宝来撫子はマリッジブルー
第六話 結婚したい人
◯翌日の私立R女子学園高等部。
三年F組の教室で、再び机に突っ伏している撫子。
その席を振り返るように、麗華が前の席に座っている。
麗華「で?それからどうしたの!?アルバイト先に婚約者がやって来て、何があったの!?」
撫子〈突っ伏したまま〉「……逃げた」
麗華「え?」
バッと顔を上げて、「だから逃げちゃったのよ」と、撫子。
眉間に深いシワが刻まれている。
撫子「仮にも婚約者に『関係ないわ』って暴言吐いて、柊くんを強引に店内に押し込んで、私も店内に逃げちゃったの」
麗華「柊くんはどうしてたの?」
撫子「『大丈夫ですか?』とは聞かれたけれど、『大丈夫です、問題なし!』で押し通して、仕事に戻ったわ」
麗華「……婚約者は?」
撫子は暗い顔になって、「それが、それ以降姿を現さなかったのよ」と、呟く。
麗華「あら、それなら良かったじゃない」
撫子は首を振って、「いえ、不気味よ」と言う。
撫子「嵐の前の静けさっていうのかしら、不気味だわ」
麗華「……そうかなぁ?」
◯その日の放課後、スーパーマーケット「ぜんきち」の休憩室。
窓際の奥のテーブルに座っている撫子。
カレンダーアプリを開いたスマートフォンと、にらめっこをしている。
撫子(あと数ヶ月で高校を卒業しちゃうんだわ)
(このまま、あの早乙女 拓磨と結婚する未来を迎えるの?)
(……そんなの、嫌よ!)
眉間に深いシワを刻んで、撫子はスマートフォンから顔を上げる。
撫子「……おじいちゃまには、別の案で宝来堂を立て直す手立てを考えてもらうしかない!!」
自分の言葉に頷く撫子。
立ち上がり、ウロウロし始める。
撫子「そうよ、それにはおじいちゃまに、この結婚話を諦めてもらうことが大切よ!」
「何か、諦めてもらえる理由が欲しい……!」
顎に手を当てて考えつつ、まだウロウロしている。
その時、休憩室に柊が入ってくる。
びっくりして固まる撫子。
柊「お疲れ様です」
撫子「お、お疲れ様ですっ」
ふいに、柊をじっと見つめる撫子。
柊「?」
撫子〈ひらめいた顔で〉「……そうよ、柊くんよ」
柊「はい?」
撫子(他に好きな人がいるって伝えたら、諦めてくれるんじゃない?)
(さすがのおじいちゃまも、きっと折れてくれるわ)
(早乙女 拓磨だって、わかってくれるかも!)
柊「……あの、どうしましたか?」
撫子〈ニッコリ笑って〉「柊くんのおかげで良い案が浮かびました!ありがとう」
柊「?」
◯週末、宝来 宗一の住む家。
豪華な門構えの日本家屋。
門をくぐると見える庭も、立派な日本庭園。
家政婦の田邊という、五十代の女性に連れられて、撫子は宗一の待つ書斎に通された。
宗一は窓際に置かれたひとり掛けのソファーにどっかりと座っている。
手には杖を持っていて、ソファーのそばのサイドテーブルに置いてある紅茶が湯気を立てている。
撫子は入り口付近に立ったまま、お辞儀する。
撫子「おじいちゃま、ごきげんよう。お時間を割いていただいて嬉しいですわ」
宗一「構わないよ。それで?何か用なのか?」
撫子「……」
宗一「?」
撫子〈俯いて、両手をぎゅっとグーで握る〉
(言うのよ、撫子!)
