偽物の天才魔女は優しくて意地悪な本物の天才魔法使いに翻弄される
ライバルとして
ドアには「高等部2学年ホウキレース大会につき司書も応援に出ています」と張り紙がされてあったが、鍵は開いていた。
静かに、扉を滑らせた。カラカラと小さな音が鳴る。本棚のすき間を歩き、ひらけたところに見えた、いつもの読書用コーナーのテーブル。いつも自分が座るお気に入りの窓際の席。その隣に、1人の生徒が座っていた。あの坊主頭は、この学校に彼しかいないだろう。
「ハヤト」
オリビアは優しく微笑み、後ろからそっと声をかけて覗き込んだ。ハヤトは驚いて顔を上げた。やはり目に元気が無い。少しやつれているようにも見える。
「…オリビア、どうして…」
「おはよう。今朝も行ったの?ゴブリン狩り」
テーブルの上に置かれた彼の杖の横には、いつも狩りへ持参すると言っていた回復薬がある。
「…いや。途中まで行ったけど、やっぱり戻ってきたんだ」
「そう。あなた、今日仮病でしょう。ダメじゃない、サボっちゃ」
柔らかに笑うと、ハヤトは顔を背けた。
「………仕方ないだろ」
「………ハヤト、このままだと表彰されないわよ」
「いいんだ。別にいらない」
「よくないわ。全校生徒の前で貰う、栄誉ある賞なのよ。立派な事だわ。ここまでずっと1位だったのに、最後の最後で逃すなんて、絶対に後悔する」
「そんな立派な賞をいくら貰ったって、本当に欲しいものが手に入らないんじゃ意味が無いよ」
「……」
ハヤトは窓の外を眺めた。いつも夕日の眩しい窓からは、今は曇しか見えない。オリビアには彼の姿が、同じように彼への挑戦を諦めそうになった、クリスマスの日の自分に重なって見えた。
「君は楽しそうにしてた。レイも、君の事を慕っている。レイが好きなんだろう?オリビアのためなら、諦めるよ。時間はかかるだろうけど。レースは、もう…」
「ねぇハヤト」
オリビアが遮る。
「ちょっとその話は後にして。私と勝負しましょう。今日の大会で」
「え?」
「今度は負けないわ。絶対勝つから…受け取ってくれる?」
そう言って、ハヤトの前にホウキを差し出した。特別進学科のクラスカラーである、緑色のラインが入っている。ここへ来る前に寄った、中庭の倉庫にひとつだけ残っていたものだ。
ハヤトは驚いたまま、動かない。
「…でも僕、もう欠席って連絡を…。それに、そろそろスタートするだろ。君だけでも早く…」
「あなたは私に、あなたを超える事を諦めさせてくれなかった。だから、ハヤトにはいてもらわないと私が困るの。お願い」
ホウキをぐっと前に差し出しても、ハヤトは手を出さないでいる。
「そう言われても、僕は」
「やらないの?」
「……今は、やる気が出ないよ……」
「分かった」
オリビアはため息をつき、ホウキを本棚へ立て掛けた。彼から貰った黄色い羽根ペンをポケットから取り出し、机に置く。
「じゃあ、私もレース、やめる。テストも受けない」
「!」
ハヤトは目を見開き、オリビアを見上げた。
「どうして?君はこの為に頑張ってきたんじゃないのか?最優秀賞が欲しかったんだろう?」
「そうよ、私はこの賞にかけてるところもあったわ。でも、いいの。ハヤトがやる気無いんじゃ、張り合いが無いわ。そういうのは抜きにして欲しいって、あれ程言ったのに」
「僕はいいけど、君はずっと1位にこだわってたじゃないか。君なら、1位として受賞出来るんじゃないか?あと少しだろう。頑張ろうよ」
「嫌!!」
オリビアは声を荒らげた。誰もいない図書館中に響き渡る。
「どうしてハヤトまでそんな事言うの?あなたを見捨てて貰った賞状で、私が喜ぶと思うの!?」
「……」
「あなたはどうして私が好きなの?何のためにこれをくれたの!」
羽根ペンに指を突き付ける。
「私がどう頑張っても届かない宿敵を超えるための努力を、応援してくれるからなんじゃないの?ズルしない私を好きなんじゃないの!?それなのに、1番大事な大会で正々堂々と勝負させてくれないの!?」
