パラノイド・パラノイア
熱情の種
悠くんの部屋で、黒川さんが亡くなっていた。
自分の手で、じゃない。
斉藤さんが手を下した。
どういうことなのか、さっぱりわからなかった。けど斉藤さんや悠くんたちの証言で、こんがらがった糸は解けていった。
斉藤さんの父親は、私が殺したあの男だった。
彼は斉藤さんにとってはとても良い父親だったらしい。大人になるまでは事故で亡くなったと教えられてきたが、就職してから真実を知ったという。
探し出して復讐しようとまでは思っていなかった。別に殺す必要はなかったじゃない、とは考えても、結局はそれだけだった。
しかし状況は一変する。
あの日、資料室にいたのは私と悠くんだけではなかったのだ。
見つかりづらいかもしれないと、資料室まで来てくれた斉藤さんは、私たちの会話を聞いてしまったのだ。幼稚園の名前も合っている。父を殺した犯人と、自分はいままで友人だった!
斉藤さんは瞬く間に復讐に取り憑かれた。私のアパートは何度も遊びに来たことがあるからよく知っていた。私が残業するのを知って、あの手紙をポストに入れた。
そして大胆にも、仕事に集中している私の机にこっそりあの手紙を置いた。
それでも平然としている私がますます許せなくなった。それで黒川さんに接触し、私をさらに追い詰めようとしたのだ。
手始めに、私のカバンにGPS発信機を入れた。一緒に新しく開店したお店に行った時に、私の目を盗んで入れたのだそうだ。事件の後、改めてカバンの中をよく調べてみたら、四角い小型のGPSが見つかった。
これに関しては黒川さんには知らせなかったという。言ってしまえば自分の獲物で、黒川さんには殺意まではなかったのだからそれはそうだ。
黒川さんには私の住所や電話番号や過去の件を流した。あの隠し撮り写真は無理矢理やらされたと部下の人から証言があった。
黒川さんは黒川さんで、悠くんが私とこっそり会っていると勘づいていたようだ。私と悠くんが二人きりで飲み明かした翌日、強引に部屋まで押し入って掃除をしている時に電話しているところを聞かれたと、悠くんは私に頭を下げた。
斉藤さんと黒川さんの共謀は成功し、私は精神的に追い詰められて休んだ。これを好機と考えた斉藤さんは自分も会社を休み、止めを刺そうと刃物を持って私のアパートに行こうとした。
けど私が悠くんのマンションに居ると知って、大慌てでそっちに向かった。ここでGPSを確認していれば、あの惨劇は起きなかったのかもしれない。私はのん気にカバンを抱えて、悠くんの車に乗せてもらって病院やアパートや警察を回っていたんだから。
そうとは知らないのは、黒川さんも同じだった。
悠くんが突然休んだのを知った黒川さんは、直感で私が絡んでいると気づいた。激怒して悠くんに電話をしてもとりつく島がない。激情に駆られるまま悠くんのマンションまでやってきて、部屋で私たちを待ち伏せしようと企んだ。
そこに斉藤さんがやってきて、新島さんのポストを見つけて部屋番号を確認すると、覚悟を決めた。
部屋のチャイムを鳴らすと、何も知らない黒川さんはあっさりとドアを開けた。斉藤さんは顔を伏せて勢いをつけ──。
事が終わってから、私ではないと気づいた斉藤さんは気が動転してその場から逃げ去った。すぐ救急車を呼べば助かっただろうけど、今となっては後の祭りだ。
私は今、悠くんの腕の中で微睡んでいる。
悠くんも私を抱きしめながら微睡んでいる。
あれからもちろん会社は大騒ぎになった。
イベントは決行されたものの、とても成功とは言えない出来だった。事件はすでに世間に広まって、会社全体がイメージダウンしてしまったからだ。
私が勤めている──いやもう“勤めていた”だ──子会社は、親会社に吸収される形で決着がつき、悠くんも親会社の企画部に戻った。
副社長に睨まれるんじゃないかと心配になったけど、悠くん曰く「道理のわかる人」らしい。今も元気に勤めているから問題はないんだろう。
私は休職ではなく、退職して悠くんと結婚した。母へ悠くんと一緒に報告したら、なんとも言えない顔で「おめでとう」とだけ言われた。
それから、ずっと悠くんのマンションで暮らしている。
悠くんは私がパートに出ることはおろか、買い物に出ることさえ嫌がった。精神的に参っていたこと、命を狙われていたことが積み重なった結果だろうとは思う。宣言通り守ってくれているんだろうと思う。
でも、この一連の事件は都合が良すぎやしないか。
例えば、黒川さんにはどこか別の場所で話そうと伝えてもよかったんじゃないか。激した彼女が乗り込んでくる可能性は十分にあっただろう。それを考えられない人ではない。
斉藤さんだってそうだ。あの資料室で再会した時、彼の位置から一つしかないドアは見えたはずだ。斉藤さんが覗いているのを、本当は知っていたら。
そこまで考えて、私は目を閉じた。全て、終わったことだ。
終わった、ことだ。
──完──
自分の手で、じゃない。
斉藤さんが手を下した。
どういうことなのか、さっぱりわからなかった。けど斉藤さんや悠くんたちの証言で、こんがらがった糸は解けていった。
斉藤さんの父親は、私が殺したあの男だった。
彼は斉藤さんにとってはとても良い父親だったらしい。大人になるまでは事故で亡くなったと教えられてきたが、就職してから真実を知ったという。
探し出して復讐しようとまでは思っていなかった。別に殺す必要はなかったじゃない、とは考えても、結局はそれだけだった。
しかし状況は一変する。
あの日、資料室にいたのは私と悠くんだけではなかったのだ。
見つかりづらいかもしれないと、資料室まで来てくれた斉藤さんは、私たちの会話を聞いてしまったのだ。幼稚園の名前も合っている。父を殺した犯人と、自分はいままで友人だった!