(あれだけ練習したじゃない)
撫子「おじいちゃま、お話しがあるの」
宗一「何だ?」
撫子「……私、そのぉ……」
宗一「婚約のことか?」
撫子「えっ!?」
宗一はドンッと床に杖をついて、立ち上がる。
その動作にビクッとなる撫子。
思わず宗一の顔色を伺う。
宗一の表情は微笑んでいるものの、目が笑っていない。
宗一「言っただろう、撫子。お前にとってもこの結婚話は幸せなことなんだよ。何も言わずに、何も考えずに、お前は嫁ぎなさい」
撫子「……嫌よ」
再び俯き、本音を漏らしてしまう撫子。
グーにした両手が一度ほどけて、もう一度強く握られる。
撫子「おじいちゃまは考えたりしないの?私には既に、将来を約束している人がいる、とか」
宗一「……何?」
撫子「だから、約束しているとか、〈小声で〉していないとか、……とにかく、私にだって事情があるんです」
宗一「事情?」
宗一の表情から微笑みが消える。
じっと撫子を見つめていて、その表情は真顔。
宗一「撫子、お前の事情なんかどうでもいいんだ」
撫子「えっ?」〈顔を上げて、宗一を見る〉
宗一「しかし、もし仮に、お前に将来を約束している相手がいたとして、そいつがこの縁談を潰すようなことがあるなら」
撫子「……っ」〈ごくっと生唾を飲む〉
宗一「私が全力で、どんなことをしてでも、その相手を潰してやる」
宗一が不敵な笑みを浮かべ、撫子はゾッとする。
◯宝来 宗一の家の門の付近。
田邊が庭の木から落ちた葉を、竹箒で掃いている。
その横を、真っ青な顔で通る撫子。
田邊〈のんびりした口調で〉「あら、お嬢様。もうお帰りですか?」
撫子〈ゆっくり田邊を振り返り〉「……作戦は失敗したのよ、田邊さん」
田邊「作戦?……はて?」
◯その夜の二十二時を過ぎた頃。
宝来邸の撫子の部屋。
羽鳥に髪をとかしてもらっている撫子。
ドレッサーの前に座っている。
コンコンコン〈部屋の扉のノック音〉。
撫子「はい」
久光「姉さん、ちょっといい?」
撫子「いいわ、入って」
羽鳥が少し離れて、控える。
部屋に入って来た弟の久光は、まだ寝巻きを着ていなくて、週末にも関わらず高校の制服を着ている。
撫子「あら、久光。あなた、学校だったの?」
久光「部活だったから。その後、予備校に行ってたんだ」
撫子「わが弟ながら、真面目よね。高校一年生なのに、もう熱心に勉強してて」
久光〈少し笑って〉「オレは計画的に動くのが性に合ってるんだ」
久光は部屋の真ん中にある、テーブルに腰掛ける。
久光「……知ってる?宝来堂の経営のこと」
撫子〈表情が曇る〉「少しだけ。あまり上手くいっていないのよね」
久光「確実に傾いている。父さんも兄さんも、おじいちゃんのように経営の才能はないんだよ」
撫子「……」
久光「だからおじいちゃんは、焦っている。宝来堂は大手化粧品会社って言っても、他にも大手のライバル社はたくさんあるし」
撫子「そうね」
久光はふぅっとため息を吐いて、撫子をまっすぐ見る。
久光「でも、姉さんが犠牲になるなんて、オレは嫌だ」
撫子〈目を見開いて〉「!」
久光「早乙女さんと結婚したいの?」
撫子「したくないわ!あんな奴……」
〈きっぱりと即答する〉
久光は少し笑ってから、「結婚したい人と、結婚するべきだよ」と言う。
撫子の頭の中に、柊の顔が浮かぶ。
久光「会社のために姉さんの一生を捧げるなんて、間違っている」
撫子〈感動して〉「久光……。ありがとう」
久光「どうにか婚約破棄出来ないかな?」
撫子「それが、おじいちゃまがね……」
久光に、今日、宗一と話したことを話す撫子。
久光「……前途多難って、こういうことを言うんだね」
撫子「それに、アルバイト先に早乙女さんがいらしたの」
久光「えっ!?」
撫子もふぅっとため息を吐いて、「だけど私は屈しない。ねぇ、大事になっても構わない?」と、いたずらっぽく笑ってみせる。
その時、撫子のスマートフォンが振動する。
画面を見ると、早乙女 拓磨からのメッセージ。
拓磨《明日、お時間ください。話があります》
撫子は久光にその画面を見せて、「嵐がやって来そうよ」と、表情をこわばらせた。