偽物の天才魔女は優しくて意地悪な本物の天才魔法使いに翻弄される
100点じゃなくても
レイの告白を聞いた瞬間、胸がどきりと音を立てた。わずかだが感じ始めていた願望が、今、現実のものとなった。
「元気出して、オリビア先輩。もう悩まなくていいんですよ。僕、もしまたハヤト先輩につきまとわれても、守ってあげます。いくらあの人が強くても、怖くないです」
「レイ……くん」
──確かにレイくんは、ハヤトの物凄い怒りを目の前にしても、ひるまなかった。本気で私を心配してくれていたからだと思う。
しかもこの人は、彼みたいな事はしない。ハヤトとの関係がはっきりと分かるまで、私を困らせるような事は言わなかった。
「僕、勉強会、楽しかったです。これからも、ずっと一緒にこの図書館で、憧れの先輩と高め合いたいです。それに、1位同士で付き合うって、最高にかっこいいと思いませんか?」
オリビアは、レイの顔を瞬きもせず、穴の空くほど見つめた。
彼との勉強会の日々は、穏やかで、自分の描く理想といってもいいくらいの安らぎを感じた。レイが可愛い後輩から、頼もしい恋人へと変わる事を望む自分がいない訳でも無かった。
──でも、レイくんに嫌な事をそのまま嫌だと言える?大人びた自分でなくても、理想の自分ではいられなくなっても、彼は本当に受け止めてくれる?
自分へ最後の問題を出す。
憎しみや嫉妬にまみれた、恥ずかしい、一番醜い姿の私を好きだと言ってくれた人は、誰だっけ。
この人気の無い図書館に1人で通い続けた私の隣に座ってくれて、本当に嬉しかった人は?
この先もここで一緒に勉強したい人は、誰?
分かりきっていても1番選びたくなかった答えを、今までずっと空欄にしていた答案用紙に書き込む。その解答は、正解では無いかもしれない。しかし、それ以外の答えはもう見つからない。
「ありがとう……でも、ごめんなさい…あなたとは付き合えない。1位も、取れない」
オリビアが彼の目を見てはっきりそう伝えると、レイは目を見開き、動揺を隠すように髪を耳にかけた。
「えっ…どうしてですか?」
「私、あんな状態の彼に勝っても、嬉しくない。最優秀賞にふさわしいのは、ハヤトよ。絶対に、やる気を出させてみせる」
「…真面目だなぁ…勝っちゃえばいいじゃないですか。それがハヤト先輩が選んだ結果なんですから」
「ここでチャンスに飛び付いて勝利を掴むような私だったら、きっと彼は応援してくれていなかった。だから私も正々堂々と挑まなきゃ、彼に申し訳が立たないじゃない」
「じゃあ、テストはそれでいいですから、僕と付き合うのはダメですか?」
「ごめんなさい、出来ない」
先程よりもきっぱりと言い切ったオリビアの返事に、レイは声を荒げた。
「どうして!まさかハヤト先輩の方がいいって言うんですか!?」
「ハヤトに順位を抜かされてから、ずっと私は彼を憎んでた。バカにされてる気がして、勝手に妬んで。悔しくて仕方なかった。尊敬してるって言ってくれたけど、半信半疑だったわ。だけど、申し訳ないけど…あなたと話して気が付いた。彼は一度も私の事を見下したりしていなかった。もちろん、普通科の事もね」
オリビアの視線に、レイはきまずそうに目を伏せた。
「うっ……で、でも、待ってくださいよ。それでも僕の方が、まともです!オリビア先輩を尊敬してるし、無理強いもしない。というか他の学科の事もバカにはしていない!だって、オリビア先輩が普通科の人でも構わないって言ってるんですよ?」
「…………」
レイの声が次第に大きくなっていく。ハヤトよりも自分の方がいい男なのだと、信じて疑わない。
「オリビア先輩、流されちゃってません?あの人が落ち込んでるからって、同情してるんじゃないですか?」
オリビアは、レイを優しく見つめて、首を振った。
「いいえ、よく考えたわ。何時間も、何ヶ月も」
──あの人はね、はっきり言わないのよ。私のためにしてくれている事を。だから、気が付くのが遅くなってしまった。
薬草泥棒の犯人と疑われた自分がこれ以上傷付かないようにと、知らない内に周りに言ってくれていた事も。来る者拒まずという噂があったのに、私に告白してからはその影を一切見せない所も。
