。
走る姿。満面の笑みのハイタッチ。汗を拭う腕。七分丈に捲り上げたジャージの先のふくらはぎ――そういう、制服からは絶対に見えない好きな人の『男性性』を垣間見て、顔が緩まないわけがないよね。
「やっぱり、格好いいよなぁ」
「お?」
「んん? なになに?」
漏れ出た独り言。伊達ちゃんとえみりに、ニヤアニヤアと見つめられて。
「えっ、あ、いや別に! うん!」
でも、真実は真実だよね。金曜日、あの人を独占してたかと思うと、それだけで充足感と中毒性が、一気に胸の中心を突き刺す感じに見舞われる。
今の和泉くんは、遠くから眺めているだけの私へは目もくれない。ひたすら試合の状況を見て、チームメイトに気を配っていて、輝いている。こんなときばかり『大勢の中のひとり』という立場からは抜け出したくなっちゃうよね。いつもなら逆なのに。
輝かしい和泉敬斗の後頭部へ、私はあらゆる邪念を絡めた溜め息をもうひとつだけ小さく吐き出した。
そのとき。
「ゴメン、避けてぇ!」
後ろ――真面目にバレーボールの試合をやっている誰かの注意喚起の声が、たまたままっすぐ耳に入った。振り返ろうと、伊達ちゃん側から首を回そうとしたその瞬間。
ボカンッと激しい痛みが、頭に。
「さっ、紗良!」
「大丈夫、紗良?!」
目の前にチカチカする星。
鼻の奥の苦みばしった痛覚。
ゆらゆらの景色。
失くなっていく平衡感覚。
それらに耐えられなくて、膝から崩れるようにうずくまってしまった。あれ? なんか立てない。伊達ちゃんもえみりも、とっても遠くから声をかけてくる感じ。
変だぞ、私。
「――鴨重?」
「う、ん」
とりあえず早いとこ「大丈夫」って言って笑っておかないと大事になっちゃう。変に注目浴びたら恥ずかしいし、また「オジョーサマが目立つために」とかなんとかって、あることないこと言われちゃう。
なのに動けないなぁ。もしかして、保健室行かなきゃいけないやつ?
「ワリ。俺汗かいてっけど我慢して『ください』」
と、思っていたら、突如かけられた男声に全部の意識が向く。それから体がふわりと宙に浮いた、ような、気がする。背中と膝の裏が暖かい腕で支えられて、持ち上がっ……てこれ。まさか『お姫さま抱っこ』的なものをされているのでは?!
何? 誰? いや、誰なのかの認識はできてるんだけど、処理が追い付かない。だってこれは他でもない――。
「けーと、くん?」
呟いた名前と、体育館内のサワサワしている空気。やがて聴こえてくる、駆け足の音。揺れながら移動し始める、周辺の景色。
頭を打った衝撃でモヤモヤとしか見えてないけど、今の私、もしかしなくても抱えられて運ばれてない?
ウソ、マジで?! どうしよう! 少女漫画とか乙女ゲームじゃん、これ!
だいぶ後ろの方から、女の子たちによる爆音の「キャアー!」が聴こえた。盛り上がっているのか壮大な嫉妬を買ってしまったか。男の子たちによる「スゲーときめきだ!」っていうどよめきも漏れ響いてきて、ようやく私は目をキュっと閉じた。
嬉しい。嬉しすぎる。嬉しいすぎてどうにかなりそうだけれども、私はひとつ懸念している!
これってもしかして、お互いにとてつもなく教室に戻りにくいやつなのでは? ってことを!
なんとなくゆるく進んでいくゲームと雰囲気に、緊張感が抜けていく私――鴨重紗良。バレーボール参加外の今は、他の女の子たちに混ざって……というか、流れで端の方に立って、男子のバスケの試合を眺めている。
もちろん、言わずもがな。私の視界の真ん中にいるのは、和泉敬斗くんなわけだけれど。
「はあ」
和泉くんの運動神経は、並外れていると思う。女の子たちがキャーキャー言うのも、何をやらせてもそつなくこなす上、結構……いやかなり目立つからだと思うし。和泉くんの顔がそれなりにいいのもあるけど。
「紗良、大丈夫?」
「えっ?!」
「また誰かになんか言われた?」
「う、ううん違うの。なんでもないっ」
左隣にいた伊達ちゃんに、漏れ出た溜め息を心配されてしまった。
「推しが今日も黄色い声援を浴びて悩ましいんだよねぇ、紗良は」
右隣でニヤニヤしていたえみりに、ズキンドキン。
「ああ、なんだ。そっちか」
「現状で紗良の溜め息っちゃ、当然それっしょ」
「おっ、あいや、そ、その」
気のおけない友達である、伊達ちゃんとえみり。二人のことはとっても大切に思っている。
家柄やらその名前のせいで、まるで腫れ物に触るみたいに接してくる周囲だけど、伊達ちゃんとえみりは初めから違った。彼女たちに自然体で接してもらえることは、高校生活を送る上でとってもありがたいの。
「いやはや、紗良が気になってしまうのも仕方ないよねぇ。目立つもん、和泉くん」
「体使う行事やら授業があれば、いつも決まってこんなに目立ってるし。放課後になれば、『和泉敬斗争奪戦』が教室内外で毎日繰り広げられてるし」
ほら、今もいい位置取り。バスケ部が二人も和泉くんにマークついてきてるのに、動揺どころかむしろ毅然としてる。
まばたきの速度で、和泉くんは手にしていたボールを頭上に上げた。かと思うと、それは大きく弧を描いてゴールリング、そしてネットの中へ。わずかな擦れ合う音を立てて、ボールが見事に吸い込まれた。
「ほ、ほわぁ」
こっち側――つまりバレーボールのコートから、とんでもなく黄色くて甲高い歓声と、極彩色のハートマークが上がる。うう、わかる。あれに混ざりたいくらい、私もキャアーって思ってる。とんでもなく格好よかった、今の!
