宝来撫子はマリッジブルー
第一話 婚約
◯洋風のお城のような、三階建ての豪華な洋館の宝来邸。
イングリッシュガーデン風の素敵な庭に、秋の花が咲いている。
バンッ!!と、勢いよく二階の窓を開ける、宝来 撫子は大人しめだけど上品な秋物のワンピースを着ている。
撫子は美しい顔を怒りで険しくしている。
撫子〈美しい長い黒髪を風になびかせつつ〉「何アイツーーーっ!!!マジでだいっきらーーーーーい!!!!!」
絶叫してぜいぜい言う撫子。
そんな撫子を後ろから羽交締めするように窓から離したのは、女性使用人の羽鳥。
羽鳥「お嬢様、おやめください!!日曜日の昼間から大声で叫ぶなんて、はしたない!!18歳にもなる人が、廊下の窓を全開にして絶叫しないでくださいっ!!」
撫子は赤い絨毯が敷かれた宝来邸の廊下で羽交締めされつつも、ジタバタ暴れている。
撫子「ストレス溜まるのよ!!羽鳥、あんただって去年30歳を迎えた誕生日に、枕に顔を押し付けて絶叫したって言ってたじゃない」
羽鳥〈顔を赤らめつつ〉「お嬢様!それとこれとは話が違います!!」
撫子「一緒よ!!それくらいに私は絶望を味わっているのよ!!」
ぜぇぜぇ言いつつ、羽鳥から離れる撫子。
撫子「あんなクソしょーもないボンボンと結婚!?私が!?……冗談じゃないわ!!」
〈眉間にシワを寄せて吐き捨てるように叫ぶ撫子〉
羽鳥〈真っ青な顔になって〉「いけません、お嬢様!!そんな下品なお言葉遣い、お父様やお祖父様の耳に入ったら……!!」
撫子「だって、あのクソ野郎!思い出しただけで腹立つわっ!」
◯撫子の回想
数十分前、祖父の宗一に呼ばれて、宝来家の一階にある応接間に向かった撫子。
撫子(おじいちゃまが私に用事って、珍しいわね。何の用なのかしら?)
ノックして応接間に入り、どっかりとソファーに座っている宗一を見つけ、頭を下げる撫子。
白髪頭の小柄な宗一はソファーに座っている時も、杖を持っている。
宗一「撫子、こっちへ来なさい。実はお前に話があってな」
撫子「……はい、おじいちゃま」
宗一が窓辺に目をやる。
その時撫子は、はじめて窓辺に誰かがいることに気づいた。
宗一〈立ち上がり、にっこりと笑顔を見せて〉「早乙女コンツェルンの御曹司、早乙女 拓磨さんだ。お前より五つ年上の、23歳」
撫子「はじめまして、宝来 撫子と申します」
拓磨〈じっと、値踏みするように撫子を見つめる〉「……」
撫子(何、この人。パッと見たところイケメンだし、ばっちりスーツを着ていて素敵に見えるけど、なんだか冷たい感じがするわ)
宗一「撫子、お前は高校を卒業したら、この拓磨さんと結婚しなさい」
撫子「え?……えっ!?な、何を急に!?」
宗一「これもお前の幸せだよ、撫子。拓磨さんと末永く幸せにな」
撫子「……えっ、ですけれど、おじいちゃま。私、卒業後は大学に行くつもりで……!!あと数ヶ月後には入学試験だって……!!」
拓磨〈こらえきれず、ぷはっと噴き出す〉
撫子「!?」
宗一が威厳たっぷりな顔で、威圧的に杖をゴンッと床に打ち付けてから、どっかりとソファーに座り直す。
そんな宗一にびくっとなる撫子。
宗一〈眉間にシワを寄せて〉「大学なんて行かなくてもよろしい。それより拓磨さんと結婚して、彼を支えなさい」
撫子「……!!そ、そんな……っ!!」
拓磨「……いいじゃないですか、撫子さん」
撫子「!?」
拓磨は窓辺から、入り口に立ったままの撫子に向かって、ニヤニヤとした顔を見せる。
拓磨「どうせあなたレベルの学力なら、大学に行っても行かなくても、同じようなことですよ。それにあなた、大学生になって何を学びたいんですか?」
撫子〈拓磨を睨みながら〉「は?」
拓磨「授業もろくに聞かず、チャランポランな大学生活を送り、莫大な学費だけを浪費するようなら、あなたは僕と結婚するべきですよ」
撫子〈完全に怒った表情で〉「……はぁ!?」
拓磨「いいじゃないですか。僕の家族になれば、早乙女家の一員になれる。一生不自由なく、裕福に暮らせるんだから。あなたに贅沢な暮らしをプレゼントしますよ」
撫子は宗一を睨みつける。
宗一は目を伏せて、首を横に振る。
宗一「『宝来堂』の未来は、撫子、お前にかかっているんだ。今、『宝来堂』が経営不振なのは知っているだろう?黙って、嫁ぎなさい」
◯回想終わり
◯宝来家の玄関
ベルト付きのバレエシューズを履いた撫子。
パタパタと羽鳥が走り寄って来る。
羽鳥「撫子お嬢様、どこへ行かれるのですか!?この羽鳥もお供いたします」
撫子「お願い、羽鳥。少しひとりにしてほしいのよ。大丈夫、そんなに遠くへは行かないわ。公園にでも行って、少し風に当たってくるだけよ。すぐに帰るから」
何か言いたそうな羽鳥を置いて、撫子は玄関から出る。
◯宝来家から歩いてすぐの『みどり公園』。
その名の通り緑がたくさんあって、小さな池もある。
公園の奥には小さな丘もあって、その丘はお花畑のようになっている。
撫子は険しい顔つきで丘まで行って、小さなお花を見たその時、急に目を潤ませて、立ったまま泣き始める。
撫子〈涙をポロポロ流しつつ〉「嫌よ、なんでっ、私が……!」
その時、丘にやって来た人がいて、撫子は慌てて泣き顔を見られまいと背を向ける。
その人は撫子に気づいて、近づいて来る。
「大丈夫ですか?」と尋ねたその人は、撫子と同じくらいの年齢の男子だけど、撫子は背を向けていて、まだその人の顔を見ていない。
撫子「大丈夫です、これは、何でもない涙です」
強がって答えた撫子はその時振り返り、初めてその男子の顔を見る。
その男子は優しそうな、やわらかい印象の人で、整った美しい顔立ちをしている。
男子「……すみません、オレ今、ハンカチとか持ってなくて」
困ったように言う男子に、撫子は思わず、笑ってしまう。
男子も安心したように、ニッコリ笑う。
その笑顔に、撫子はドキッとしてしまう。
撫子(えっ!?)
男子は「急に話しかけてすみませんでした。もう、行きますね」と、来た道を帰ろうとする。
撫子「待って!あなた、ここに用があるんじゃないの?」
男子〈振り返り、笑顔を見せて〉「大丈夫です。何でもない用事だから」
男子は小さくお辞儀して、行ってしまう。
ひとり残された撫子。
撫子「優しいのね」
(私に気を遣ってくれたんだわ)
お花畑の丘に立ったまま、胸をおさえる撫子。
撫子(……私、やっぱり結婚なんてしたくない)
(世の中にはあんなに素敵な人だっているのよ)
(なのに、あんなクソボンボンと結婚なんて、まっぴらごめんよ!!)
撫子「婚約なんて、破棄してやる……!!」