偽物の天才魔女は優しくて意地悪な本物の天才魔法使いに翻弄される
2度目の危機は
オリビアは声にならない悲鳴を上げた。
「ひっ………!」
獰猛な目つきをした、ゴブリンだ。いつの日かハヤトが読んでいた本の、あのゴブリン。すぐ近くの森にいると言われている、危険な生物。赤黒い皮膚と鋭利な爪。魔物図鑑に載っていた写真のまま、そこにいる。こちらを見て、獲物を見つけたと、狙いを定めている。
恐怖のあまり動けなくなった。何のための授業なのか。何のために魔法学を専攻したのか。いくらテストの点数が良くても、こんな事では意味がない。頭では分かっていても、足がすくむ。
震える手でなんとか杖は取り出せても、向ける事が出来ない。魔法が思い出せない。真っ白になった頭にひとつだけ浮かぶのは、無惨にも切り裂かれた自分の姿。
結局これが実力なのだ。学校で優等生でも一歩外に出れば、非力な人間でしかない。一瞬にしてそう実感する。
勝ちを確信したゴブリンが飛びかかってくる。覚悟して目を瞑ろうとしたその時、真横で何かが光った。
光の線は真っ直ぐにゴブリンを捉え、直撃する。ゴブリンは地面に叩きつけられて唸り声を上げながら痛そうにもがいた。
オリビアは驚いて振り返った。後ろには自分と同じような学生が立っていたが、ひと目で魔法使いだと分かった。あの背の高い坊主頭の男は、紅茶を淹れるのが得意な、天才と呼ばれた魔法使いだ。
いつもニヤニヤ笑っている彼は鋭い目つきでゴブリンを睨んだ。再び魔力のこもった光線を容赦なく浴びせると、ゴブリンはあっという間に燃え上がって消えた。
「ハ…ヤト…」
彼の顔を見て、その場に崩れ落ちるように座り込む。
「オリビア!大丈夫?怪我は?」
ハヤトはオリビアの隣に膝をつき、背中に手を添えて心配そうな顔で覗き込んだ。
「だ、だいじょうぶ……」
「良かった……ごめんね、僕がこんな場所の家に呼んだから…あいつら夕方になると活動的になるから、送っていこうとしたら…」
「ううん、ありがとう…怖かった…」
思わず彼の腕に強く掴まる。体のどこも痛くない事が信じられない。
──絶対にもうダメだと思った。
オリビアは、ハヤトを見た。全く動けなかった自分と違って冷静に対処した彼をじっと見ていると、心拍数が上がる。普段は憎らしくて仕方ない彼の力が、今はこれ以上ない程に頼もしい。
「オリビア?」
「あっ、なんでもないわ……じゃ、帰るね……」
見とれてしまっていたことに気付き、慌てて落ちたカバンを手繰り寄せて帰ろうとする。
「あ、あれ…」
(立てない…)
腰が抜け、立つ事が出来ない。地面に手をついて力を入れても、どうにもならない。
「ハヤトごめんね、肩貸して…」
「……」
「ハヤト?」
返事の無いハヤトを見る。
「残念だったね、オリビア…」
大きくため息をつきながら、ハヤトは言った。その顔に笑みは無い。
「え…あ、ごめんなさい、さすがに魔女として情けないわよね」
再び1人で立ち上がろうと踏ん張っていると、後ろから手を回され、抱き上げられた。
「あっ」
「あと少しだったのに…今立てていれば、帰れたのにね……」
迷いなく歩く彼に、玄関からまた家の中へ、そして魔法薬の並ぶテーブル横をすり抜け、奥の部屋へ運ばれる。勉強した部屋とは違う、その狭い部屋には、ベッドがひとつ置いてあった。
「!ちょ、ちょっと、ハヤト……」
「せっかく、たまには我慢しようと思ってたのにさぁ……」
少し怒っているようにも聞こえるハヤトの声に、2度目の身の危険を感じ始める。
「立てるから!」
「悩んだんだよ?でもさ、そんなに可愛い姿見せられたら、もう無理だよ」
ベッドの上にそっと下ろされる。ぎし、とスプリングを軋ませて彼が覆い被さってくる。
「ハヤト、待って…」
「……その代わり、今日はちゃんと聞くよ。オリビア、いい……?」
ハヤトの真剣な瞳がオリビアを捉えた。
「ダ……」
──ダメって、言わなきゃ。
頭の中は逃げる事でいっぱいのはずなのに、言葉が出てこない。彼を押しのけたいのに、腕があがらない。
すぐに手を出してくるところが苦手だ。やっぱり今日もこうなるのね、最低って、また言ってやりたい。
それなのに、私の体は抵抗してくれない。そういえばさっきから、体が尋常じゃない程に熱い。熱でも出したか、どんどん上がる体温に思考を奪われていく。ハヤトから目を逸らす事が出来ない。
ちゃんと聞いてくれたじゃない。だから、ちゃんと断らなきゃ。そう思っているのに、私の口は意思とは反対に動いた。
「ダ……ダメ………じゃ…………」
ハヤトは最後まで待たず、オリビアの唇を塞いだ。