偽物の天才魔女は優しくて意地悪な本物の天才魔法使いに翻弄される
知らない内に感じた事
カリカリと羽根ペンを走らせる音だけが響く。ひたすらに授業内容をノートにまとめる。途中で何回もハヤトに「教えようか」と声をかけられたが、オリビアは首を振った。
「ふぅ……」
しばらくして、大きく息を吐いた。両手をぐっと伸ばして背伸びをしていると、横からティーカップが差し出された。ハヤトは以前と同じように魔法を使ったのか、いつの間にか用意していたようだった。オリビアの前に淹れたての紅茶の芳醇な香りが広がる。
「あ、ありがとう…」
「お疲れ様」
オリビアは、素直に受け取った。ハヤトのこういうところが、彼を嫌いになりきれない理由のひとつだった。
(さっきまであんなにうるさかったのに…)
いざ勉強を始めると献身的にサポートしてくれる彼の事を、どうしても邪険には出来ない。
「美味しい…」
「良かった」
暖かい紅茶を一口飲んで、ホッとしたようにつぶやくと、ハヤトは嬉しそうに笑った。
「…ねぇ、トップクラスの授業って難しい?」
今ならなんとなく、普通に話せる気がした。オリビアはハヤトの所属する特別進学科について、彼の制服に付けられた「ハヤト・ヤーノルド」と書かれたクラスカラーである緑色の名札を見ながら尋ねる。普通科のオリビアにとっては未知の世界であった。
「うん?ああ、難しいと思うけど。難関大学受験に向けた授業が多いんだけど、僕は希望してないから、あんまり関係ないんだよね。転校してくる時に校長に勧められて、ここに入ったってだけで」
ハヤトは足を組み、リラックスした様子で自分の分のカップをすすった。
「そうなの…」
「あのさ、どうしてトップクラスって呼ぶの?特別進学科の事」
「え?皆、そう言ってるし…全部の学科で1番頭がいい人が集まるから、自然に呼ばれ始めたんじゃないかしら」
「そうか…あんまり好きじゃないな」
苦笑いで、頭を搔く。
「どうして?」
「普通科も専門学科も、それぞれ別の目標があって存在するんだから、比べる必要ないだろ。テストの順位とかは、多少は闘争心をあおって学習意欲に繋げる目的はあるんだろうけど」
「そ、そうね」
「まぁオリビアは、あおられすぎだけどね」
ハヤトはにんまりと笑って、オリビアを見つめた。
「うっ…一言多いわよ」
オリビアは眉間にシワを寄せながら言った。しかし、なぜだか気持ちは軽くなる。普通科は居心地は良いが、よく馬鹿にされる学科でもあった。特別進学科をトップクラスと呼ぶ度に、心のどこかが痛む気がしていた。
「それにさ、魔法学も専攻出来るおかげで、進路も色々選びやすくなってるだろう。学科の垣根を越えて学べてるんだから、もう所属は関係無い気がするよ」
「確かに、魔法学の選択授業では特別進学科も専門学科も皆一緒だものね…」
両手で大事に包んだティーカップをそっと口に運ぶ。
──ハヤトがこんな考え方だったなんて。意外なような、分かっていたような。
「オリビアは目標とかあるの?その、順位以外で」
「え?あ、私はね、魔法学の───」
今の小学校では、まだ魔法学は教えられていない。将来的には義務教育に取り入れられる予定と聞いたオリビアは、小学校の教員として魔法学を教えてみたいという夢を持っている。オリビアは一瞬の内に思い浮かべた。可愛らしい子どもたちに魔法の楽しさを伝える自分の姿を。一緒に杖を振ったり、魔法薬を作って見せたり……
(…ん?魔法薬?)
「あっ!!」
オリビアはある事を思い出し、慌ててカップをテーブルに置いて足元のカバンを漁った。
「どうしたの?」
「忘れてた。調合の課題、終わってないんだったわ」
「え…嘘だろ?」
ハヤトが驚いた声を上げた。それもそのはず、課題が出たのは数週間も前の事である。彼の反応にオリビアはムッとした顔になった。
「だって、習って無い薬草もあったでしょ?調べるのに時間がかかっているのよ。完璧に仕上げたいんだもの」
「驚いたな。他の人は答えを見るか、僕に聞いてさっさと終わらせて提出してたよ」
もはや課題の事など忘れかけていたハヤトは、呆れたように笑う。
「いいの。私は自分が納得いくまでやるから。そうじゃないと、課題の意味が無いでしょ?」
「うん、君らしい。さすが僕のオリビア」
「あなたのじゃありません」
オリビアはハヤトの言葉をしっかり否定しながら、調合セットをテーブルに並べた。
その行動を見て、ハヤトがキョトンとする。
「えっ、ここでやるのかい?図書館だよ」
言われて、オリビアは自分の手元を見た。
本棚に囲まれた読書用コーナーのテーブルには場違いな大きさの、鍋が置かれてある。
「……………そうね。間違えたわ」
「……」
沈黙が流れる。
「………………フッ」
ハヤトがこらえきれず笑い出すと、オリビアは恥ずかしそうに目を逸らした。
「ちょっと!笑わないでよ!」
「ごめんごめ……いや、ごほん。大丈夫だよ、間抜けだなんて思ってないから………あはは」
「もう!…………ふふ」
オリビアもつられて笑ってしまった。これまでもこういったミスは何度もあったが、クラスの中ではしっかり者を演じ続けてきた彼女にとって、それを誰かと笑い合うのは初めてだった。
「……はぁ。でも、火を使わない調合だし、ここでやっても大丈夫じゃないかな。誰もいないし。調合室遠いだろ」
ハヤトは気を取り直して言った。
「え、いいのかしら…」
「まぁ、バレなければいいんじゃないか。爆発でもさせなきゃ」
「そういうの、プレッシャーになる…」
「君なら出来るよ。頑張れ」
不安そうに鍋を見るオリビアの肩に、ポンと手を置いて励ます。
「うーん…、やってみるわね」
オリビアは腕まくりをする。
ハヤトが隣にいるし、いっか。
自然とそう考えた事に、気付かなかった。