──くじけそうな時も、これがあったから頑張れた。悔しさだけが支えだったのに、いつしか……
「どんな理由であれ…私が追い続けたあなたが今日、前にいてくれないなんて、おかしい!あなたが1位じゃないなんて、考えられない!ハヤトと一緒に表彰台に立てないのなら、私だって賞なんかいらない!!」
ハヤトは目を丸くして、何も言わずにオリビアを見た。
「あなたのその才能を、今私に見せつけないでどうするの?お願いだから、見せてよ。片手でホウキ掴んで飛ぶ所を。あなたの本気のスピードを!」
──私は、ハヤトを超えたい。でも、それは敵対心や嫉妬の気持ちからだけじゃ、ない。ようやく、認める事が出来る。
「私は勝ちたいの。才能があって、何でも出来て、憎らしくて……………………………尊敬する、あなたに」
「オリビア…」
一気に思いをぶつけてしまった。息を整えていると、喉の奥が詰まったように感じた。込み上げてきた涙を堪える。
「…ごめんなさい、そもそもライバルだと思ってたのは私だけだったわね。あなたを傷つけておいて私情を挟むなだなんて、わがまま言ってごめんね」
彼の分のホウキを持った。図書館を去ろうと、ハヤトに背を向けて歩き出す。説得出来なかった。自分の力不足だ。涙はここを出てから流そう。
「オリビア」
引き戸に手をかけた時、後ろから声が聞こえた。久しぶりに聞いた、力強い声だった。
「貸してくれるかい?ホウキ」
「え……」
振り返ると後ろには、立ち上がって手を出したハヤトの姿があった。その大きな手に、緑色のラインが入ったホウキをゆっくりと渡す。
「分かったよ。やろう、勝負。僕も本気でやるよ、いいね」
「……うん……」
間に合わず溢れた涙をひとつ、拭った。
***
レース会場では、生徒たちはざわざわとどよめいていた。1年前に凄まじい好成績を残した優勝候補が2人も現れていないのだから、当然だった。そうなると誰が繰り上がりで勝利するのか、そちらの話題に移り変わった。
ぞろぞろとスタートラインに並ぶ。その人混みの中で、サラは空を見上げた。校舎の方角から、猛スピードで飛んでくる2つの影が見えたからだ。オリビアたちと確信すると、顔をほころばせた。
「偉いじゃない、オリビア……ちゃんと連れて来たのね」
「はぁ、はぁ…急いで!ハヤト!」
オリビアは会場に降り立つと、焦ってハヤトに呼びかけた。スタートラインに並ぶ大勢の生徒たちの、最後尾になんとか間に合った。しかし大急ぎで飛んできたため、既に息切れしている。
ひざに手を当て、肩を上下させていると、横からハヤトに何かを差し出された。先程図書館で見た彼の回復薬だ。
「オリビア。これ、飲んで」
「え…いいの?」
「これで、オリビアも全力でレースに参加出来るだろう。正々堂々とやるよ。君の真似だ」
ハヤトは未だに元気は無いが、笑顔で言った。オリビアは受け取り、一気に飲み干す。
「ハヤト…ありがとう」
足元を見ると、まだ芝生は濡れている。去年と違って、ホウキの手入れは済んでない。練習さえ足りていない。飛び立つのに何ひとつ最適なコンディションとは言えなかった。それでも不思議と、心は落ち着いていた。
「よし、じゃあいくよ、オリビア」
オリビアは深呼吸して、横で空へ舞い上がる準備をするハヤトを見る。悲しみをこらえてでもライバルとしてここへ来てくれた彼に、最大限の力を発揮して貰うために、スタート前にひとつ、言っておかなければならない事がある。
「ハヤト、来てくれたお礼に…報告があるの」
「なんだい?」
遠い前方のスタートラインから、教師の掛け声が聞こえる。
『位置について』
「あなたの言う通りだったわ。レイくんに告白された」
「………そうか。良かったね。おめで…」
「何言ってるの?断ったのよ」
「……え?」
『用意』
「後は分かるでしょ、天才魔法使いさん!」
レース開始を告げる大きな笛が、会場中に響いた。