斉藤さんは瞬く間に復讐に取り憑かれた。私のアパートは何度も遊びに来たことがあるからよく知っていた。私が残業するのを知って、あの手紙をポストに入れた。
そして大胆にも、仕事に集中している私の机にこっそりあの手紙を置いた。
それでも平然としている私がますます許せなくなった。それで黒川さんに接触し、私をさらに追い詰めようとしたのだ。
手始めに、私のカバンにGPS発信機を入れた。一緒に新しく開店したお店に行った時に、私の目を盗んで入れたのだそうだ。事件の後、改めてカバンの中をよく調べてみたら、四角い小型のGPSが見つかった。
これに関しては黒川さんには知らせなかったという。言ってしまえば自分の獲物で、黒川さんには殺意まではなかったのだからそれはそうだ。
黒川さんには私の住所や電話番号や過去の件を流した。あの隠し撮り写真は無理矢理やらされたと部下の人から証言があった。
黒川さんは黒川さんで、悠くんが私とこっそり会っていると勘づいていたようだ。私と悠くんが二人きりで飲み明かした翌日、強引に部屋まで押し入って掃除をしている時に電話しているところを聞かれたと、悠くんは私に頭を下げた。
斉藤さんと黒川さんの共謀は成功し、私は精神的に追い詰められて休んだ。これを好機と考えた斉藤さんは自分も会社を休み、止めを刺そうと刃物を持って私のアパートに行こうとした。
けど私が悠くんのマンションに居ると知って、大慌てでそっちに向かった。ここでGPSを確認していれば、あの惨劇は起きなかったのかもしれない。私はのん気にカバンを抱えて、悠くんの車に乗せてもらって病院やアパートや警察を回っていたんだから。
そうとは知らないのは、黒川さんも同じだった。
悠くんが突然休んだのを知った黒川さんは、直感で私が絡んでいると気づいた。激怒して悠くんに電話をしてもとりつく島がない。激情に駆られるまま悠くんのマンションまでやってきて、部屋で私たちを待ち伏せしようと企んだ。
そこに斉藤さんがやってきて、新島さんのポストを見つけて部屋番号を確認すると、覚悟を決めた。
部屋のチャイムを鳴らすと、何も知らない黒川さんはあっさりとドアを開けた。斉藤さんは顔を伏せて勢いをつけ──。
事が終わってから、私ではないと気づいた斉藤さんは気が動転してその場から逃げ去った。すぐ救急車を呼べば助かっただろうけど、今となっては後の祭りだ。
私は今、悠くんの腕の中で微睡んでいる。
悠くんも私を抱きしめながら微睡んでいる。
あれからもちろん会社は大騒ぎになった。
イベントは決行されたものの、とても成功とは言えない出来だった。事件はすでに世間に広まって、会社全体がイメージダウンしてしまったからだ。
私が勤めている──いやもう“勤めていた”だ──子会社は、親会社に吸収される形で決着がつき、悠くんも親会社の企画部に戻った。
副社長に睨まれるんじゃないかと心配になったけど、悠くん曰く「道理のわかる人」らしい。今も元気に勤めているから問題はないんだろう。
私は休職ではなく、退職して悠くんと結婚した。母へ悠くんと一緒に報告したら、なんとも言えない顔で「おめでとう」とだけ言われた。
それから、ずっと悠くんのマンションで暮らしている。
悠くんは私がパートに出ることはおろか、買い物に出ることさえ嫌がった。精神的に参っていたこと、命を狙われていたことが積み重なった結果だろうとは思う。宣言通り守ってくれているんだろうと思う。
でも、この一連の事件は都合が良すぎやしないか。
例えば、黒川さんにはどこか別の場所で話そうと伝えてもよかったんじゃないか。激した彼女が乗り込んでくる可能性は十分にあっただろう。それを考えられない人ではない。
斉藤さんだってそうだ。あの資料室で再会した時、彼の位置から一つしかないドアは見えたはずだ。斉藤さんが覗いているのを、本当は知っていたら。
そこまで考えて、私は目を閉じた。全て、終わったことだ。
終わった、ことだ。
──完──