偽物の天才魔女は優しくて意地悪な本物の天才魔法使いに翻弄される
彼を超えるチャンス
もう後がない。学年末テストは、数日後に行われる。ハヤトは出席はするものの、未だに立ち直れていない。心配したクラスメイトたちが声をかけたり、遊びに誘ったりもしたが、返事は曖昧だった。弱った姿に母性本能をくすぐられた、あらゆる学科の何人もの女子生徒に呼び出されたりもしたが、彼は行く素振りを見せなかった。
今日もハヤトは授業後も帰らず、机で目を瞑り静かにうなだれている。オリビアは、誰もいない事を確認してハヤトの席に近寄った。教師たちの話を聞いてしまっていた。彼を表彰の候補から外す検討をし始めているという事を。
「ハヤト…皆もう帰ったわよ。テスト勉強するんじゃない?あなたもした方がいいんじゃ…」
「……もう、僕の事は放っておいていいんだよ」
ハヤトはオリビアを一瞥すると、またぼんやりと机に目を落とした。
「そんな事出来る訳無いでしょう。あなたは私のライバルなのよ?言ったじゃない、そういうの抜きにして戦いたいって。あなたがそうだと気が散るのよ。一緒にやりましょうよ」
「行かないよ。もう邪魔して困らせたくない。僕はレイに負けたんだ」
「………何よ、出来るんじゃない、遠慮…」
動こうとしない彼を見下ろす。オリビアも立ち去る事が出来ない。ハヤトのうつろな顔を見たまま、静かに時間が流れていく。
カラカラとドアがスライドされる音で、オリビアはハッとした。入口の方を見ると、レイが立っていた。真剣な目をして、口元を引き締めている。
「…オリビア先輩、行きましょう」
何かを察しているのか、いつものニコニコと無邪気な様子は無い。
「レイくん、少し待って」
「もう追い込みの時期なんですよ。時間の無駄です。ねぇハヤト先輩、彼女、連れて行きますね。いいですよね」
レイはこちらに向かって歩きながら、ハヤトに冷たく声を掛け、戸惑うオリビアの背中に手を添えた。聞いてはいるが、拒否はさせない、そんな言い方である。
「ああ…」
ハヤトは辛そうに顔を歪め、目を瞑ってレイを見ないようにした。レイはハヤトが何も言わないのを確認すると、オリビアを立ち止まらせないように、強めに押して教室から出す。
「ハヤト、自分の部屋でもいいから、テスト勉強だけはしっかりやるのよ。お願い……」
オリビアはレイに押されながら振り返り、ハヤトに訴えるが、返事は無かった。
***
今日も図書館は、がら空きだった。
この時期ならもっと人がいてもいいものを、人気があるのはいつだって宿舎の方の図書室だ。だからこそ、オリビアはここに来ているというのもある。
彼女は、もはや自分専用の席であるかのように、いつものお気に入りの窓際の席に座る。レイはその向かい合わせに腰掛け、教科書を広げた。真面目にテスト勉強を進めている。時々オリビアへ質問しては、分かった事をノートに記した。
オリビアは、レイに教える時以外はほとんど上の空だった。教科書を眺めても、内容が入ってこない。
窓の外に顔を向け、夕日に目を細める。いつの間にか季節も変わろうとしている。今にも沈みそうな暖かな陽の光が、彼女の手に力無く握られた羽根ペンに優しく当たって、黄色く輝かせた。
「オリビア先輩…どうしたんですか?全然進んでませんよ」
「あ…そうね、止まっちゃってたわね」
「別れたの?」
「えっ………」
「そろそろ教えてくださいよ、先輩たちの事。ハヤト先輩、あんなにうるさかったのに、どうして最近大人しいんですか?仲直り出来なかった?」
レイは探るような目つきで、こちらをじっと見ている。
「…いえ、付き合ってはいないのよ。言いそびれちゃってたけど」
「…………やっぱり。ハヤト先輩はああ言ってたけど、あの人の妄想だったんですね。気持ちの悪い人だ」
ハヤトが嫌いなのか、彼の話になった途端に表情を変えた。
「ふふ……相変わらずはっきり言うのね。ハヤトはかなり強引だし、独占欲も強い人で、最初はレイくんの事もかなり警戒してたわ。危ない、信じないって。あなたよりも、ハヤトに気を付けた方が良いぐらいだったのに」
