最後に瞳に映るのは~呪われた王子と運命の乙女~

7.寂しさと寒さ

 あの夜、アズラク様が投げ捨てた剣が壁に立て掛けてあった。手に取るとずっしりと重い。アズラク様はあなにも、軽々と持っていたのに。

「アズラク様、おつらいですよね」

 城に侍る女を差し出した村には、褒賞が与えられる。宝石でも金貨でも、何でも望んだものを一つ。

 わたしは、村の全員が冬を越せるだけの食糧を願った。そしてそれは確かに与えられたと、アズラク様は教えてくれた。
 嬉しかった。あの村の小さな子たちがこの冬は飢えることなく過ごせるのだから。

 死ぬことよりも怖いことが、わたしにはある。

「わたしが死んだら、わたしを食べてくれますか?」

 生まれてきた以上、人は死ぬ。それが早いか遅いかだけのことだ。どんな大地の上にも、等しく雪が降り積もるみたいに。

 遠くない未来、冷たい雪に埋もれて、自分も死んでいくのだとずっと思っていた。
 けれど、ここはそうではない。わたしを何度も抱き締めてくれたアズラク様の腕は、ちゃんとあたたかった。

「お前、一体なにを、言ってるんだ……」

 元よりあの夜。はじめてアズラク様に会った夜に、死んでいたのだと思えば。
 わたしはそこから多くのものを得た。

「約束ですよ。絶対にわたしのこと、食べてくださいね」

 そう言って、わたしはアズラク様の剣を抜いた。



 
 
 寂しさと寒さは似ている。

 どちらも気が付いたら染み込んで、いつの間にか逃れられなくなっている。体が囚われて、動けなくなる。一度あたたかさを知ったら余計に堪えるところが、また質が悪い。

 一昨年の冬、母が死んだ。

 その冬は例年よりも雪が多く、飢えと寒さで死んでいく人が絶えなかった。見かねた母は村中からかき集めた銅貨で、麓の町まで買い物に出かけた。

 母は、帰ってくることはなかった。村の少し手前のところで吹雪が強くなって雪に埋もれて、そのままだった。
 まるで眠っているかのように、美しかった。もしかしたら生きている時よりも。

 死んだ母の肉をわたし達は食べた。生きていくためには必要なことだった。
 びっくりするほど、母だったもの(・・・・・・)は美味しかった。それは何日もろくに食べ物を口にしていなかったせいかもしれないし、本当に美味しかったのかもしれない。人もただの肉の塊なのだと、その時に知った。

 そうやって、その冬を乗り越えたのだ。作物もろくに取れない山間の故郷では、悲しいことだけどよくあることなのだ。

 そうやって、今日まで母と一緒に生きてきた。
 独りぼっちが嫌だった。誰にも食べてもらえないことが、一番怖かった。

「誰からも忘れられた人は、生きたまま死んでいるのと同じね」
 冬の曇天を見上げて、母はよくそう言っていた。誰の記憶からも消えた、透明な人。生きている幽霊。

 それならばわたしはもう、ほんとうの意味で死ぬことはないのだろう。アズラク様はきっと、わたしを忘れることはないだろうから。

 これから先彼がどんな女と出会うとしても、彼が最初に抱いた女がわたしであることに変わりはない。

 食べるものに困らない豊かな帝国で、あの村と同じことをする必要がないことはわたしだって知っている。むしろ人肉を食べるのは禁忌とされていて、悪魔でもしない所業だ。

 それでも、わたしはアズラク様に食べられたかった。

 わたしは『運命の乙女』ではなかったけれど。彼が誰といても、誰を愛したとしても。
 そうすれば、共に在ることができる。
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