僕と一緒に、楽園へ行こう。
***
彼女への語り掛けは、終わりへと向かう。
「君の肌はやっぱり思っていた通り、とてもすべすべで気持ち良かったね。君もそうだろう?悦んでいたのを知っているよ」
この細い手脚も、柔らかい胸も、引き締まったお腹も。
「あんなところに黒子があるなんて、少し驚いたけどね」
思い出しているのか、元々締まりのない目尻がさらに垂れる。
「でも最後まで君は僕のことを名前で呼んでくれなかったね。僕、ちょっとショックだったよ。こんなに君を助けていたんだから、一度くらい呼んで欲しかったなあ」
そっと近付き、そのサラサラの黒髪をゆっくりと撫でる。
「まさか、僕の名前を知らないなんて、そんなわけないよね?」
まさか、ね?
そして、彼女の耳元に顔を寄せ、囁くのだ。
「……でも、これからは、ずっと一緒だから、そのうち呼んでくれるよね」
だって、君はとても優しくてとても良い子だから。
「ね?……楽しみにしてるよ」
溢れるような幸せに包まれた表情は、彼女の唇にそっとキスをする。
頰に、額に、瞼に、鼻先に、耳に。何度も何度も、触れるだけのキスを落とした。それでも彼女が起きる気配は無い。部屋の中は暑いのに、彼女の身体からはどんどん熱が引いていくように冷たくなっていく。
何度もキスをして、満足したのだろうか。それでも名残惜しそうに立ち上がった彼は、
「……もうそろそろ、時間だね」
そう呟く。
彼は彼女から離れてサイドテーブルに置かれたグラスに高級な赤ワインを注ぐ。芳醇な香りが辺りに広がった。
その香りを楽しむように鼻先をグラスに寄せた彼は、嬉しそうに微笑んだ後にそのグラスにさらに何か粉のようなものを入れた。
サッと溶けて、すぐに無くなったそれは、一体何なのだろうか。
グラスを持って、そっと彼女に近寄る。
「本当は、君と一緒に乾杯したかったんだけど。でも君は、お酒が苦手だから。僕一人で飲むよ」
グラスをそっと揺らすと、中で赤紫が円を描く。
人差し指をグラスに入れて、先に付いた赤紫を、そっと彼女の口元に持っていく。
「はしたないことをしてごめんね。でも、さっき君のグロスを取ってしまったから。そのお詫びだよ。
……それに君にはこの色が、とても似合うね。本当に綺麗だ」
スッと撫でた指から、彼女の唇にほんの少しだけ血色が良くなったような気がした。
「……これで、君を狙う者はもう君を追っては来ない。大丈夫。僕がずっと一緒だからね。もう、怖がらなくてもいいんだよ」
優雅な微笑みを浮かべてから、乾杯するかのようにグラスをほんの少し上げる。
そしてそのワインを一口、コクリと飲み込んだ。
「……待ってて。すぐに君の元へ行くからね」
彼女の上半身に覆い被さるようにして、その頰に顔を寄せる。
パリンッ、と手から零れ落ちて音を立てて割れたグラスから、ワインが床に広がった。
それは、まるで血の海のよう。
「……一緒に幸せになろう」
愛してる。
そう呟いてからその唇に、顔を引き寄せて最期のキスをしようとした。しかし、彼女はそれに抗うように彼の方を向いてはくれない。
……まぁ、いいか。後でたくさん、キスすればいいんだから。
彼女の唇の端から一滴の赤紫が伝う。
すぐに流れていって消えたそれを見て、彼はキスをしなくても満足したのか、幸せそうに微笑んだ。
そのまま、彼は眠るように目を閉じた。