宝来撫子はマリッジブルー
第五話 休憩時間
◯ニ週間が経った、スーパーマーケット「ぜんきち」の店内。
四番レジカウンターの中に立ち、せっせとレジ打ちに励む撫子。
おばあさん「こんにちは」
四番レジカウンターに未精算のレジカゴを置く、常連客のおばあさん。
撫子「いらっしゃいませ、こんにちは!」
レジを打ちつつ、おばあさんに挨拶を返す撫子。
おばあさん「少しは慣れてきた?あなた、最近頑張っているじゃない」
撫子「ありがとうございます。少し慣れてきた気もするんですけれど、レジを打つのがやっぱり遅くて……」
おばあさん「焦らず頑張りなさいな。遅くても、あなたの丁寧さはわかりますよ。まぁ、最初はお刺身の上に熱々のお惣菜を置かれて驚いたけれど」
撫子「……すみませんでした」
ふたりで顔を見合わせて笑う。
おばあさん「教育係の人も、もういないのね。ひとり立ちね」
撫子「頑張ります」
レジ打ちが済み、おばあさんにお辞儀をする撫子。
頭を上げると、柊が荷物台を布巾で丁寧に拭いているのが見えた。
三角にもらったメモ帳を取り出し、『手が空いた時は荷物台を拭いて清潔にする』と書き込む。
撫子(本当にすごいなぁ、柊くん)
(レジ打ちも速いし、でも丁寧な接客だし、周りのことも見ていて……)
荷物台を拭き終わった柊は、荷物台のそばで使用後の精算済みレジカゴをまとめ、各レジカウンターに配りに行っている。
撫子の四番レジカウンターにも来てくれる。
柊「宝来さん、レジカゴ、置いておきます」
撫子「ありがとうございます」
柊はニコッと笑って、自分の持ち場に戻る。
撫子(……ダメよ、撫子)
撫子は少し苦しそうに、自分の胸をおさえる。
撫子(好きになるのは、ダメ!)
そう思うと、余計に苦しい気持ちになる撫子。
撫子〈小声で〉「……ダメよ。私には婚約者が。クソしょーもない婚約者が……」
ひとりで繰り返し呟いている撫子の後ろに、三角が現れる。
三角「こんにゃく?こんにゃくがどうかされました?」
突然の言葉にビクッと驚いてから、振り返り、撫子は「三角さん……!いえ、なんでもないんです」と、誤魔化す。
三角「休憩に行ってください。交代です、宝来さん」
撫子「あ、お疲れ様です。ありがとうございます」
◯店のバックヤードにある、休憩室。
中に入ると、四つのテーブルが置いてあり、部屋の隅には飲料水の自動販売機がある。
窓際の奥のテーブルに、柊がいた。
読書をしている。
撫子は少し離れたところに腰掛けて、柊をそっと見つめる。
撫子(きれいな横顔)
(鼻筋が通っていて、まつ毛も長いのね)
(ちよっとゴツゴツしている細長い指もきれい……)
うっとり見ていると、柊と目が合ってしまった。
柊「……?宝来さん?」
撫子「あ、違う!いえ、違わないです!」
柊「ん?」
撫子「いえ、なんでもないんです」
〈少し赤くなる〉
柊は「あはっ」と笑い、本を閉じた。
撫子(本を閉じたってことは……、私とお話ししてくれるってことかしら?)
胸の奥から温かい気持ちと、ワクワクするような弾んだ気持ちが混ざり合って、撫子は(好きだなぁ)と、心から思ってしまう。
撫子(……もう、認めるしかないわ)
(好きなのよ)
(恋をしているんだわ、柊くんに)
脳裏で祖父である宗一の険しい顔がよぎる。
少し後ろめたく、暗い気持ちになった自分を見つけて、撫子はその気持ちを追い払うためにブンブンと首を振ってみる。
柊「どうしました?」
撫子〈ニッコリと笑って〉「なんでもないです」
柊〈同じように笑って〉「そうですか」
柊が腕時計を見る。
そのことが思いの外、撫子の中で淋しさを引き起こす。
撫子(ずっとこのままでいたい)
(柊くんとふたりでいたいわ)
柊「宝来さん、休憩時間っていつも何をしているんですか?」
撫子「たいていスマートフォンを見ています」
柊「あの、誰かに説明って受けました?休憩時間に外に出てもいいって」
撫子「え?いいえ。時間内なら外出しても良いんですか?」
柊「はい。店長、わりと大らかな人なので」
柊は楽しそうに笑う。
柊「知っていますか?ここの商店街、たい焼き専門店があるんですよ。美味しいのでオススメです。気が向いたら、行ってみてください」
そう言って、本をもう一度開こうとした柊を見て、思わず撫子は「あ、あのっ」と声をかける。
撫子「行きたいですっ、連れて行ってくれませんか?」
撫子(自分から誘うなんて、はしたないと思われるかしら)
(でも一緒に行きたいわ!)
(それくらい良いでしょ?)
柊は「あ、そっか」と何かを納得した様子で、「場所、わからないですよね?あ、じゃあ、良かったら今度行きますか?」と言う。
撫子「お腹、空いていらっしゃる!?」
柊「え?」
撫子「私、今がいいです!柊くんの休憩時間、まだ大丈夫なら、行きたいです!」
柊はちょっと驚いた顔をしていたけれど、すぐにニコッとして、「じゃあ、行きますか」と、席を立った。
◯商店街の中。
エプロンは付けているけれど、三角巾は外している柊と撫子は、並んで歩いている。
特に撫子は、足取りが軽くて気持ちも弾んでいる。
少し歩いた先の角を曲がると、『たい焼き専門店 たいこばぁばの店』という看板が見えた。
年季の入った看板とは裏腹に、お店の外観は新しく、店内にいる店員らしき人物も若そうな男性。
じっとその男性を見ていた撫子に気づき、柊が、「泰子って名前のおばあさんのお孫さんが、お店を継いだらしいですよ」と、教えてくれる。
店内に入ると、柊が「たい焼きの中身、選べます」と、壁に掛かっているメニューを指差す。
撫子(た、たい焼きなんてどのくらいぶりかしら)
(ずいぶん昔に羽鳥にねだって、買って来てもらったのよね)
(あれ以来、久しぶりに食べるわ)
撫子「私、こしあんのたい焼きがいいです」
柊「オレはつぶあんにします」
注文も受け取りも柊がしてくれる。
店内にあるイートインスペースで、柊と向かい合って座る撫子。
撫子が「あの、お金……」と、財布を取り出すと、柊は首を振って「食べてみてください」と笑って、お金を受け取らなかった。
撫子「いただきます」
たい焼きをひと口食べた撫子の表情が、みるみる内に輝き始める。
撫子「美味しいっ」
柊「でしょう?オレ、ここのたい焼き、好きなんです」
柊も「いただきます」と呟き、たい焼きをしっぽのほうから食べ始めた。
撫子「しっぽから食べるんですね」
柊「え?あー、なんか癖ですね。頭からガブリといけないっていうか」
撫子「私はガブリといってしまったわ」
柊「見ていて気持ちいいくらいです」
ふたりはクスクスと笑う。
◯スーパーマーケット「ぜんきち」の入り口。
柊と一緒に裏口から入ろうとしたところで、「撫子さん」と声をかけられる。
振り返ると、そこには拓磨の姿が。
撫子「えっ、なぜここに!?」
拓磨「僕が聞きたいですよ。何故あなたがアルバイトなんか……!しかも男と出かけていたようですし」
柊「?」
撫子(まずい……)
(非常にまずい状況だわ!)
(ど、どうしよう〜〜〜っ!?)