箱入りワガママ公爵令嬢は誕生日プレゼントに貧乏貴族を所望します

10 もしも気持ちを伝えていれば

 

 ・・♠


 天国から地獄とはまさにこのことだ。
 眠る前まではシエナとの幸せが目の前にあったというのに、起きたら夢のように消えていた。

 グレアムに指示されて隣の部屋で待機していたエストは茫然としていた。
 防音性がちっともない木の家は、隣の部屋に声が筒抜けなのだ。


 シエナが退席した後、応接間に呼ばれたエストはティルヴァーン公爵と対面した。あまり王都に出向かないエストは初めて彼に会った。
 見るからに高級で派手な服を着ているが、人の良さそうなふくよかな外見から嫌味な感じはしない。


 エストが席につくと、早速だけど……とティルヴァーン公爵は切り出した。


「今回はシエナがご迷惑をおかけしました。
 君も隣の部屋で聞いていたということだが、先ほどの会話の通りだ。
 シエナはトーリ王子の元に嫁ぐことになるだろう。」

「それは、私との結婚はなくなったということでしょうか。」

 気持ちを押し殺してエストは尋ねた。

「元々君たちもそのつもりはなかっただろう。」

 エストの言葉に不思議な顔をしてからティルヴァーン公爵は笑顔で答えた。

 なんて勝手なんだろうか、とエストは文句が込み上げてきたが、同時に自分の勝手さにも気づき言葉を飲み込んだ。


 公爵の言う通り、エストだって結婚なんてするはずはないと思っていた。
 公爵令嬢がこんな貧乏貴族に嫁ぐはずがないし、エストだって乗り気ではなかった。
 最初はすべて金儲けのために引き受けたことだったから。


「君達も知っている通り、元々シエナには結婚の話はしていない。シエナは休暇としてお邪魔させてもらっているつもりだ。

 あと1週間、今までと同じように過ごさせてもらえれば問題はない。」


 結婚をさせるつもりはない、あと1週間でエストの任務は終わり、というわけだ。


 反論したい。
 しかし、元々の公爵の狙いを汲んでこの件を引き受けたのだ。
 エストが希望していたものはシエナではなく報酬だ。
 だからエストも、グレアムも口を出せずに黙っているしかなかった。


 ティルヴァーン公爵が従者に目配せをすると、彼は書類を取り出して机に並べた。

「私は予定があって迎えに来れなくてね。
 今回の報酬についてたが、この書類にサインをして提出をしてもらえるかな。
 君の研究の出資登録をするものだ。今後の研究について費用は気にせずにやってくれていい。
 それほど、今回は迷惑をかけたからね。」

 これほどありがたいことはない。まとまった金額だけでなく、今後の費用を出資という形で負担してくれると言っているのだ。パトロンができるわけだ。
 それでいいじゃないか。

 シエナと1ヶ月楽しく過ごしただけで、莫大な援助が受け入れられるだなんて、割の良すぎるバイトだった。そう思えばいいだけだ。


 手切れ金の意味を含んだ書類に目を落とし、エストは黙り込んだ。


「では残り1週間、くれぐれもよろしく頼むよ。」

 こちらの返答を特に気にすることもなく、用件だけを伝えるとティルヴァーン公爵はさっさと帰っていってしまった。


 これは、ティルヴァーン公爵が冷酷なのではない。


 エストとシエナが結婚する未来をほんの少しも想像していないだけだ。
 シエナの気まぐれでここで滞在しているだけだと思っていて、シエナの幸せは上級貴族に嫁ぐものだと信じて疑っていないのだ。

 彼は彼の価値観の中で、娘の幸せを心から願っているだけだ。
 エストと結婚することは、きっと彼の中では不幸せな物に分類されるのであろう。


 しかし、エストは反論することはできなかった。
 シエナも反論しなかったからだ。彼女はきっと受け入れるのだろう。


 陛下や他国の話が出てきてしまったのだ、断ることはできないだろう。
 シエナが本当にエストと同じ気持ちだったとしても……彼女にも家族はいる。大切なものが王都にはあるはずだ。
 それを全て捨てて、このままここにいてほしいとはとても言えない。

 そして、自分もだ。結局自分が一番身勝手なのだ。
 エストの研究は国のバックアップがないと成立しない。
 シエナを選ぶということは、夢を諦めるということだ。


 もし、もしも……ティルヴァーン公爵の来訪が1日遅ければ。


 自分が貴族であること、公爵からの依頼が「結婚」だったこと、シエナと結婚したいということ、
 そして、シエナのことが好きだということを伝えられたはずなのに。

 もし、あと1日早く伝えていたら……いくつものタラレバを考えても、もう遅かった。



 ・・


 その日の魔法講座は中止となった。

 そして、シエナは夕食まで部屋から出てこなかった。それはこの滞在で初めてのことだった。
 夕食の席についたシエナの目はひどく腫れていて、彼女が落ち込んでいたことは誰の目にも明らかだった。
 シエナはいつも通り明るく振舞ったので、皆なにも言えなかった。


 もうシエナは覚悟を決めたのだとエストは悟った。
 公爵令嬢として今まで生きてきた彼女は、これからも公爵令嬢として生きていく。


 シエナとの未来が望めないのであれば、今の自分にできることは、シエナと一緒に考えた魔法具を作ることだと思った。


 あと1週間で完成させる。シエナにプレゼントをする。
 彼女が希望するなら毎日本当に日記を送ってやろう。
 離れていても結びつきがあるように。

 エストは設計図を開き、早速作成に取り掛かった。
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