コーヒーにはお砂糖をひとつ、紅茶にはミルク —別れた夫とお仕事です—
***

8年前

「藤村 水惟です。よろしくお願いします。」
そう言ってややぎこちない顔でニコッと笑って挨拶したのは、22歳、深端グラフィックスの新入社員時代の水惟だ。
入社直後は自由な私服ではなくリクルートスーツを身に纏って出勤していた。

深端では新入社員の配属について入社前から本人の希望をアンケートのように聞いてはいるが、本人の適正や人員配置のバランスを見て最終的な配属を決定する。
その適正を判断するため、新入社員は入社から3か月の間にさまざまな部署の研修を受けていく。
水惟と同期入社の6人はこの日から営業部の研修が始まり、順番に挨拶していった。

「営業部第一グループの深山です。よろしくお願いします。」
研修の教育係の蒼士が挨拶をすると、新入社員が少し騒めいた。
深山という名前に反応する者もいれば、蒼士のビジュアルに反応する者もいた。
蒼士にとってはもう慣れてしまったいつもの反応だった。

ふと、先ほど自己紹介をした水惟が目に入る。
彼女は他の新入社員に比べると前に出るタイプではないようで、少しボーッとしたところがあるようだ。

深端(うち)の新卒にはあまりいないタイプかな。)
蒼士がそんなことを考えていると、考え事をするように斜めの方角を見ていた水惟の唇が小さく何かをつぶやいた。

“ミ ヤ マ…”
(ん…?俺の名前?)

“ミ ヤ マ サ ン”

しっかりと覚えようとしているかのように繰り返した。
難しい名前でもなければ、これからしばらくは毎日顔を合わせるのだから自然に覚えられる名前のはずだが、彼女はなぜか繰り返した。

(だいたいうちでは一番覚えやすい名前のはずなんだけどな…社長と同じ名字だし。)
蒼士は少し不思議だと思ったが、大して気に留めなかった。

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