「うえ、何ですか、危ないって。僕がオリビア先輩を襲うとでも?こんな場所で?そんな事する訳無いじゃないですか。その発想に驚きですよ」
その後に、ドン引きです、と付け足した。
「ええ、そうね。あなたはハヤトみたいな事はしないわね。ハヤトがおかしいのよ。皆が自分と同じだと思ってる」
「付き合ってもないのにあそこまで怒れるんだ…。そういう勘違い野郎には、きっぱり言わないと大変ですよ」
「そう、それで本気で怒ったら、信じられないぐらい落ち込んじゃって」
オリビアは笑った。だが、目が悲しげに揺れる。
「へぇ、だからあんな風になってるんですね。じゃあもういいじゃないですか?気にする必要ないですよ」
「そうなんだけどね……テストが、あるから。ハヤト、勉強にも身が入らなくなってるみたいで。このままだと表彰者から外されるわ」
「そんなの放っとけばいいんですよ。あいつが勝手にやってる事なんだから。オリビア先輩はあいつの心配なんてする必要ないんだって」
「あいつ、って言うの、やめてくれる?」
オリビアは優しく静かに言ったが、彼女の目を見てその内にある感情を感じ取ったのか、レイは慌てたように訂正した。
「えっ、あ、すみません……ハヤト先輩、失恋したくらいで大事なテストまで投げ出すなんて、普段よっぽど何でも思い通りにいってるんですね。だから、一度の失敗で、落ちるところまで落ちるんだ。可哀想な人ですね」
「……そうね」
「でも良かったですね、チャンスじゃないですか」
「チャンス?」
「1位のハヤト先輩は今、勉強が手につかない状態。という事は、2位のオリビア先輩が1位を取るチャンスです」
──私が、1位?
「そして、ハヤト先輩はトップクラスだ。普通科が、トップクラスに勝つまたとない機会でもある。オリビア先輩、今ですよ。ラッキーじゃないですか、ハヤト先輩が落ち込んでくれて。タイミングが完璧でしたね」
「あ……」
──こんな大事な時期に、ハヤトを…そんなつもりは無かったけど、同じ事だ。
「オリビア先輩は、悪くないですよ。誰にだって嫌な事のひとつやふたつ、あるものです。その度に何も出来なくなってたらキリが無いですよ。切り替えられないハヤト先輩が悪いんです」
口に手を当て眉を下げるオリビアを慰めるように、レイは優しく言う。
「それは、一理あるけど…」
「なに遠慮してるんですか?ずっと目指してたんですよね?今の順位に納得いってないって。羨ましかったんですよね?」
レイの矢継ぎ早の説得に、オリビアは戸惑った目を見せた。
──レイくんの言う通りのような気がしてくる。今彼に勝てれば、賞状も1位で受け取れる…。
オリビアは思い返した。成績表を開く度に目に入る数字の「2」に、どれほどの悔しさを感じてきたか。いつも首位にいる男の顔を見る度、どんなに憎らしく思っただろうか。
ずっと彼を超えたかった。この1年間、それしか考えられない程、過去の栄光にすがりついていた。あの日から何もかも狂ってしまっていたでは無いか。あの人に崩されたプライドを取り戻す、最大のチャンスだ。
オリビアはそう思いながら机に目を落とすと、クリスマスの日から使い続けている黄色い羽根ペンが目に入った。
──じゃあ私は、どうしてここまで諦めないでいられたんだっけ?
何も言えないでいると、ふいにレイに手を重ねられ、顔を上げた。レイは笑顔で、冷たい印象の目元を最大限に柔らかくさせている。
「僕もラッキーでした。ハヤト先輩が自滅してくれたので」
「自滅…?」
「だって僕、ただ勉強してただけなのに、ハヤト先輩が勝手に諦めてくれたんですよ。この間もあんなに怒ってたから、殴られでもするのかと思えば」
勝ち誇った顔で、こちらへ微笑みかけた。
「僕は、次のテストで必ず学年1位を取ります。だから…オリビア先輩も取ってください。一緒に最優秀賞、貰いましょう。そして、僕と付き合って下さい」
髪色と同じ、青みがかった灰色のその瞳と、視線が絡まった。