魔法の練習も、いつも最後まで見ていてくれた。勉強も、自分はする必要が無いのに、机にかじりつくのは好きじゃないと言っていたのに、何時間でも付き合ってくれた。あんなに強引だったのに、レイの事を口にした途端、身を引こうとしてくれた。
「え!?本当にちゃんと考えました!?オリビア先輩、ご自分で言ってたじゃないですか。ハヤト先輩は強引だって。強引な所が嫌だって…!あの人が先輩を無理矢理引っ張ったり、怒って黙らせたりしてたの、僕も見てましたし!僕はそんな事しないって言ってるじゃないですか!」
焦ったように眉を下げたレイに、たたみかけられる。
「そうね。あの人の悪い所ね。でも、私が彼より強くなれば、解決するわ」
──だから、そうなれるように、これからも応援して貰うから。
彼は立ち上がり、机に両手をつく。何が何でもオリビアを説き伏せようと、半ば怒鳴りつけるように言った。
「目を覚ましてください!あいつみたいに、自信過剰で、思い込みも激しくて、自分勝手な男が、僕より好きだって言うんですか!?」
オリビアには少しのためらいも無かった。
「ええ」
「……………………………」
館内は静まり返った。レイは力が抜けたように座り、天井を仰ぐ。
「……そうですか」
「………ごめんなさい……」
しばらく黙っていたレイは、口を開いた。
「……分かりました。まぁ、いいんじゃないですか?オリビア先輩、思ってた人と違ったし」
「え」
椅子にもたれかかり、脚を組む。オリビアに冷たい視線を向けて、笑い出した。
「オリビア先輩は、もっと、こう……優等生らしく落ち着いてる感じの人だと思ってたんですよ。でも、全然違う。何やるにもいっぱいいっぱいだし、なんか…教え方も下手くそですし。はは、本当に先生目指してるんですか?」
「……………」
レイの誹謗の矛先は、ついにオリビアに向けられた。
「一緒に勉強してみて分かったんですけど、オリビア先輩、勉強が出来るっていうよりかは、丸暗記が得意なんですね。教科書とか参考書の文章を全部覚えてるだけで、応用力がまるでない。だから、僕に教える時も、いちいち教科書を開かなきゃいけないんですよね。ハヤト先輩に届かない訳だ」
「……!」
「まぁ、それでもね?点数取れてるならいいかって思ってたんですよ。僕、才色兼備の人と付き合うのが夢だったので。でも、見た目もギリセーフの範囲ってだけで、別にどうしてもオリビア先輩がいいって訳じゃないし」
「…そんな事、言わなくたって…」
「しかも1位取る気も無いなら、こっちから願い下げですよ。思わせぶりな態度取りやがって」
「そう思わせてしまったのなら申し訳ないけど、楽しかった時間もあったのは嘘じゃないのよ。学年末テストが不安で、勉強を教わりたいっていうあなたのこころざしに、個人的な感情は抜きにしても私は応えたくて…」
「はぁ?」
口を釣りあげて返すレイトに、さらに動悸が激しくなる。
「本気で言ってるんですか?テストなんか、余裕に決まってるでしょ?先輩の理解不能な解説聞くの、何のために耐えたと思ってるんですか」
オリビアは、言い返せ無かった。どれも自分で分かっていた事だった。自分たちのやっていた事は、勉強会ごっこに過ぎなかった。容姿に自信がある訳でも無い。彼の言う事全てに、心の中で同意してしまう。
俯いているオリビアを見ても、レイの口は止まらなかった。
「改めて言ってあげますよ?先輩たち、お似合いです。勉強は出来ても、人の考えてる事が分からない、バ─────」
「待って。もう充分よ。よく分かったから……あなたを選ばなくて正解って事が」
オリビアの精一杯の反論に、レイはイライラと首を振った。
「はいはい。もういいですって。じゃあ、勉強会はおしまいですね。今までありがとうございました。あいつへの鼓舞、せいぜい頑張ってください」
彼は最後に、机を思い切り叩いて立ち上がった。オリビアがビクッと肩を震わせるのを見て、鼻で笑う。
「じゃあ、さよなら。オリビア先輩」
そうして、不機嫌に去っていった。
「……」
オリビアはしばらく呆気にとられていたが、やがて勉強道具を片付けて、図書館を飛び出した。未だにうなだれているであろう、自信過剰で、思い込みの激しく、自分勝手な男に、あなたの勝ちだと伝えにいくために。