こわれたおんな
4.
「ねえ」
去年の夏。
秘め事の後、女は寝台の上に横たわったまま自分を抱きしめている男に声をかけた。
男と愛し合うようになってから三年が経つが、男はいつも女に口移しで水を飲ませてから大事そうに頭を抱き、髪を撫でてくれるのだ。その度に女は嬉しさに頬を緩めているのだが、しっかりと頭を固定されているので男の顔を見ることは未だに叶わない。
叶わないことは、もうひとつ。
「私たちのところには、どうして子供が来てくれないのかしら」
男が髪を撫でる手を止めた。
三年経っても女の胎には何も宿らない。そのせいで女は月のものを見る度に溜息を吐いてばかりだ。
一度だけ、普段は規則正しい月のものが遅れたことがあった。
眠気が酷く熱っぽさもあったことから女は期待に胸を踊らせ、自分達の関係を知っている唯一の存在である年嵩の侍女は健康によいお茶を毎日淹れてくれた。女の体調の変化を知った男が心配して差し入れをしてくれたのだという。
しかし、数日後にいつもよりも激しい痛みを伴ってそれがやって来た。
侍女は落ち込む女の背中を黙って撫で、自分の代わりに男への報告をしてくれた。
その時女は強く思ったのだ。
子供が欲しい。自分のためだけではなく、かつて男の乳母を勤め、自分がこの屋敷に引き取られてからは母のように接してくれた優しいばあやに、いつか自分達の子供を――『孫』を抱かせてあげるためにも。
「急にどうしたんだい?」
「貴方には跡継ぎが必要でしょう? 私たちは結婚できないから、また私が誰かに犯されたことにして貴方の子を産めばいいのです。貴方が私を『妹』にしてくれたようにその子を養子にすれば」
「ナターシャ」
男の冷たい声が女の言葉を遮る。
「私は、自分の子がいっときでも私生児として扱われることが許せないのだよ」
それに、と言いながら男は腕を緩めて上掛けの中に潜り込み、女の身体を撫でる。上掛けの隙間から男の声だけが聞こえた。
「自分の子が、おまえに触れるのも許せない」
身体の奥で秘め事の残り火が再び勢いを増す。顔や姿が見えなくても、与えられる心地よさは間違いなく男によるものだ。何度も何度も愛し合ったのだから身体がきちんと覚えている。
「ん……。それだけじゃ、いやぁ」
「さっきも散々欲しがったくせに、まだ足りないのか」
「だって、しばらく逢えなくなるの、に……っ」
明日から男は社交のために首都へと旅立つ。女もかつてはそういった場に出ていたが、三年前からは領地に留まるように言われている。身も心も男のものになった以上もう社交など必要ないと思っている女はそれを受け入れたが、身体のほうはそう簡単には納得してくれない。
「……あんなに可愛かったおまえが、こんなにいやらしい女になるとは思わなかった」
「誰がこうしたのでしょうね」
男はそれには答えずに呟いた。
「こんなおまえを欲しがる物好きな男など、どこを探してもいないだろうな」
――私以外には、という言葉が聞こえたような気がして、女は愛しい男の頭を胸に掻き抱く。子供のことは残念だけれど、大事な自分達の子を私生児として扱いたくないというのは男の優しさと責任感の現れなのだし、まだ影も形もない子供にまで嫉妬を向けるほど自分を愛してくれているのだ。
だから、いつかきっと、望みが叶う方法を見つけてくれるはず。
去年の夏。
秘め事の後、女は寝台の上に横たわったまま自分を抱きしめている男に声をかけた。
男と愛し合うようになってから三年が経つが、男はいつも女に口移しで水を飲ませてから大事そうに頭を抱き、髪を撫でてくれるのだ。その度に女は嬉しさに頬を緩めているのだが、しっかりと頭を固定されているので男の顔を見ることは未だに叶わない。
叶わないことは、もうひとつ。
「私たちのところには、どうして子供が来てくれないのかしら」
男が髪を撫でる手を止めた。
三年経っても女の胎には何も宿らない。そのせいで女は月のものを見る度に溜息を吐いてばかりだ。
一度だけ、普段は規則正しい月のものが遅れたことがあった。
眠気が酷く熱っぽさもあったことから女は期待に胸を踊らせ、自分達の関係を知っている唯一の存在である年嵩の侍女は健康によいお茶を毎日淹れてくれた。女の体調の変化を知った男が心配して差し入れをしてくれたのだという。
しかし、数日後にいつもよりも激しい痛みを伴ってそれがやって来た。
侍女は落ち込む女の背中を黙って撫で、自分の代わりに男への報告をしてくれた。
その時女は強く思ったのだ。
子供が欲しい。自分のためだけではなく、かつて男の乳母を勤め、自分がこの屋敷に引き取られてからは母のように接してくれた優しいばあやに、いつか自分達の子供を――『孫』を抱かせてあげるためにも。
「急にどうしたんだい?」
「貴方には跡継ぎが必要でしょう? 私たちは結婚できないから、また私が誰かに犯されたことにして貴方の子を産めばいいのです。貴方が私を『妹』にしてくれたようにその子を養子にすれば」
「ナターシャ」
男の冷たい声が女の言葉を遮る。
「私は、自分の子がいっときでも私生児として扱われることが許せないのだよ」
それに、と言いながら男は腕を緩めて上掛けの中に潜り込み、女の身体を撫でる。上掛けの隙間から男の声だけが聞こえた。
「自分の子が、おまえに触れるのも許せない」
身体の奥で秘め事の残り火が再び勢いを増す。顔や姿が見えなくても、与えられる心地よさは間違いなく男によるものだ。何度も何度も愛し合ったのだから身体がきちんと覚えている。
「ん……。それだけじゃ、いやぁ」
「さっきも散々欲しがったくせに、まだ足りないのか」
「だって、しばらく逢えなくなるの、に……っ」
明日から男は社交のために首都へと旅立つ。女もかつてはそういった場に出ていたが、三年前からは領地に留まるように言われている。身も心も男のものになった以上もう社交など必要ないと思っている女はそれを受け入れたが、身体のほうはそう簡単には納得してくれない。
「……あんなに可愛かったおまえが、こんなにいやらしい女になるとは思わなかった」
「誰がこうしたのでしょうね」
男はそれには答えずに呟いた。
「こんなおまえを欲しがる物好きな男など、どこを探してもいないだろうな」
――私以外には、という言葉が聞こえたような気がして、女は愛しい男の頭を胸に掻き抱く。子供のことは残念だけれど、大事な自分達の子を私生児として扱いたくないというのは男の優しさと責任感の現れなのだし、まだ影も形もない子供にまで嫉妬を向けるほど自分を愛してくれているのだ。
だから、いつかきっと、望みが叶う方法を見つけてくれるはず。