最後に瞳に映るのは~呪われた王子と運命の乙女~

2.悪魔の一族

「名は、なんという」

 朗々とした声が問う。命じることに慣れた男の声だった。彼が来るずっと前から額づいているわたしには、どんな表情をしているのか、伺うことはできない。

「ネージュ、と言います」
 山岳の集落の生まれ。その地の言葉で“雪”を意味する名を、わたしは答えた。

「そうか」
 しゃなり、と衣擦れの気配がした。きっと絹か何かの仕立てのいい服を着ているのだろう。何せ相手はこの国の王子なのだから。
 彼が近くに来たのを感じる。

「面を上げよ」

 本当に顔を上げていいのだろうか。その瞬間に首が飛ぶかもしれないとわたしは思っていた。
 悪魔の一族。

 武術に長け聡明でなおかつ見目麗しい、この国を統べる一族がそう言われるのには確かな理由がある。
 曰く、愛した女を殺してしまうのだと。

 王太子は、正妃と形ばかりの結婚し子を成して以降、男しか侍らせたことがないという。
 第二王子は、色狂いで沢山の女を侍らせるが殺すことはないという。
 そして第三王子は、侍る女を全て殺すという。

 愛し愛されることが人の身に許された至上の幸せであるのなら、今、この城にそれを知る者はいない。

 そうやってすぐに侍らせる女が減るから、征服した領地から女を徴収するのだ。わたしの村もその一つだった。
 最初は砂漠の小さな国だったこの国は、瞬く間に帝国と呼ばれるまでになっている。

 背筋を冷汗が流れ落ちていくのが、分かった。なぜなら、わたしの目の前に居るのは、第三王子その人だったからだ。

「聞こえなかったのか? それとも言葉の意味が分からないのか?」

 頭の上に突き刺さるような視線を感じる。死ぬことが怖いわけではないけれど、痛いのはいやだ。
 わたしはゆっくりと、顔を上げた。

 仮に許しを得てもじろじろと見るようなのは不敬に当たると、閨の教えを一通り習った際に女官からきつく言い渡された。伏し目がちに遠くの床を見ていた。

「悪くない顔だな」

 第三王子はわたしの顔を見ると、値踏みをするようにふんと鼻を鳴らした。ちゃんと化粧をしてもらっていてよかった、とあの能面のような女たちに感謝した。そうでければわたしなんて、とても見られたものではなかったと思うから。

 そして、彼はすっと剣を抜く。幾人もの血を吸ってきた剣は、蝋燭の火に銀色の輝きを放つ。

「だが、俺はどの女も抱く気はない。そしてそのことが知られては困るんだ。死んでくれ」

 なるほど、そういうことだったのか。彼はただ、己の秘密を守るために、女を殺していたのだ。
 悪魔だなんだといわれていてもなんてことはない。

「なぁんだ、童貞なのね」
 ふと気が緩んで思わずそう呟いてしまったら、王子が立ち上がった。剣を放り投げるカランとした音がした。

「なんだとっ!」
 身に着けた金の装飾がしゃらんと鳴ったと分かった時にはもう、床に叩きつけられていた。

 抵抗を封じるように、頭の上で手を束ねて掴まれる。

「無礼にもほどがある。お前など剣を使うまでもない。その首へし折ってやる」

 次にもう片方の手は、首元に伸びてきた。このままきっと首を折られるのだろう。
 ああ、今度こそ死ぬのだなと思った。そうして、はじめて彼と見つめ合った。

 ちゃんと見たら、本当に整った顔をした人だった。想像以上だった。
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