「いやぁ、三点奪取かぁ」
「マークかわしてあれだもんね。そりゃあんなの『自分たちの部活に』って必死に引き込もうとするよねぇ」
伊達ちゃんもえみりも、絶対にわざと私を意識付かせるために言ってるな? うう、ドキドキするよ。ただ遠巻きに見てるだけなのに。
「んで、渦中の和泉くんはそれらぜーんぶ煙に巻いて、実家のボクシングジムでトレーニング三昧、と」
「自分のやりたいことして輝いてるイケメンを間近で見るのは、確かに目の保養にいいもんねぇ。推せる推せる」
伊達ちゃんとえみりの代弁が、私の顔面を真っ赤にしていく。はああ、そうなんだよなぁー! 和泉敬斗を推すのはそういう理由というかきっかけというか!
「推せるが、あたしらは同担拒否ですし?」
「そそ。和泉敬斗推しは、三人の中で紗良だけなので、その辺はクリーンで安全安心と」
「そこはなんとも、ありがとうに尽きます……」
モジモジ、と小さくなる私。
「今日も健全に推していけ、紗良」
「そーだそーだ。推しは推せるうちに推せ。そして隙あらば突撃せよだ」
えみりの言葉に乗っかって、ぽやんと和泉くんを眺める私。
走る姿。満面の笑みのハイタッチ。汗を拭う腕。七分丈に捲り上げたジャージの先のふくらはぎ――そういう、制服からは絶対に見えない好きな人の『男性性』を垣間見て、顔が緩まないわけがないよね。
「やっぱり、格好いいよなぁ」
「お?」
「んん? なになに?」
漏れ出た独り言。伊達ちゃんとえみりに、ニヤアニヤアと見つめられて。
「えっ、あ、いや別に! うん!」
でも、真実は真実だよね。金曜日、あの人を独占してたかと思うと、それだけで充足感と中毒性が、一気に胸の中心を突き刺す感じに見舞われる。
今の和泉くんは、遠くから眺めているだけの私へは目もくれない。ひたすら試合の状況を見て、チームメイトに気を配っていて、輝いている。こんなときばかり『大勢の中のひとり』という立場からは抜け出したくなっちゃうよね。いつもなら逆なのに。
輝かしい和泉敬斗の後頭部へ、私はあらゆる邪念を絡めた溜め息をもうひとつだけ小さく吐き出した。
そのとき。
「ゴメン、避けてぇ!」
後ろ――真面目にバレーボールの試合をやっている誰かの注意喚起の声が、たまたままっすぐ耳に入った。振り返ろうと、伊達ちゃん側から首を回そうとしたその瞬間。
ボカンッと激しい痛みが、頭に。
「さっ、紗良!」
「大丈夫、紗良?!」
目の前にチカチカする星。
鼻の奥の苦みばしった痛覚。
ゆらゆらの景色。
失くなっていく平衡感覚。
それらに耐えられなくて、膝から崩れるようにうずくまってしまった。あれ? なんか立てない。伊達ちゃんもえみりも、とっても遠くから声をかけてくる感じ。
変だぞ、私。
「――鴨重?」
「う、ん」
とりあえず早いとこ「大丈夫」って言って笑っておかないと大事になっちゃう。変に注目浴びたら恥ずかしいし、また「オジョーサマが目立つために」とかなんとかって、あることないこと言われちゃう。
なのに動けないなぁ。もしかして、保健室行かなきゃいけないやつ?
「ワリ。俺汗かいてっけど我慢して『ください』」
と、思っていたら、突如かけられた男声に全部の意識が向く。それから体がふわりと宙に浮いた、ような、気がする。背中と膝の裏が暖かい腕で支えられて、持ち上がっ……てこれ。まさか『お姫さま抱っこ』的なものをされているのでは?!
何? 誰? いや、誰なのかの認識はできてるんだけど、処理が追い付かない。だってこれは他でもない――。
「けーと、くん?」
呟いた名前と、体育館内のサワサワしている空気。やがて聴こえてくる、駆け足の音。揺れながら移動し始める、周辺の景色。
頭を打った衝撃でモヤモヤとしか見えてないけど、今の私、もしかしなくても抱えられて運ばれてない?
ウソ、マジで?! どうしよう! 少女漫画とか乙女ゲームじゃん、これ!
だいぶ後ろの方から、女の子たちによる爆音の「キャアー!」が聴こえた。盛り上がっているのか壮大な嫉妬を買ってしまったか。男の子たちによる「スゲーときめきだ!」っていうどよめきも漏れ響いてきて、ようやく私は目をキュっと閉じた。
嬉しい。嬉しすぎる。嬉しいすぎてどうにかなりそうだけれども、私はひとつ懸念している!
これってもしかして、お互いにとてつもなく教室に戻りにくいやつなのでは? ってことを!