僕と一緒に、楽園へ行こう。

***


「───あれ?奇遇ですね」


 彼の言葉に全身を硬直させた彼女は、広い公園の前でゆっくりと振り返った。


「なんて。冗談です。おはようございます」


 朝の空気と同じような爽やかに笑った彼の顔を見て、彼女は悲鳴を上げる寸前だった。


「やっ……やめっ……何でここにっ」

「何でって……そんなの君もわかってるでしょう?」


 君を守りたくて、早起きしたんだ。
だって君を、悪い奴から守らないといけないからね。
そう言いたい彼と、


「お願いっ……もうこんなことやめてっ……」


 恐怖から涙を流す彼女。


「大丈夫。僕、今仕事してないから時間はたっぷりあるんですよ」


 彼女の言葉と、彼の言葉は全く噛み合わない。
なのに彼は彼女の視線が自分を向いていることが嬉しくて。


"僕の身体を労ってくれているのかい?そんな優しいことを言ってくれるなんて。本当に可愛いんだから"


 とニヤける口元を隠すつもりも無い。
それに彼女はさらに震え出す。

 そんな、泣くほど僕の存在に安心したのかい?そんなに思い詰めていたんだね。ごめんね。不安だよね。
その涙を、舐めてあげたい。
その震えを、抱きしめて止めてあげたい。
得体の知れないストーカーなんて、僕がやっつけてあげるから。
僕が守ってあげるから、そんなに泣かないで。


 彼が一歩近付くと、一歩後退る彼女。
しかし数歩足を動かしたところで、彼女は何かに躓いて尻餅を付いた。


「やめっ……!」


 彼女は逃げたくても腰が抜けてしまい動けない。
どうにか動こうとして擦りむいた手に血が滲んだ。


「大丈夫?怪我してないかい?……大変だ、血が出てる。今すぐどこかで手当てしよう」

「いやっ!」

「可哀想に。君をこんなに苦しめるなんて。本当に卑劣な奴だ。でも大丈夫。僕が君を幸せにする方法を思いついたんだ。一緒に行こう」

「いやっ!やめて!離して!」

「あれ?おかしいな。女の子って、お姫様抱っこされるのが夢なんじゃないのかな?
それにしても、軽すぎるよ。心配だなあ。ちゃんと食べてる?僕がご飯作ってあげようか。君の好きな肉じゃが、練習したんだ。食べてみてよ」

「やめて!おねがい!もうやめて!誰か助けて!」

「暴れたら危ないよ。可哀想に。疲れてるんだね。今日はバイトも休んだ方がいいよ。ほら、行こうね」


 ちょうどそこは、防犯カメラの死角になる部分。彼は彼女をすぐ隣のアパートに連れ込んだのだった。
彼は暴れる彼女を落ち着かせようと睡眠薬を飲ませて寝かせた。

 その間に肉じゃがを作って、目が覚めてまだボーッとしている彼女に食べさせた。
しかしすぐに咳き込んで吐き出した彼女。
彼は、それに激怒した。

 彼女にではなく、彼女をこんなにまで追い詰めた、そのストーカーに。
それに追い討ちをかけた、警察に。

 どうしようもない怒りと、何もできなかった自分への苛立ち。

 一度爆発した想いは、止められなかった。
彼女を、今の苦しみからどうにか解放してあげたかった。
その方法を、彼は思い付いたのだ。


「……もう、君は苦しむ必要なんてないんだ。僕が助けてあげるよ」


 彼女は差し出された水を、ゴクリ。ボーッとしたままに飲み込んだ。


「大丈夫だよ。これ、遅効性なんだ。眠っている間に、楽園に行けるからね」


 もう抵抗する体力も残っていなかった彼女は、彼からの熱いキスを無意識のうちに受け入れてしまう。もう、心は死んでいたのだ。


「……だ、れか……たすけて……おねがい……」

「うん。僕が助けてあげるよ」


 彼女はただ、静かに涙を流すだけだった。

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