前世の真実、それは今世の偽の記憶、春は去り
君のことが好きだよ
まだ工房にいるべき時間。窓も閉め切って暗い自室で寝台に寝転んでも、眠りは訪れない。いや、眠ると過去のメギナルを夢に見る。いつもは幸せな時間だが、今日ばかりは、あまり夢でも会いたくない。
親方に言われた通り、職人としての目線でと思っても、目を閉じれば、花の色に染まってしまう。
何もできない。
ただ、心がじわじわと締め絞られていくのを、じっと感じなければならないなんて。
フォルセは両腕で目を覆った。
その時、寝台の横の窓が、こつり、と鳴った。
体を起こして様子をうかがうと、もう一度、こつり。
訝しんで木戸を押し開ける前に、風もないのに木戸がさっと開いて、ヒヤリとした外の風と共に、『フォルセ』とメギナルの声が入ってきた。
「メギナル様?」
どれほど落ち込んでいても、会えれば嬉しい。でも、婚約者と寄り添っていた姿を思い出すと、悲しい。
窓の外に難なく浮かんで微笑んでいるメギナルを見つめて、フォルセは喘いだ。
「先ほど元気がなかったから、気になって」
「あ、そんなこと、あの、可愛い婚約者様ですね……」
言うつもりもなかったのに、言いたくないことを言ってしまう。
気のせいか、メギナルの眼差しが鋭くなり、すっと近づいてきた、と思えば、いつの間にかフォルセの部屋の中にメギナルが立っていた。
「フォルセ。君にそんなこと言われると、なんだか寂しいな。でも、未来ある君の邪魔はしたくないから、僕からは何も言えないんだ。……わかるよね?」
わからない。
フォルセには何もわからなかったけれど、それは仕方がない。
わかるのを邪魔するように、メギナルの顔が近づいて、濃紺の髪を少し垂らして顔を傾け、そっと唇にキスをしたから。
「フォルセ、君のことが好きだよ」
間近で見る濃紺の瞳に、淡い髪の自分が写っている。
ふと、フォルセは瞬いた。メギナルの目の色は、いつ、黒から紺になったのだろう。
けれど、そっと目元にもキスを受けて、思考は散ってしまう。
「さっきの花の色は、君の目の色だね」
それから、フォルセは一層、仕事が手につかなくなった。叱られても、自分でダメだと思っても、目を飛ばすし色を間違える。間違いを恐れて、組む手が固くなり、紐が固く歪になる。練習で組んでみた糸巻き四つの基本の糸だって、おぼつかない。
何度、糸を計り直し、糸巻きにまき直しただろう。一度に染めた糸の中で仕上げないと、色の風合いが変わってしまう。焦りが、フォルセを蝕んでいく。だんだんと、食事も喉を通らずに痩せていく。
そんな中でも、メギナルが工房に顔を出せば、フォルセは顔を輝かせて走り寄り、手土産に涙を滲ませるほど喜んだ。幾度かプリアも伴って来たメギナルが、プリアよりもフォルセに近い位置で紐を見てくれるときには、俯いて顔を隠して、ほのかな優越を感じた。
紐は一向に進まないのに、メギナルは責めない。
「存分に悩んでくれてかまわない。いつまでも待つよ」
フォルセを自分の注文で独占しているからと、その分の手当も支払ってくれていると聞いて、フォルセの体の奥深くが喜んだ。
けれど、フォルセはやはり職人で。
いくら注文主に良いと言われても、思うように紐を組めない抑圧が、フォルセを追い詰めた。
ついに、ふらりとうずくまったフォルセを寝かしつけ、親方がため息と涙ながらに話して聞かせたのは、夫が調べてくれたフォルセの身の上だった。
親方に言われた通り、職人としての目線でと思っても、目を閉じれば、花の色に染まってしまう。
何もできない。
ただ、心がじわじわと締め絞られていくのを、じっと感じなければならないなんて。
フォルセは両腕で目を覆った。
その時、寝台の横の窓が、こつり、と鳴った。
体を起こして様子をうかがうと、もう一度、こつり。
訝しんで木戸を押し開ける前に、風もないのに木戸がさっと開いて、ヒヤリとした外の風と共に、『フォルセ』とメギナルの声が入ってきた。
「メギナル様?」
どれほど落ち込んでいても、会えれば嬉しい。でも、婚約者と寄り添っていた姿を思い出すと、悲しい。
窓の外に難なく浮かんで微笑んでいるメギナルを見つめて、フォルセは喘いだ。
「先ほど元気がなかったから、気になって」
「あ、そんなこと、あの、可愛い婚約者様ですね……」
言うつもりもなかったのに、言いたくないことを言ってしまう。
気のせいか、メギナルの眼差しが鋭くなり、すっと近づいてきた、と思えば、いつの間にかフォルセの部屋の中にメギナルが立っていた。
「フォルセ。君にそんなこと言われると、なんだか寂しいな。でも、未来ある君の邪魔はしたくないから、僕からは何も言えないんだ。……わかるよね?」
わからない。
フォルセには何もわからなかったけれど、それは仕方がない。
わかるのを邪魔するように、メギナルの顔が近づいて、濃紺の髪を少し垂らして顔を傾け、そっと唇にキスをしたから。
「フォルセ、君のことが好きだよ」
間近で見る濃紺の瞳に、淡い髪の自分が写っている。
ふと、フォルセは瞬いた。メギナルの目の色は、いつ、黒から紺になったのだろう。
けれど、そっと目元にもキスを受けて、思考は散ってしまう。
「さっきの花の色は、君の目の色だね」
それから、フォルセは一層、仕事が手につかなくなった。叱られても、自分でダメだと思っても、目を飛ばすし色を間違える。間違いを恐れて、組む手が固くなり、紐が固く歪になる。練習で組んでみた糸巻き四つの基本の糸だって、おぼつかない。
何度、糸を計り直し、糸巻きにまき直しただろう。一度に染めた糸の中で仕上げないと、色の風合いが変わってしまう。焦りが、フォルセを蝕んでいく。だんだんと、食事も喉を通らずに痩せていく。
そんな中でも、メギナルが工房に顔を出せば、フォルセは顔を輝かせて走り寄り、手土産に涙を滲ませるほど喜んだ。幾度かプリアも伴って来たメギナルが、プリアよりもフォルセに近い位置で紐を見てくれるときには、俯いて顔を隠して、ほのかな優越を感じた。
紐は一向に進まないのに、メギナルは責めない。
「存分に悩んでくれてかまわない。いつまでも待つよ」
フォルセを自分の注文で独占しているからと、その分の手当も支払ってくれていると聞いて、フォルセの体の奥深くが喜んだ。
けれど、フォルセはやはり職人で。
いくら注文主に良いと言われても、思うように紐を組めない抑圧が、フォルセを追い詰めた。
ついに、ふらりとうずくまったフォルセを寝かしつけ、親方がため息と涙ながらに話して聞かせたのは、夫が調べてくれたフォルセの身の上だった。