箱入りワガママ公爵令嬢は誕生日プレゼントに貧乏貴族を所望します
11 最後の魔法講座
翌日からはまるでティルヴァーン公爵の来訪がなかったかのように穏やかに過ぎた。
午前は魔法講座を続けて、午後はいつも通り庭で過ごした。
1つ変わったことはエストが昼食や夕食に参加することが減った。
研究が忙しいとのことで食事を皆で取る時間がないらしい。ロビンに勉強を教える暇もないらしく、常に自室に籠っているようだ。
終わりが近づいてきているのだから、少しでも一緒に過ごしたいのだけど。
シエナの正体が公爵令嬢だと気づいたから、避けているのかもしれないとシエナは思った。
居候の子爵令嬢に公爵が突然訪ねてくるだなんてどう考えてもおかしいし、一大事だ。
それなのにあフリエル家は誰もティルヴァーン公爵の話をしなかったし、シエナのことを探ることもしなかった。
きっとあの日、皆にシエナの正体が知らされたのだろう。
2人で夜空を眺めた日は、エストと同じ気持ちかもしれないと期待したりもした。
でも、エストがシエナのことを想っていてくれたとしたら。それは子爵令嬢のシエナだ。シエナ・ティルヴァーンではない。
公爵令嬢として出会っていたなら、あんなに気軽に接してくれなかっただろう。
「見て、貴女が蒔いてくれた種が芽を出しましたよ。」
エストのことを考えていたシエナにダリル夫人が声をかけた。
ダリルは花壇の前に座り込み、小さな芽を見つけたようだ。
残りの時間はできるだけフリエル家の家族と過ごしたいと思ったシエナは読書を封印して、彼らと庭いじりをしたり、お茶を楽しむことが多くなった。
今日もダリルと息子のロビン、ペトラとお茶をする予定だ。
お茶に浮かべるミントを採りに、連れ立って庭に出ていた。
「毎日水やりしたからな。」
ロビンも嬉しそうにダリルの隣にかがんだ。
庭の水やりはシエナとロビンの毎日の仕事になっていた。取得した水魔法を使って花たちにシャワーを浴びさせたのだ。
「早く花が咲くといいですね。」
シエナも2人の隣に並んだ。
花壇の一角にシエナが種を蒔いた場所がある。小さな芽ぷっくりとしていてかわいらしい。
水をやりながら、花が咲くころにもう自分はいないのだと思い出す。
「いつでも花を見に来てくれてもいいのよ。ここはもう貴女の家だと思っていいの。」
翳った表情に気づいたダリルは優しくシエナの背中を撫でた。
「ええ、ありがとうございます。」
そう言ってくれるダリルの言葉は降り注ぐ日差しのように暖かだ。
しかし、帰ってしまえばもうここに来ることは二度とないだろう。
ダリルに心配をかけないようにシエナは笑顔を作った。
毎日穏やかに過ぎている。
いや、表面は穏やかに努めているが、心の中にはいつも焦燥感が燻っていて、終わりが来るのを恐れていた。
エストは何を考えているのだろう。自室で研究をしている彼を思って、屋敷を見上げた。
彼の部屋の窓を見ると物影が動く。窓際で何かしていたのだろうか。
今日はもう会えないのかな。夕食に参加しないのかな。
早くエストに会いたいから明日の魔法講座の時間が来てほしい。
でも明日が来てしまえば、また1日終わりに近づいてしまう。
相反する心に戸惑い、気は焦るばかりだった。
・・
とうとう魔法講座は明日を残すのみとなった。明後日は迎えが来る日だ。
今日の講座は実践の総まとめということで、宙に浮いたり、水を出してみたり、風を起こしたり。
講座が終わる頃には髪の毛はボサボサで土だらけ。たくさん身体を動かして、たくさん笑った。
「やっぱり魔法を実際に使うのが1番楽しいですね。」
「俺も君が来るまでは研究漬けだったから、久しぶりに魔法をたくさん使った1ヵ月だったよ。」
エストは疲れたーと言いながらそのまま芝生に転がった。
シエナもマネして転がる。フリエル領に来る前に作ってもらった白いワンピースは泥汚れが取れずに少し黄ばんでいる。
「魔法が好きなんだ。人に教えるのがこんなにも楽しいとは思わなかったよ。」
「ロビンには魔法を教えていないのですか?」
「あ、ああ……彼はまだ座学がほとんどだからね。」
エストは不自然な咳払いをした後、身体を起こして真剣な顔になる。シエナも起き上がる。エストはまっすぐシエナを見つめた。
「とにかく、君に教えるのは本当に楽しかった。いつも熱心に参加してくれてありがとう。」
「私こそありがとうございました。財産ができました。」
これから、公爵令嬢として、東の小国の王の后として、生きていくのであれば魔法はきっと必要のない知識だ。
でも、学んだ魔法たちはシエナの特別な財産となった。
「お疲れ様。これで魔法講座は終わりだ。」
「えっ、まだ明日がありますよね!?
帰る準備はできているので明日もエスト様がよければ…」
帰る日は明後日だから、まだあと1回あるものだとばかり思っていた。今日で終わりだなんて。
ワガママだとわかっていたが、シエナは明日の講座も希望した。
エストは首を振る。研究はそんなに忙しいのだろうか。
「明日は最後に2人で出かけないか?魔法講座の方がよければもちろんそれでもいいけど。」
「いえ、出かけます!」
エストが言い切る前にシエナは勢いよく答えていた。
シエナの勢いの良さにエストは笑うが、こっそりと熱望していたものだったのだから仕方ない。
本当は一緒に出かけたかったけれど、忙しそうなエストに言い出せなかったのだ。
「明日朝食を食べたら出かけよう。今日はもう部屋に戻るけど、明日は必ず行くから。」
「忙しいのにありがとうございます。楽しみにしていますね。」
「じゃあ今日はこれで。」
エストはそう言うと走って屋敷に戻って行ってしまった。本当に忙しいらしい。
それでも時間を作ってくれたことが嬉しかった。
残されたシエナは1人芝生に転がった。
早く明日になってほしい。
でも明日が来るということは、この日々が終わるということだ。
楽しみなのか、怖いのか、嬉しいのか、悲しいのか。
ぐるぐるとした気持ちを抱えてシエナは流れる雲を見つめた。